63話 令嬢は王子を慈しむ
アルムが世界の不思議に思いを馳せている頃。
フィオーラは政治学の先生から得た知識を整理し、復習をしていた。
(この国は今、揺れている……)
発端は、フィオーラがアルムの主になったことだ。
突如姿を現した次期世界樹の主に、千年樹教団は浮足立った。
生まれた波紋は貴族や王家にも及び、さらにそこへ王太子セオドアによる誘拐事件と、その結果のセオドアの廃太子まで重なったのだ。
(次の王太子が誰になるか、皆注目しているわ)
国の行く末を占う一大事だ。
王太子候補となるのは約二名。
精霊に目を輝かせていたエミリオと、そしてあの日王宮の奥庭にやってきたキザな青年、ルシードだった。
(どちらが王太子になるかは今のところ、互角と言ったところらしいわね)
理由はいくつかあるが、まず一つ目はセオドアの存在だ。
つい先日まで、血筋的にも年齢的にも能力的にも、セオドア以上に王太子に相応しい王子はいなかった。
王も臣下も皆、王太子だったセオドアがゆくゆくは王位を継ぐとなかば確信していたため、他の王子への関心が薄く支持基盤も弱いのだった。
セオドアは第一王妃の子で22歳だ。
同腹の弟王子が一人いるが、既に臣籍降下しているため王太子にはなり得なかった。
そのため第二王妃の子であり、今年21歳のルシードと、第三王妃の子であり今年8歳のエミリオがにわかに、脚光を浴びることになったのだった。
(エミリオ殿下はまだ幼いし、ルシード殿下の方は、母方である第二王妃の実家が弱いのよね)
ルシードの母親は公爵家の令嬢だった。
第二王妃となった当時は王妃として十分だったが、その後数年で実家の公爵家が傾き、今では困窮している。
第一王妃や第二王妃と比べると実家が弱く、それゆえセオドアと1歳しか年が違わないにも関わらず、かつては王太子の候補にさえならなかったようだ。
(性格の方は女好きでいい加減……らしいけど、幼い頃はとても聡明だったとも聞くのよね……)
能ある鷹は爪を隠す、という言葉もある。
ルシードが放蕩者のようにふるまうのは、油断させて王位を手に入れる策かもしれない。
軽んじることはできない相手のようだった。
(それにお二人に加えて、ディルツ様の動向もあります)
ディルツの父親、前・シュタルスタット公爵の妹は、エミリオの母親である第二王妃だ。
しかし第二王妃が若くして亡くなったこと、そしてセオドアの王太子の地位が盤石だった玉枝、前シュタルスタット公爵はエミリオではなく、セオドアを積極的に支持していたらしい。
フィオーラが監禁されていた屋敷をセオドアに貸していたのも、彼の機嫌を取るためだったのだ。
(でも、そうして恩を売っていたセオドア様は失脚してしまった)
シュタルスタット公爵家としては、計算が狂った形だ。
ある意味幸運ともいえ、この機会に自らと近しい血を持つ、エミリオへと鞍替えしたらしい。
(……もっとも、エミリオ殿下本人はそういった政治的な立ち回りは、あまりご存じないようだったけど……)
エミリオはまだ八歳だ。
今まで王太子からは程遠い立ち位置にいたこともあり、政治には関わっていないようだ。
エミリオ本人の知らないうちに、彼の周りの大人たちが、、あれこれと動いているのだった。
(エミリオ殿下も、大変な立場ですよね……)
王族である以上、政治的なしがらみからは逃れられない運命だ。
まだ彼本人の自覚は薄いようだが、先々には大変な道のりが待っていそうだ。
(……行く先に気を付けないといけないのは、私もね。エミリオ殿下エミリオ殿下とルシード殿下、どちらが王太子に選ばれるかはわからないけど……)
意に添わない政治的利用をされないよう、フィオーラも注意しなければならないのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おっ、フィオーラ、今日もまた来たんだな」
フィオーラが王宮の奥庭に向かうと、エミリオに出迎えられた。
ティグルの横に立ち、待ってくれていたようだ。
「こんにちは、エミリオ殿下。それに精霊様も、お出迎えありがとうございます」
「ぶるるっ‼」
ティグルは一鳴きすると、フィオーラの頬に鼻面を押し付けてきた。
ここ十数日繰り返された、精霊の信愛表現だった。
エミリオと二人、ティグルを撫でていると、背後でアルムが呟いた。
「……フィオーラとエミリオが一緒にいるのを見ても、ハルツの時のようにはならないのか……」
「アルム、どうかしましたか?」
呟きの内容が聞こえず、フィオーラが問い返すと。
「……なんでもない」
アルムに誤魔化されてしまった。
(珍しい……)
アルムは基本的に、フィオーラの質問には包み隠さず答えてくれた。
そんな彼が誤魔化すのは珍しく、少し気になってしまう。
(……でも、アルムだって私に言えないことがあっても当然よね。私はあくまで、アルムの主でしかないんだもの)
気にならないと言ったらウソだけど。
フィオーラは頭を振り気持ちを切り替えると、ティグルの頬をかいてやった。
「るるるっ………」
長いまつ毛に覆われたティグルの瞳が、心地よさそうに細められる。
指の腹でやさしく顔をかいてもらうのが、ティグルのお気に入りだった。
「精霊様、気持ちよさそー。これなら今日も俺のこと、乗せてくれるかな?」
「聞いてみますね」
フィオーラがティグルへと尋ねると、長い頭が上下に振られる。
承諾の合図だった。
「それじゃあティグル、それにアルムとイズーも。よろしくお願いしますね」
「ひひんっ‼」
「きゅっ‼」
「あぁ、わかったよ」
フィオーラの声に、三者の返事が重なった。
わくわくとするエミリオにまず、アルムが蔦を伸ばす。
蔦でエミリオを持ち上げ、ティグルへと座らせてやる。
そのまま蔦はエミリオと精霊の胴体をくくりつけるように巻き付き、落ちないよう命綱になっている。
「きゅきゅっ‼」
馬上のエミリオの肩へと、長い尾をはためかせイズーが駆け上っていく。
イズーの役割は、命綱その2だ。
万が一、エミリオの蔦が外れてしまった時、風を吹かせ助けてもらうのだ。
「よし!! 出発だ‼」
「きゅっきゅー‼」
楽し気なエミリオとイズーの声を残し、ティグルが駆けていった。
それなりに速度が出ており、風を切って奥庭を走り回っている。
エミリオもイズーも楽しそうで、はしゃぐ声が風に乗って聞こえてくる。
(エミリオ殿下もこうされていると、ただの子供ですよね)
無邪気に遊ぶエミリオ。
政治に煩わされることも無い、子供らしい時間が長く続けばいいと、フィオーラは願うのだった。




