72話 令嬢は一撃を入れる
「見苦しいですよ」
「おぶっ⁉」
逃げ出そうとしたディルツの顔面へ、水球が着弾していた。
樹具を用いた攻撃。
ハルツが杖状の樹具を掲げ歩いてくる。
「ディルツ様、いい加減諦めてください。この場から逃げようとも、あなたの罪が無かったことにはなりませんよ」
油断なく樹具を構えながら、ハルツがディルツへと語りかけた。
転倒し咳き込んでいたディルツの瞳に、強い憎悪の炎が燃え上がる。
「ハルツっ⁉ なぜおまえがここにいる⁉ 追放されたはずだろう⁉」
「フリですよ。ハルツ様を油断させるため、一芝居打たせていただきました」
激昂するディルツとは反対に、ハルツの声はどこまでも平坦だ。
感情を見せず、あるいは見せないよう押さえつけながら。
ディルツを静かに見下ろしていた。
「私を‼ 騙していたのか⁉ おまえがまたっ‼ 私を陥れるんだなっ‼」
憎しみを力に変え、ディルツがよろめきながらも立ち上がった。
「いつもそうだ‼ いつもおまえのせいで、私は不幸になるんだ‼」
喚き散らしながら、一歩二歩とハルツに近づいていく。
「おまえのせいだおまえのせいだっ‼ おまえなんてっ‼ 生まれてこなければよかったの―――がふっ⁉」
「なっ⁉」
肉を打つ鈍い音。ハルツの驚愕した声。
ディルツが頬を押さえ座り込んでいた。
「……フィオーラ様、どうしてあなたが……?」
ディルツの殴ったのはフィオーラだった。
意外過ぎる行動に、ハルツは目をしばたかせてしまった。
「っ、ううっ……」
まさかの人物から殴られたディルツは目を回し、地面へと延びてしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「先ほどは、驚かせてしまい申し訳ありませんでした……」
気絶したディルツが、アルムの蔦で縛られていくのを見ながら。
フィオーラはハルツへと、何度も頭を下げていた。
「いえ、そんなに謝らないでください。私は何も、痛い思いをしていませんよ」
「でも、いきなりお二人の間に突っ込んで、思いっきり殴ってしまいました……」
フィオーラは小さくなっていた。
あの時は、気づいたら体が動いてた。
後先のことなど考えずただ、ディルツをこれ以上しゃべらせたくないと思ったのだ。
「フィオーラ様が殴っていなかったら、私が耐えかね手が出ていたかもしれません。私の代わりに殴っていただき、とてもすっきりしましたよ」
「……ハルツ様、違うんです」
フィオーラを首を横へ振った。
「あの時の私は、自分のことを考えていたんです」
「フィオーラ様ご自身のことを?」
「はい。……ハルツ様はご存知だと思いますが、私は母親を亡くして以降ずっと、義母のリムエラや義姉のミレアに、嫌われて生きていました」
「……聞いております。それはもう酷い仕打ちに、耐え続けていらっしゃったんですよね。お辛かったと思います」
労りのこもったハルツの言葉に、フィオーラはゆるく首を振った。
「あの頃の私は、何も感じないよう何も考えないよう、心に壁を作ってやり過ごしていました。だから辛いとか悲しいとか、ぼんやりとしか感じていなかったんです」
ただ、それでも、と。
フィオーラは自らの思いを吐き出した。
「どうしても忘れられない、耳にこびりついている言葉があるんです。『おまえなんか、生まれてこなければよかった』、と。義母にそう言われたんです」
思い出すと今でも、フィオーラの心は切り付けられたように痛みを覚えた。
義母たちの元から解放された今も、あの言葉は癒えない傷として残っている。
「だから私は、さきほどディルツ様が似たような言葉を口にしたのを聞いた時、体が動いてしまったんです。この先を聞きたくない。ハルツ様に聞かせちゃいけない、って。手が出てしまっていたんです」
人を殴ったのは初めてだった。
正気に戻った今は、ハルツを驚かせたことに気づき申し訳ない限りだった。
顔をうつむけていると、頬に指があたった。
「ハルツ様……?」
「フィオーラ様、一つ訂正させてください」
フィオーラを見つめる瞳には、慈しみと感謝と、そして熱を帯びたなにかが揺れていた。
「私は以前、フィオーラ様は優しいと言いましたよね?」
「……はい」
フィオーラも覚えていた。
(そうよね、あんな暴力的な姿を見せたのだから、私のどこが優しいんだって、幻滅されてしまったわよね……)
自業自得だが、フィオーラは落ち込んでしまった。
すると小さく、ハルツが笑い声をあげていた。
「ふふ、誤解されないでください。私は感心しているんです」
「感心……?」
話の行く先が見えず、フィオーラは内心首を傾げた。
「私はフィオーラ様を優しいといいつつ、心のどこかで庇護すべき対象だと、下にみていたかもしれません。……ですがそんな思い上がりは、先ほど打ち砕かれてしまいました」
眉を下げ、少し困ったように、嬉しそうに。
ハルツが笑みを浮かべていた。
「フィオーラ様は優しいだけではなく、とても強いお方です。他人である私のことを思いやって動くことのできる、優しく強い心を持っているんです」
愛おしむように、ハルツの指先がフィオーラの頬の輪郭をなぞった。
「だからこそ私はきっと、こうしてあなたに惹かれ――――」
「フィオーラ」
ハルツの告白を遮るようにして。
アルムがフィオーラの名を呼んだ。
「ディルツと、彼の協力者たちを縛り終えたよ。次は何をするんだい?」
「そうですね、ちょっと待ってください。ハルツ様、失礼しますね」
アルムの方を向き、フィオーラはハルツから離れていった。
(ハルツ様が何を仰ろうとしたのか気になるけど……)
まずは、事件の後始末をきちんと終わらせなければならなかった。
フィオーラはアルムと共に、ディルツ達へと目を向けたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィオーラの背中を見つめ、ハルツは一人苦笑していた。
(つい、熱くなりすぎてしまいましたね……)
気が付けばフィオーラに触れ、あふれる思いを口にしようとしていた。
周りのなにもかも、ディルツとの確執も痛みも全て忘れて、フィオーラしか目に入っていなかったのだ。
(危なかった……。アルム様が動いてくれなかったら、私はどうしていたんだろうか……)
暴走を止めてもらい感謝する一方、不満に思う自分がいることも、ハルツは自覚していた。
(……フィオーラ様は本当に、人を惹きつけるお方だ)
初めて会った時は、泥だらけの痩せこけた少女だった。
身を清め、美しい顔立ちをしているのはわかったが、フィオーラの持つ本当の魅力は、その心の在りようにあるのだ。
(私はずっと、フィオーラ様のことを美しく心優しい、弱いほどに優しすぎるお方だと思っていました)
しかし違ったのだ。
第一印象は正しかったかもしれないが、フィオーラはアルムの主として振る舞ううちに、見違えるように変化していった。
(花が咲き誇るように、フィオーラ様は成長している)
先ほどの、ディルツへの打撃がその証だ。
ほんの一月ほど前までフィオーラは、自らを虐げる義母たちにさえ怒ることのできない、弱いところのある少女だった。
しかし今や、フィオーラは自分のためではなく、他人であるハルツのために怒ることができた。
今回の誘拐事件でも、自分にできることを考え持てる力を駆使し、積極的に捜査に関わっている。
(虐げられ、縮こまっていただけの少女はもういません。これからもフィオーラ様は、優しく強く成長し、多くの人間を救っていかれるはずだ)
フィオーラの未来を思い描き、ハルツは瞳を細めた。
(……この思いが身の程知らずであることも、叶うことがないのもわかっていますが……)
それでも、フィオーラの近くでその行く先を見てみたい、と。
ハルツは心に決めたのだった。
おかげさまでこのたび、「虐げられし令嬢は世界樹の主になりました」が漫画になります!
永倉先生による漫画版が、明日12月5日発売のビーズログコミックvol.95より連載開始です!
記念にこちらの方も、明日明後日と連続で更新していきますね。