61話 令嬢は侍女に詰め寄る
「きゃっ⁉」
フィオーラが思い悩んでいると、眉間にアルムの指先が触れていた。
「アルム、いきなりどうしたんですか?」
「眉間のしわをのばしているんだ」
アルムの指がむにむにと、眉間を揉みほぐしている。
「人間は、眉間に皺が寄ると健康に悪いんだろう? だからこうして伸ばしているんだ」
「あ、ありがとうございます。でもそれは、比喩表現のようなものなので、そんなに熱心にやってもらわなくても、もう十分ですよ」
「……本当に?」
フィオーラの真意をうかがうように、アルムが覗き込んでくる。
深く澄んだ若葉を思わせる瞳に、あわい銀のまつ毛の影がかかっている。
まつ毛の影の、その本数さえ数えられそうな距離に、フィオーラの息が一瞬つまった。
「……っ‼」
「どうしたんだい? やっぱりまだ、眉間が揉み足りないのかい?」
「だ、大丈夫ですっ‼ ほら私、元気ですから‼」
元気さを印象付けるように大声で叫ぶと、フィオーラは身を引き距離を取った。
心臓が騒いでいるのは、急に眉間を揉まれ驚いたせいだと、そう思いたいところだった。
「……もう元気になったのかい? よかった。ならやっぱり、ノーラの言っていたことは正しいんだな」
「ノーラの言っていたこと?」
フィオーラが瞳を動かすと、ノーラが小さく舌を出して笑っていた。
「『人間は眉間にずっと皺が寄っていると病気になってしまうんです。もしフィオーラ様の眉間に皺が寄っていたら、すぐに揉んであげてください。そうすれば二人の距離が急接近して、効果抜群ですから』と、ノーラが教えてくれたことを実行してみたんだ」
「……そうだったんですね」
ノーラの言ったことは間違いではないが、あまりに大げさすぎる。
そんな彼女の助言を、アルムはすっかり信じ込んでしまったようだ。
(だってアルムはまだ、人間歴2か月だものね……)
アルムは先代世界樹から受け継いだ知識で、おおおまかな人間の暮らしや心について知っていた。
しかし、知識はあくまで知識でしかなく、細部には抜けも多かった。
基本的に聡明で学習力が高いため、ここ最近は大きな騒ぎも起こさず人間社会で暮らしているがが、時にはすれ違い勘違いしたまま、突飛な行動に出ることがあった。
「アルムのおかげで元気が出ました。でも、他の人の眉間をいきなり揉んだり、顔を覗き込むのやめてくださいね? 驚かれて、騒ぎになるかもしれません」
アルムの優しさは嬉しいが、彼は浮世離れした美貌の持ち主だ。
いきなり至近距離でその美貌を目にしては、相手の心臓に優しくない状況だった。
「あぁ、やらないよ。こうして僕から触れたいと思うのは、フィオーラ一人だけだからね」
「……」
迷いも照れも無い、まっすぐすぎるアルムの言葉に、フィオーラの方が恥ずかしくなってしまう。
(うぅ……。顔が赤くなりそう……)
勝手に意識してしまい、頬に熱が集まっていくのがわかった。
真摯にフィオーラを心配してくれるアルムに対して、合わせる顔が無い思いだ。
「あらあらあらあら! フィオーラお嬢様、愛されていますね」
「ノーラっ‼」
きゃいきゃいと盛り上がるノーラへと、フィオーラは慌てて詰め寄った。
髪が触れ合うほどに近寄り、アルムに聞こえないよう小声で話しかける。
「そんなことを言ってはアルムに失礼よ!アルムには全く、そんな気はないんだから」
「ふふふ、『そんな気』ってどんな気ですか?」
「うっ、それは、そのっ……」
自爆してしまったことに気づき、フィオーラは口ごもった。
(もうっ、ノーラったら……!)
ノーラは忠実な侍女だ。
いつでも主人のことを思い、時に友人のように接してくれている。
フィオーラにとっては得難い存在だが、ノーラも年頃の少女だ。
恋の話が好きで、時々アルムの姿にうっとりとしていた。
世界樹の化身であり、並外れた美貌の持ち主であるアルムを、自らの主人であるフィオーラとどうにか恋愛的にくっつけようと、あれこれ動いているのだ。
「アルムと私は、そういう関係じゃないわ。私はアルムの主なの。だからアルムも、私を気遣ってくれるのよ」
「今はまだ、主として慕っているだけかもしれませんよ? ゆくゆくはフィオーラ様に熱い口づけをして求婚をして―――――」
「ないわ。そんなことありえないわよ」
ノーラの妄想を否定しつつも、フィオーラの胸にちくりと痛みが走った。
(……アルムはあくまで、主として私を慕ってくれているだけだもの)
いうなれば、ある種のすりこみのようなものかもしれない。
鳥のヒナが、初めて見た相手を親と認識しついていくように。
アルムもまた、若木の頃から世話をしてくれたフィオーラを慕ってくれているのだ。
(……そして鳥のヒナはいずれ大きくなって、自らの番を求めるものよ)
アルムにもいつか、そんな相手が現れるかもしれない。
想像するだけで、フィオーラの鼓動が嫌な音を立てるが、十分ありえる未来予想図だった。
(アルムは優しくてまっすぎで、それにとても綺麗だもの。きっと同じように心優しくて明るくて、心も外見も美しい人と結ばれるのよ……)
だから勘違いしてはいけない、と。
痛む胸を感じながらフィオーラは再確認をした。
アルムがフィオーラを慕うのは主であるからだ。
それ以上でもそれ以下でもなく、他の何かを期待してはいけないと、心に刻まなければならなかった。
「フィオーラ? ノーラと二人して、どうしたんだい?」
「……いえ、なんでもありません」
どうにか表情を取り繕い、フィオーラはアルムへと振り返った。
アルムは納得できなかったのか、わずかに目を細めている。
「やっぱり何か、悩みごとがあるんじゃないか? さっきだってずいぶんと、考え込んでいたようじゃないか」
「あれは、シュタルスタット家との経済的なやりとりについて、考えていただけです」
悩みごと、という指摘に、フィオーラは少しどきりとしてしまった。
(シュタルスタット家とは経済面の条件について交渉しなきゃいけないけど、向こうが求めてきた条件は、他にもあるのだものね……)
ずばり、フィオーラへの求婚だった。
シュタルスタット家は大樹から得られる利益の全てを教団に譲る代わりに、フィオーラとの婚約を認めてほしい、という提案もしていた。
(……ディルツ様の私への求婚をアルムが知ったら、大事になってしまうわ)
うぬぼれではなく、それは確かな事実だ。
以前フィオーラは、婚約を求めるセオドアの手によって拉致監禁の被害にあっている。
そのせいでアルムは、フィオーラへの求婚について敏感だ。
耳にするだけで不快な記憶が連想され警戒心が刺激されるのか、機嫌が悪くなっていた。
無暗にアルムを刺激し心配させないよう、ディルツからの求婚も秘密にしているのだった。
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次話は土曜に更新予定です。




