59話 令嬢は公爵と相対する
「私の名はディルツ・シュタルスタット。つい先日、公爵家の当主についた者さ」
大樹を背に、男性はそう名乗った。
公爵家の当主とは、やはり大物のようだ。
失礼のないように気を付けつつ、フィオーラはドレスの裾を引き礼をした。
「こちらこそ、ディルツ様にお会いできて光栄です。ディルツ様はなぜ今日、この大樹の元へいらしたのですか?」
「なに、大した用ではないよ。わが家の土地がどうなっているのか、確かめにきたところさ」
ディルツは大樹の葉の隙間から落ちる光に、青色の瞳を細めた。
細く通った鼻梁の横顔に、フィオーラはやはりどこか、既視感を覚えてしまった。
(やっぱり、気のせいじゃない……?)
既視感の正体を思い出そうとしていると、ディルツが近くへと寄ってきた。
甘い笑みを浮かべながらも、瞳は笑っていないと、フィオーラにはわかってしまった。
「だが、思ってもいない収穫があったようだ。どうですかフィオーラ様、この後私と一緒に、お食事などいかがでしょうか?」
「ありがたいお誘いですが、申し訳ありません。この後ここで、教団の方と合流して大樹の様子を確認して、そのまま昼にする予定なんです」
「おや、ならばその場に、私もお相伴してもよろしいかな?」
「……教団の方に聞いてみますね」
フィオーラは言葉を濁した。
予定外だが、相手は公爵家の当主だ。
そのお誘いを、無下に断ることは出来なかった。
気を使いつつ、ディルツとの会話をこなしていると、教団の紋章を掲げた馬車がやってくる。
馬車から降りてきたのは顔なじみの相手。司教のハルツだった。
「フィオーラ様、それに、ディルツ様も……」
ハルツの表情は硬かった。
いつも穏やかな彼には珍しいことだ。
青色の瞳を揺らがせた彼を見て、フィオーラに思い至ることがある。
(あ、そうか。既視感の正体は、ハルツ様だったのね)
向かい合うハルツとディルツ。
二人は髪の色が似ており、顔立ちにも似通った雰囲気があった。
「……っちっ。こんなところで、おまえと顔を合わせるとはな」
舌打ちの音が響く。
先ほどまでの上品な印象が一変した、ディルツによるものだった。
「ハルツ、もしやおまえ、フィオーラ嬢と仲良くしているのか?」
「……神官としての職務の一環で、関わらせていただいているだけです」
「ふん。おまえらしい、面白味の欠片も無い答えだな」
ディルツは忌々し気だ。
嫌悪感を隠すことなく、睨むようにハルツを見ていた。
「フィオーラ様。申し訳ないが、先ほどの昼餐の話、私は遠慮させてもらおう」
踵を翻し、ディルツが遠ざかっていく。
「そして、昼餐を共にする代わりに忠告だ。そこのハルツは、わが公爵家を破滅させかけた男だ。フィオーラ様も迷惑をかけられないよう気を付けた方がいい」
ディルツがその場を去るとハルツが少しだけ、気を緩めるのがわかった。
「フィオーラ様、申し訳ありません。私のせいで、不快な思いをさせてしまったようです」
「……ハルツ様は、悪くないと思います」
かってに一方的に、ディルツが言葉を投げ捨てていっただけだ。
(何かご事情があるようだけど……)
ハルツはフィオーラに親身になってくれた、優しく頼れる神官だ。
そんな彼に、一方的に罵られるような過去があるとは思えないのだった。
「ディルツ様はもしかして、ハルツ様の血縁者なのですか?」
「……兄、ですよ」
ハルツがあっさりと、苦笑を滲ませながらも教えてくれた。
「ただし、父親は違っているんです」
「異父兄……」
それはまたわかりやすく、厄介そうな関係だった。
(ハルツ様、出身は貴族だと思っていたけど、公爵家と関わりがあったんですね……)
以前から、貴族相手でも物おじせず、交渉事も巧みにこなすなど、片鱗は各所に覗いていた。
とはいえ、貴族の中でも上位に当たる、公爵家の関係者だったのは驚きだ。
「ハルツ様はなぜ、貴族の身分を捨て神官になったのですか……?」
これは自分が聞いても良いことなのだろうか?
そう心配になりつつも、フィオーラはハルツ司教へと尋ねた。
「そうですね……。一応隠してるとはいえ、少し調べればわかることです。まず、何からお話しましょうか――――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ハルツ司教とディルツの母親は、奔放な女性だった。
恋多く、いくつもの浮名を流す美女。
その美貌はしっかりと、ハルツ司教にも受け継がれているようだった。
「そして私の母親は、公爵夫人の座に収まり兄上を産んだ後もなお、火遊びを続けていたんです。慎みを知らない人間だったんでしょうね」
実の母親のことを語りながらも、ハルツは淡々と他人行儀だった。
そうならざるを得ないだけの、過去と痛みが垣間見えるようだ。
「燃えあがる恋と欲望のまま、何人もの愛人と遊んでいた彼女は、ついに火遊び相手との子、つまり私を、胎に宿すことになったんです。貴族にとって、火遊びは嗜みのようなものですが、子を宿せば話は別になります」
ハルツが生まれて九年後に、彼が公爵の子ではありえないと判明したのだ。
公爵夫妻は冷え切った夫婦であり、寝室を共にするのも年に1、2回といった有様だったらしい。
そのため、出産と寝室を共にした時期がややずれており、公爵は怪しんでいたのだ。
「……それでも公爵は一応途中までは、私を実の子として育てていました。火遊びの子など、外聞が悪すぎますからね」
しかし悪事と言うのは、どこからか漏れるものなのです、と。
ハルツが他人事のように語った。
「ちょっとした偶然で、私の母が愛人へと出した手紙を、公爵が見てしまったんです。そこには愛人こそが私の父であると書かれていて、母も言い逃れができなくなったようです」
当然、公爵はそれはもう激高したらしい。
だがハルツは既に、正式な公爵家の子として認められてしまっていたのだ。
自身の血を引かない子を何年も育てさせられた事実に怒り狂い、まだ幼いハルツにも当たり散らしたらしい。
「そんな、酷いです。ハルツ様自身は、何も悪くないのに……」
「仕方ありませんよ。公爵にとっては、私の存在自体が憎たらしかったでしょうからね」
公爵の気持ちもわかりますよ、と。
ハルツは呟いている。
「最悪、あの場で殺されていたのかもしれないことを思えば、公爵は優しかったですよ。『この先、おまえが公爵家の人間として振る舞うのは許さん。全てを捨て去り、神官にでもなり生きていけ』と言われたんです」
感情の色も無く淡々と。
ハルツは過去を吐露していったのだった。
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