55話 令嬢は王子と出会う
フィオーラが王宮の精霊樹を実らせ、十日が過ぎていた。
順調に行けば今日にでも、実の中から精霊が誕生するはずだ。
どのような精霊が生まれるか確認するため、フィオーラは王宮に招かれている。
王宮の奥庭を進み、精霊樹へと近づくと、小さな人影を見つけた。
(子供? こんなところに?)
奥庭は国王の命令で人払いがされている。
貴族と言えど、入り込むことは出来ないはずだが……。
「あのお方は……」
フィオーラ達に付き従っていた、王宮の衛兵が顔を強張らせる。
潜り込んでいた子供に、心当たりがあるようだ。
「? なんだおまえたちっ?」
子供の方も、こちらに気づいたようだった。
「こんなところで何をしてる? 今日は立ち入り禁止だぞ!?」
小さな肩を怒らせながら、7,8歳ほどの赤毛の少年が近寄ってくる。
見るからにやんちゃそうな少年だが、着ている衣服は上等だ。
「エミリオ殿下こそ、こんなところで何をされているのですか? 早くお部屋に帰られるべきです」
「失礼だなっ‼ 僕は崇高なる目的のために、ここにやってきたんだぞ!?」
エミリオが腰に手を当て胸を反らす。
『崇高なる』という部分にだけ、やけに力が入っていた。
覚えたての難しい言葉を口にできて、得意になっているのかもしれない。
(エミリオ殿下……。この国の一番年下の王子、ですよね)
確かに王子らしく、幼いながらもなかなかに偉そうな口調だ。
王宮で暮らしている王子ならば、小さな体で警備の目をすり抜け、時に王族の威光で押通り、ここにやってきたのも納得だった。
「おい? そこの棒女?」
「……私のことでしょうか?」
フィオーラはエミリオと視線を合わせた。
棒女。
凹凸の少ない体を見てそう呼ばれたらしく、悲しい。
悲しいが、相手は子供だし、この国の王子だ。
礼儀にのっとり礼をし微笑みかけたが、ぷいと目を反らされてしまった。
「ぼ、棒女、早くここから出て行けよ‼ これからここで精霊が生まれるんだぞ!?」
「はい。存じ上げています。精霊の姿を確認するために、私はやってきたんです」
「なんだと⁉」
「申し遅れましたが、私が陛下から精霊の件を任された、フィオーラと申します」
「おまえがあのっ⁉」
信じられないと言った顔で、エミリオが呟いた。
「おまえがあの、セオドア兄上をぶん殴ったという女傑なのか?」
「女傑……」
いったい、自分の噂はどんな尾ひれがついて、王都を泳ぎ回っているのだろう?
フィオーラが疑問に思っていると、エミリオが近寄ってきた。
上下左右あらゆる角度から、無遠慮にフィオーラのことを観察してくる。
「嘘だろう……おまえみたいなきれ……棒女が、あのセオドア兄上に勝ったとか・……。棒女、おまえどこかに武器でも隠し持ってるのか? その場で飛び跳ねて見ろ棒女。隠し武器を見つけてや――――うわっ?」
エミリオの体が蔦で縛られ持ち上げられ、フィオーラから引きはがされている。
「フィオーラ、こんなやつほっといて先へ行こう」
「このっ‼ おまえ何するんだ? 僕は王子だぞ‼」
「だから何だい?」
エミリオの叫びを、アルムは一顧だにしなかった。
フィオーラへの度重なる暴言に、我慢を越えたようだった。
「王子なら、人を失礼なあだ名で呼んではいけないと、そう教わらなかったのかい?」
「ふざけるな‼ 棒女を棒女と呼んで何がわる―――――うわぁぁぁぁっ?」
エミリオの悲鳴が響き渡る。
アルムの樹歌に操られた蔦が容赦なく、エミリオの体を振り回す。
木や地面に叩きつけたりこそしないが、かなりの速度が出ていた。
「アルム、待って。そろそろ殿下、目が回って吐きそうです」
「……仕方ないな」
エミリオが蔦から解放される。
座り込んだエミリオは、うなされるように口を開いた。
「へ、変なあだ名で呼んで、すみませんでした……」
涙目で、フィオーラとアルムに頭を下げるエミリオ。
「あの殿下が、他人に謝罪をするなんて……」
衛兵が小声で呟いた。
……いつも、エミリオがどれだけわがままなのか、嫌でもわかる発言だった。
「フィオーラ、早く精霊樹へ向かおう。もうすぐ精霊が産まれそうだ」
アルムに急かされ歩き出す。
べそをかくエミリオも、衛兵に支えられついてきた。
一人で置き去りにして、もし攫われでもしたら大変だから、そのまま一緒に精霊樹へと向かうことにする。
(今にも、精霊が飛び出してきそうですね)
精霊樹から下がった精霊の実には、何本ものヒビが走っている。
内部からは、卵の殻を叩くような音がして、ヒビが大きくなっていく。
フィオーラが近づき、精霊樹へと手を振れる。
ヒビわれから蛍のような光が舞い散り、一陣の風が吹き出した。
「ぶるるっ‼」
風がおさまる。
銀のたてがみをたなびかせた馬が、静かな瞳で立っていた。
しなやかな筋肉に覆われた体は、彫刻のように美しい。
生まれたての精霊は一声いななきをあげると、面長の顔をフィオーラへとすりよせた。
「かっこいい……」
エミリオが呟いた。
いつの間に涙が乾いたのか、引き寄せられるように精霊へと歩き始める。
「殿下、もしかして、精霊に触りたくて忍び込んできたのですか……?」
フィオーラの問いに答えることなく、エミリオは精霊に近づいていく。
しかし、精霊が前脚で地面を鳴らすと、びくりと動きを止めてしまった。
エミリオは精霊と、そしてフィオーラとを交互に見つめた。
「僕は今日、新たに生まれる聞いた精霊に、王子自ら祝福を与える崇高な任務のためにきてやったんだ」
……もったいぶった言い回しをしているが、要約すると精霊を撫でたいようだった。
「……殿下が触っても良いですか?」
精霊へと問いかける。
精霊はけぶるような長いまつ毛をまたたかせた後、しっかりと頷いたようだった。
「殿下、優しく柔らかく、そっと撫でてあげてくださいね」
「わ、わかった‼」
おっかなびっくりと言った様子で、エミリオが精霊に手を触れた。
背伸びをし、首元から胴体へと、ゆっくりと掌で撫でおろす。
「これが、この国を守ってくれる精霊……」
瞳を輝かせ、エミリオが夢見心地で呟いた。
(殿下の今のお気持ち、私もちょっとわかります)
イズー達をのぞけば、この国で最後に精霊が生まれたのは、今から五十年以上昔に遡る。
子供達にとって精霊は、半ばおとぎ話のような憧れの存在だ。
フィオーラも母親が生きていた頃は、精霊に触ってみたいと願ったことがある。
今のエミリオを見ていると、その頃の自分を思い出し微笑ましい。
(殿下と呼ばれ敬われていても、普通の子供と変わらないんですね)
エミリオは、頬を上気させ嬉しそうだ。
精霊を十分に撫でたエミリオは、ふいにフィオーラを見上げた。
「ありがとう、ぼう……フィオーラ」
「こちらこそ、名前で呼んでいただきありがとうございます」
微笑みかけると、何故かまた顔を反らされてしまった。
―――――あの殿下が、謝罪に続いて感謝の言葉を口にするなんてと、と。
衛兵がざわつくのが聞こえたのだった。