60話 令嬢は司教の過去を知る
「最悪、あの場で殺されていたのかもしれないことを思えば、公爵は優しかったですよ。『この先、おまえが公爵家の人間として振る舞うのは許さん。全てを捨て去り、神官にでもなり生きていけ』と言われたんです」
ハルツが淡々と、自らの過去を語っていく。
「公爵に怒鳴られながらも、それでも私はどこかで納得し、受け入れていました。生まれてからずっと、愛人に夢中な母だけではなく、父も私にはよそよそしかったんです。むしろ、公爵家を出ていけと言われたことで、何年も抱いていた違和感が解消され、すっきりしたのを覚えていますよ」
「……だとしても、それは……」
あまりにも容赦が無さすぎる。
ハルツは何も悪くないのにどうして、と。
喉まで出かかった言葉を、フィオーラは引っ込め呑み込んだ。
(どんな過去があったとしても。ハルツ様はその全てを受け止め、こうして神官として勤めていらっしゃるわ)
だからこそフィオーラも、簡単には慰めの言葉を言えなかった。
「フィオーラ様の感じられている思いはわかります。私だって当時はそれはもう、自らの運命を恨んだものです。母を恨み父を恨み自分の血を恨んで……でも、そんな私も、教団は受け入れてくれたんです」
教団は、迷える人々に門戸を開いている。
ハルツもまた、教団により居場所を得て、救われた人間のようだった。
「少しずつ落ち着いて、偶然にも樹具を扱う才能があることもわかって、どうにか折り合いをつけ歩んできた結果が、今の私なんです。私の方は、それで満足しているのですが……」
「……ディルツ様は違うのですね」
先ほどの、ハルツを睨みつけるディルツの目を思い出す。
まるで仇を見るような、憎悪に塗れた視線だった。
「私が不義の子であったことで、ディルツ様が本当に自身の子であるか、公爵も自身が持てなくなったようです。私は教団の庇護下にいたため、その後を詳しくは知りませんが……。ディルツ様もディルツ様で、苦労なされたようですね」
ハルツが苦笑を浮かべていた。
神官として悩める人々に奉仕してきた彼にとっては、自らを憎むディルツさえ、労わりの対象なのかもしれない。
「……ハルツ様は優しいのですね」
心からの尊敬を込め、そう告げたフィオーラだったが、
「フィオーラ様、いけませんよ」
ハルツになぜか、注意をされてしまった。
「……何がいけないのでしょうか?」
「私は優しくなどありませんから、勘違いしてはいけません」
「ですが……」
「私がディルツ様の様子を気にかけるのは、こちらにまで火の粉が飛んでこないように、という自衛の思いからです。彼に対して同情しているわけでも、肉親としての情が残っているわけでもありませんよ」
幻滅しましたか、と。
ハルツが目を細めた。
「だから私は、優しくなんてありませんよ。むしろ、長年虐待されてきたにも関わらず、こうして他人である私を気遣い心配してくださるフィオーラ様の方が、ずっと優しい心をお持ちです」
「……そんなことはありません。ハルツ様が私にお心を砕いてくれたからこそ、心配になったんです」
「……それが優しいと言っているのです。フィオーラ様の優しさは美徳ですが……それにつけこもうとする人間もいるのです。わざとらしく己が悲しい過去を語り同情を引こうとする、例えば私のようにね?」
少しおどけた様子で、ハルツが笑みを深めた。
「先ほどは、無様な姿を見せてしまいましたが……。あれは思いもしないディルツ様との再会に驚き、咄嗟に対応を決めかねていただけです。私はこの通り吹っ切れていますから、フィオーラ様に心配していただくようなことはありませんよ」
「……」
ハルツにそう言われては、フィオーラとしてはそれ以上、言うべき言葉が見つからないのだった。
「さて、少し遅れてしまいましたが、昼ご飯にしましょうか。この先しばらく、ディルツ様にこれ以上目をつけられないよう、私はフィオーラ様に近づかないことにいたします。そのための準備を、昼ご飯を食べたらさせていただきますね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ハルツは宣言通り、翌日からフィオーラの傍を離れることになった。
同じ教団の建物内にはいるのだが、挨拶をすることもなくなっている。
「少し寂しいですね」
侍女のノーラがぽつりと呟いた。
フィオーラもまた、彼女と同じ気持ちを抱えていた。
(教団にきて、一番お世話になっていたのはハルツ様でしたからね……)
思えばいつも、ハルツには助けられていたのだ。
そっとため息をつくと、イズーもどこか浮かない顔をしている。
お茶会のたび、いつも好物のクッキーを準備してくれるハルツに、イズーは懐いていたのだった。
(……ハルツ様はハルツ様で、やるべきことがあるのだもの。私も頑張らないと……)
寂しさを振り払うように、フィオーラは頭を振った。
(ディルツ様との、シュタルスタット公爵家との交渉もあるものね)
大樹が生えている土地は、シュタルスタット公爵家のものだ。
教団に土地を譲り渡す気はあるようだが、その条件で軽く揉めているらしい。
(大樹には、衛樹と同じように、黒の獣を遠ざける効果があるらしいし、落ちた枝葉から、樹具が作れるかもしれないのよね……)
その価値は計り知れず、現金な話をすれば、金の生る木そのものだった。
シュタルスタット公爵家が、そのおこぼれに預かろうと粘るのもごく自然なことだ。
(大樹から得られる枝葉の配分に、様々な経済効果の受取先の取り決め……。決めるべきことは、たくさんあるようだものね)
フィオーラはつい最近、政治について学び始めたところだ。
シュタルスタット公爵家の提示してきた条件が妥当かどうかはわからないため、詳しい交渉は教団に行ってもらっている。
任せきりにならないよう、できるだけ早く知識を身につけたいところだ。
(……加えて、向こうが求めてきた条件は、金銭面だけではないものね)
それもまた、フィオーラの頭を悩ますことだ。
やるべきこと、考えるべきことの多さに眉間にしわを寄せていると――――
「えいっ」
「きゃっ?」
眉間に触れる、少しひんやりとした体温。
アルムの指先が、眉間にあてられていたのだった。
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