74話 令嬢は王子に別れを告げる
「……そんな綺麗な感情じゃないよ」
ルシードが皮肉気に笑い、言葉を続けていった。
「僕はね、ちょうどいいと思ったんだ」
「……何がでしょうか?」
「あのまま濡れ衣を着せられれば、僕はおうたいし争いから脱落していただろう? そうなることを、僕も望んでいたんだよ」
「……ルシード殿下は、王太子の座を望んでいないのですか?」
「望んでいたよ。昔はね」
ルシードの瞳が、遠く過去を覗き込むように揺れている。
「あの頃は僕も、それなりに勉強やあれこれを頑張っていたさ。けどそんなものに意味は無くて、王太子に選ばれたのはセオドア兄上だった。……仕方ないから諦めて、自分なりに折り合いをつけることに成功して……。なのにセオドア兄上が廃太子になったからって、また王太子の座を目指してくれって言われたら、ふざけるなと言いたくもなるだろう?」
どうやらそれこそが、ルシードが奔放な振る舞いを改めない理由でもあるようだった。
「……だから僕は、今更王太子の位などいらなかったし、エミリオに大きな怪我が無ければそれでいいと思ったんだ。……思っていたんだが……」
なかなか、そううまくはいかないよなぁ、と。
ルシードがおどけてため息をついていた。
(幸運にも、エミリオ殿下は無事だったけれど……。この先、エミリオ殿下が王太子になる可能性は低そうよね)
エミリオの母方の実家である、シュタルスタット公爵家の当主・ディルツが投獄されたのだ。
母方実家の力が弱くまだ幼いエミリオより、ルシードが王太子に推されるのが自然だ。
「あぁ本当、めんどくさくて構わないよ。王太子の位など投げ出してしまいたいが、エミリオに押し付けるわけにもいかないだろう?」
諦めたように、あるいは吹っ切れたように。
ルシードが肩をすくめ言葉を紡いだ。
「大きな力を持ったって、めんどうごとが増えるばかりだよ。フィオーラ殿なら、僕の気持ちがわかるんじゃないかな?」
「……私は……」
どう答えるべきか考えたフィオーラは、アルムを振り返った。
「……私も時々、自分が持つ力が恐ろしくなることはあります。でも、アルムがいてくれるから、いつも私を助けてくれるから、例えめんどうごとが増えたとしても、大丈夫なんだと思います」
「……フィオーラ……」
感謝を伝えるフィオーラに対し、珍しくアルムが目を大きく開いている。
緑の瞳を揺らめかせ、フィオーラへと手を伸ばそうとしたところで、
「あーあーあー。もうそこまでにしてくれよ。続きは二人きりの時にやってくれないか?」
砂糖をとりすぎたような顔をして、ルシードがうめき声をあげたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「もう、あの王子様。顔はいいけど嘘つきで、賢いのにダメ人間だったわね」
ルシードと別れた後、モモがあけすけな人物評を呟いていた。
フィオーラは肩の上のモモを撫でながら、アルムと共に奥庭を歩いているところだ。
「でもルシード殿下ならなんとなく、いい王様になってくれると思います。弟思いで情のある、聡明な方のようでしたから」
「……それについては同意するわ」
モモがふんふんと鼻を鳴らしていた。
「……ちょっとだけ、あの人に似ているものね」
「あの人?」
フィオーラが尋ねると、モモが顔を背けた。
「何でも無いわ。ちょっとこの辺りを散歩してくるから、帰る時には呼びなさいよ」
言い捨てると、両腕を広げ飛んで行ってしまった。
本物のモモンガは、飛び立った地点より上空にはいけないらしいが、モモは精霊だった。
樹歌を使いこなし風を生み出し、気ままに空の散歩をたのしんでいるようだ。
「……こうして遠目で見ると、本当に空飛ぶハンカチみたいですね」
「ちょっと、今私のこと何か言った?」
上空からモモの声が響いた。
遠くの音まで、良く聞こえる耳を持っているようだ。
フィオーラはモモへと手を振ると、アルムとイズーと一緒に歩き出した。
向かう先にはティグルと、エミリオが待ち構えている。
「こんにちは、エミリオ殿下。体のお加減はいかがですか?」
「問題ない。もう元気たっぷりだぞ」
ぐるぐると、エミリオが腕を大きく回している。
どこにも怪我や、体の不調は無いようだった。
今日で、誘拐事件の解決から十日だ。
エミリオは監禁により衰弱し寝込み、フィオーラは後始末に忙しかったため、顔を合わせるのも十日ぶりだった。
(思っていたより、お元気そうで良かったわ)
フィオーラは淡く微笑んだ。
エミリオに会えて嬉しいが、今日は楽しいことばかりとはいかなかった。
エミリオと共にティグルと戯れつつ、話を切り出す時をうかがった。
「なぁ、フィオーラ」
二人でティグルの背中で揺られていると、前に座ったエミリオが話しかけてきた。
表情は見えないが、まっすぐと前を見ているのがわかった。
「フィオーラもティグルも、明日王都から出ていくんだろう?」
「……ご存知でしたか」
フィオーラの方から、話そうとしていた事実だ。
エミリオ誘拐事件の影響で、ティグルの出立は後ろ倒しになっている。
フィオーラがこの国に長くとどまりすぎるのも望ましくないということで、明日にティグルと一緒に、この地を発つ予定だった。
(殿下、また泣いてしまうかしら……)
かつて別れを告げた時のエミリオを思い出し、フィオーラの胸が痛んだ。
「今日ここに来たのは、エミリオ殿下にお別れの挨拶をするためでもあるんです」
「……あぁ、知っていたよ」
フィオーラが予想していたよりも、エミリオは落ち着いた声をしている。
エミリオの表情が見えずやきもきしていると、胸にこつりと頭があたった。
「……誘拐された時、フィオーラが助けに来てくれて、僕を置き去りにしないって、そう言ってくれて……すごく嬉しかったんだ」
少し声を上ずらせながらも、エミリオは言葉を濁すことなく言い切った。
耳が赤くなっているのを、フィオーラはそっと見ないふりをしてあげる。
「フィオーラにはどこにも行かないで欲しいけど……。でも、これでもう二度と、会えなくなるわけじゃないんだよな?」
「はい。……いつになるか約束はできませんが、またこの国へ、殿下に会いにきたいと思います」
フィオーラが答えると、エミリオが小さく頷いた。
「……しょうがないから、それで許してやるよ。僕は大人の男だから、それくらい我慢できるからな」
「ふふ、ありがとうございます。私もまたエミリオ殿下にお会いする日を、楽しみにしていますね」
精一杯背伸びをするエミリオに、フィオーラは唇を緩めた。
(次に出会う時には、エミリオ殿下はどんな風に成長しているのかしら)
想像すると、少し楽しくなってきた。
「さよなら、フィオーラ。次に会った時には、あっと言わせて、目をくぎ付けにしてやるから……。だから覚悟して、絶対に帰って来てくれ」
涙を見せることなくそう告げた、エミリオの奮闘を讃えるように、
「ひひんっ‼」
ティグルが一声、いななきを上げたのだった。