56話 令嬢は精霊たちの戯れを見守る
フィオーラの樹歌により、馬の姿をした精霊が生まれた翌日。
アルムと護衛の兵たちに付き添われ、その日もフィオーラは王宮の奥庭を進んでいた。
ティグルと名付けられた精霊は、銀のたてがみをたなびかせ立派な姿だが、まだ生まれたばかりだ。
しばらく精霊樹の近くで体を慣らしてもらい、それから黒の獣の退治に赴くいてもらう予定だった。
(あと十日ほどらしいから、それまでは毎日会いたいです)
ティグルが旅立つまでの間は毎日、足を運ぶことにしている。
フィオーラが顔を出すと、ティグルがとても喜ぶからだ。
生まれた時には既に、人間よりも大きな立派な体躯を持っていたが、仕草はどこかあどけなかった。
「こんにちは。今日も元気ですか?」
フィオーラが呼びかけると、ぱからぱからと近づいてくる。
蹄の音も軽やかで、母馬に駆け寄る仔馬のような足取りだ。
ティグルはフィオーラの前で立ち止まると、顔をすり寄せてくる。
長い鼻面が、優しい力加減でフィオーラの頬をこすり、くすぐったさを感じさせた。
「ふふ、ありがとうございます」
お返しに、首筋をたてがみにそって撫でてやった。
フィオーラが背伸びをして腕を伸ばし、ようやく届く程にティグルは大きい。
ティグルは大きいだけではなく、樹歌を使うことで、雷を操ることも出来る。
人間を大きく超えた力を持つティグルはしかし、フィオーラを傷つけないよう、細心の注意と愛情を払っているのだった。
「きゅっ‼」
甲高い声が上がった。
イタチに似た姿をした精霊、イズーの鳴き声だ。
フィオーラの肩の上に陣取っていたイズーは、ティグルの鼻息の直撃を受けたようだった。
「きゅきゅっ‼ きゅいきゅきゅっ‼」
お返しだ!
と言わんばかりにイズーが風を操り、ティグルへとぶつける。
ぶわりとたてがみが舞い上がり、ティグルは目をしばたかせた。
数度瞬きすると、もう一度鼻息を吐き出す。
先ほどとは違い、今度はわざとイズーへと当てている。
鼻息をふきかけ、反対にイズーに風を吹きかけられ。
二体の精霊は、とても楽しそうに遊んでいた。
「あのちっこいイタチみたいな精霊様、すごいな」
「エミリオ殿下! 今日もいらっしゃったんですね」
フィオーラの横に、小さな赤い頭が顔を出した。
この国の末の王子であるエミリオだ。
イズーとティグルがじゃれあい追いかけっこする姿を、目を輝かせて眺めている。
「あの精霊様、僕よりずっと小さいのに、ティグルより早く走ってないか?」
「イズー……イタチの精霊は、風を操れるんです」
「さすが精霊様だな!」
エミリオが頬を赤くし叫ぶと、
「きゅふっ‼」
声援には答えるよ!
とばかりに、イズーが風を吹かせた。
赤い髪がばさばさと風に踊り、エミリオが目をしばたかせる。
「え? え? 精霊様、僕の言葉がわかるのか?」
「はい、わかるみたいです。思いを込めて声に出せば、イズーたちは応えてくれますよ」
言いながらフィオーラは、エミリオの髪を整えてやった。
子供らしく柔らかな髪の毛の感触に目を細めていると、
「っ! やめろ!!」
ぶるぶると頭を振られ、跳ねのけられてしまった。
せっかく整えた赤毛が、無造作にばらまかれてしまっている。
「これくらい自分で直せるからな?」
「……すみませんでした」
出過ぎたことをしてしまったと恥じながら、フィオーラは引き下がたった。
つい、反射的に撫でてしまったが、エミリオはこの国の王子だ。
気安く触っては、いけない相手だった。
「子供扱い、されたくないお年頃なのよ」
フィオーラの耳元で声がした。
イズーに代わって肩の上に飛びのった、モモンガの姿をした精霊・モモだ。
円らな黒い瞳をエミリオに向け、にやりと笑っているようだった。
「……それともあれかしら、相手がフィオーラだからこそ、子供扱いされたくないのかもね」
モモの呟きの後半は、フィオーラには聞き取れなかった。
通常精霊は、人の言葉を理解はできてもしゃべれないものだ
モモは、無駄に注目を浴びるのを嫌っているため、フィオーラやアルム以外に対しては、ただの愛らしいモモンガ精霊のフリをしていた。
フィオーラはモモの頭を撫でてやりながら、エミリオからそれとなく視線を反らした。
しばらくの間、エミリオは自身の頭髪と格闘していたが、ようやく満足できたようだ。
何事も無かったかのように小さな胸を張るエミリオへと、イズーがめざとく駆け寄ってくる。
「きゅいっ‼」
「うわっ⁉」
えいやっと、イズーが再び突風を吹かせた。
整えたばかりの髪をぐしゃぐしゃにされ、エミリオが叫び声をあげイズーを追いかける。
「やめろよっ‼ このこのっ‼」
「きゅきゅふっ‼」
精霊様、と呼んでいた敬意はどこへやら。
ムキになって追いかけるエミリオから、イズーがきゃいきゃいと逃げ回っている。
最初は怒っていたエミリオも楽しくなってきたのか、笑いながらイズーを捕まえようとしていた。
微笑ましいじゃれあいに、フィオーラは目を細めていたが、
「わあっ!?」
イズーを捕まえようとした勢いのままに、エミリオが突っ込んでくる。
彼が怪我をしないよう、咄嗟に受け止めようと手を広げた。
「まったく」
横で響く、葉擦れのような声色。
フィオーラが覚悟した衝撃は訪れず、代わりにエミリオの体は蔓に絡めとられ、勢いをとどめられていた。
「人間の子供は忙しないな」
目をぱちくりとさせるエミリオを、静かに見下ろす若葉の瞳。
アルムがかすかに呆れた様子で、蔦を操っていた。
世界樹の化身である彼からしたら、呼吸をするように簡単な動作だった。
アルムの視線一つで蔓がほどけ、エミリオが地面へ降り立つ。
「……っ、そろそろお腹が空いてきたな」
アルムに助けられ恥ずかしいのか、エミリオが顔を背け呟いた。
「フィオーラは今日も、鞄の中におやつを持ってきてるんだろ? 早く開けて食べようぜ」
「殿下、今日は駄目です。これはティグルに与えるようなんです。殿下はもうすぐお昼ごはんですから、食べてはいけませんよ」
「それがどうした?」
フィオーラの静止にもめげず、エミリオが鞄へと手を伸ばした。
「ケチくさいこと言うなよ。ほらっ、いただき――――うわおっ⁉」
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次話は明日月曜に更新予定です。




