69話 令嬢は王子を探し回る
教団を去る決意を固めたハルツは各所を回り、粛々と引き継ぎ作業を進めた。
全てをこなすにはまだ足りないが、数日のうちに終わるはずだ。
翌日の予定を考えつつ自室へ戻ると、水色の髪の神官、友人のサイラスが待ち構えていた。
「おいおまえ、無茶苦茶な要求を呑んで、本気で教団を去るつもりか?」
不機嫌さも全開に、サイラスが詰め寄ってくる。
「あぁ、そのつもりだよ。君も耳が早いな」
「……おれの質問に答えろ」
あくまでいつもの態度を崩さないハルツに、サイラスは視線を険しくした。
「誰よりおまえ自身が、ディルツの要求に憤っているはずだ。諦めたふりをして笑ってないで、少しは怒ってみろよ」
「……怒って、それでどうなるんですか?」
友人だけあって、サイラスの指摘は図星だった。
本心を暴かれ、ハルツは初めて苛立ちをのぞかせた。
「怒ってあがいても、それで結果は変わりません。私一人の首と、大樹の全ての権利。比べるまでも無く、教団にとってどちらが重いかは明白です」
「だからって、こんな理不尽を通すつもりか? 俺だけじゃない、フィオーラ様だって同じ気持ちに決まって――――」
「だからこそです」
断言したハルツの勢いに、サイラスは一瞬目を見開いた。
「ハルツ、おまえ……」
「フィオーラ様は優しいお方です。私が教団に残りたいと言えば力になってくれるでしょうし、望みを通すだけの力も、フィオーラ様は持っています」
「だったらどうして、おまえは黙って教団を去ろうとするんだ……?」
「今回だけではすまないからです」
ハルツは八歳まで、貴族としての教育を受けていた。
そして今も、教団内外での様々な折衝に関わっているため、わかってしまうことがある。
「私の望みを、フィオーラ様が叶えてくれたとしたら。この国の貴族や、そして外国の王侯貴族や政治家たちも、私がフィオーラ様の弱点だと、泣き所だと認識しますよ」
フィオーラ本人にはアルムがついており、物理的にも社会的にも、無理強いするのは難しかった。
だが、フィオーラの周りの人間に関してはその限りでは無かった。
「フィオーラ様の周りの人間を陥れれば、フィオーラ様を動かすことができる。そんな前例に、私はなりたくありません」
それは、ハルツなりのある種の意地だった。
(フィオーラ様はこの先花開き、より高く羽ばたいていくお方だ。私のような人間が、その足を引っ張ってはいけない)
ハルツはフィオーラのことを尊敬していたし、それなり以上に大切に思っていた。
春の日差しのような笑みを向けられると、心が浮き立つのも自覚している。
(……恐れ多い思いだ。アルム様が私に向ける視線が鋭くなるのも当然ですね)
ハルツは苦笑し、自らの思いへと蓋をした。
「私は、短期間であれフィオーラ様と関われた幸運を土産に、この教団を去るつもりです。この先、輝かしい道を歩む彼女と、再び歩みが交わることは無いでしょうが、遠くで彼女の幸せを祈っていますよ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エミリオの誘拐事件から二日後。
フィオーラは馬車にのり、王宮へと向かっていた。
(今日こそは、何か手がかりがつかめると良いのだけど……)
今のところ、エミリオの監禁場所については判明していなかった。
ディルツも王家も、そして教団やフィオーラ達も、それぞれ懸命に捜索を行っていたが、時間だけが過ぎている。
(エミリオ殿下、ご無事でいてくださいね)
今はただ、祈ることしかできなかった。
エミリオは気が強いが、年齢相応に泣き虫だった。
どこかで泣いていないか、痛い思いをしていないか、心配でたまらなくなってしまう。
(……ハルツ様も、心を痛めてらっしゃったものね……)
彼は自らの身の振り方ではなく、ただ誘拐されたエミリオのことを心配しているようだった。
(早く、エミリオ殿下の監禁場所の手掛かりか何かを見つけたいけれど……)
既にアルムと共に、ルシードの周辺など、怪しそうな人の屋敷は調査している。
しかし有力な手掛かりは得られていないため、藁にも縋る思いで、エミリオの自室を調べさせてもらうことにしたのだ。
「フィオーラ様、こちらのお部屋です」
王宮の侍女の案内に従い、子供に与えられるにしては大きな部屋へ案内された。
「……失礼いたします」
主不在の部屋に、律儀に挨拶をして入るフィオーラ。
しばらく部屋の中を見回すと、あるものに気が付いた。
「これは……。少しお話をよろしいでしょうか?」
「何でしょうか?」
エミリオ付きだという侍女へ、いくつか質問をしていく。
返ってきた答えに、フィオーラは頭を働かせた。
(これなら、どうにかなるかもしれないわ……)
考えを実行に移すべく、アルムへと振り返った。
「アルム、力を貸してほしいことがあるんですが―――――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィオーラがエミリオの部屋を訪れた翌日。
ハルツが身一つで、教団を去っていった。
追放同然の急な出立だが、最低限の引継ぎは終えている。
惜しまれながらもハルツが去った一方、王都のとある屋敷に、エミリオは転がされていた。
「お腹空いたな……」
くぅくうと鳴る腹を抱え、粗末な寝台に寝転んでいる。
右足には鎖がはめられ、寝台の脚へとつながっていた。
「僕、これからどうなるんだろう……」
不安と空腹に、吐き気がせりあがってくるようだった。
大樹の元での式典に向かい、天幕の中にいたところを、いきなり誘拐されたのだ。
ここがどこかはわからず、正確な時間も不明だ。
王子であり、人質でもあるため殴られることは無かったが、逃げられないよう見張られている。
うっかりエミリオが逃げられないように、食事も一日一度、二人組の男が持ってくるだけだ。
体の痛みこそないが、幼いエミリオの心は、既に限界を迎えかけていた。
背中を丸め涙をこらえていると、にわかに外が騒がしくなる。
「なんだ……?」
もしかして、助けがやってきたのだろうか?
エミリオの瞳に、急速に光が戻ってくる。
期待を胸に様子を伺っているエミリオだったが、
「なっ……?」
現れた思いがけない相手に、目を見開いたのだった。




