53話 令嬢は薔薇を贈られる
「フィオーラ、今大丈夫かい?」
「はい。お願いしますね」
答えると、アルムが薔薇を手にして近寄ってくる。
薔薇を一輪つまむと、そっとフィオーラの耳上後ろの髪に飾った。
真剣な目で、薔薇とフィオーラとを交互に見つめ、薔薇の位置を調節している。
(やっぱり、何度経験しても緊張しますね……)
フィオーラは、ほんのりと頬を赤くしていた。
秀麗なアルムの顔が間近で、若葉色の美しい瞳がフィオーラを見るのだ。
甘い薔薇の香りと、アルムの持つ森の木々を思わせる香りが混じりあい漂い、くらりとしてしまいそうになる。
フィオーラが高鳴る鼓動を感じていると、アルムの口から小さく樹歌が流れ出す。
すると、髪に挿された薔薇の蔦がしゅるしゅると伸びていき、しっかりとフィオーラの髪に絡まる。これで、もし走ったりしても、髪から薔薇は落ちないはずだ。
「うん、こんなものかな」
出来栄えに満足するように、アルムがそっと呟いた。
顔には小さな、でも柔らかな笑みが浮かべられている。
「良く似合ってる。フィオーラは今日も可愛いね」
「…………っ」
真正面から褒められ、優しく微笑まれ。
赤くなりそうになったフィオーラは、誤魔化すように薔薇に触れる。
まだ瑞々しい花弁が、指先に触れ揺れ動いた。
(平常心、平常心……)
フィオーラは改めて確認する。
アルムが薔薇を髪へと飾ってくれたのは、何も甘い理由では無かった。
この薔薇は、中庭の一角を借り、フィオーラが樹歌で蕾にまでしたもの。
育つ過程で、フィオーラの力が加わっているおかげで、切り花にしてからもしばらくは、容易く樹歌を働かせることができる。
蔓を伸ばし、鞭のように操れば、即席の護身具になるのだ。
もし万が一、アルムやイズー達のいない場所で不審者に襲われても、身を護ることができるように、と。
そんな理由で飾られた薔薇だった。
(……そう。この薔薇に、それ以上の意味は無いはずです……)
なのに、緊張して照れてしまうのは、ただただフィオーラ側の問題だった。
薔薇は、つみたてである程、樹歌の影響を強く働かせることができる。
だから毎日、アルムは新しい薔薇を持ってきて、フィオーラの髪に挿してくれるのだった。
「もうっ。あんたたち二人して、甘い空気を醸し出しちゃって。のろけるんなら、二人きりの時にしなさいよ」
半目になったモモが、どこか呆れた様子で呟いた。
ノーラが紅茶を下げるため部屋を出ていったため、しゃべれないフリは止めたようだった。
「モモ、違います。私が一人で照れてしまっただけで、アルムは真面目に、私の安全に配慮してくれているだけです」
「ほんと~に~? 本当にそうなのかしらアルム~?」
「やめろ。勝手に肩の上に乗るな」
モモがアルムの肩へと飛び乗り、指で頬を突っついている。
アルムはモモをつまみ上げると、机の上へと置いた。
おしゃべりでお節介で、ちょこまかと動くモモのことを、アルムは少し苦手に思っている節がある。
嫌っているわけでは無いが、自分のペースを乱されるように感じているらしい。
(……少しだけ、おもしろいですね)
神にも等しい力を持つ世界樹の化身らしく、人の姿をとっていても、どこか超然とした雰囲気をアルムは纏っていた。
しかしそんなアルムでも、苦手な相手はいるのだと思うと、少しおかしかった。
「ちょっとあなた、いきなり笑いだして、どうしちゃったのよ?」
「モモとアルムが、可愛いなと思っていたんです」
笑いながら言うと、アルムがわずかに眉根を寄せた。
(あ、失言だったかもしれませんね。アルムは男性の姿をとっているんです。可愛いと言われて、気分が良くないのかもしれません……)
フィオーラが反省していると、アルムがぼそりと呟いた。
「可愛い……。褒められた? 嬉しいような、でも違うような……おかしいな」
「複雑な男心って奴ね~」
茶化していたモモだったが、ふいに鼻をひくつかせた。
「きゅきゅっ‼」
あそぼ、と言うように、イズーがモモにじゃれかかる。
「もうっ! いきなり飛びついてきたら、せっかく整えた毛並みが乱れるじゃない!」
モモが文句を言いつつも、イズーに構ってやっている。
イズーはここのところ、フィオーラに甘えている時以外は、モモと遊んでいることが多かった。
同じ霊樹から生まれた、兄弟のような精霊はいたが、その精霊たちに対してイズーは、兄のように振る舞っていた。
モモという、友人のように接せられる相手が身近にきて、嬉しいらしかった。
もふもふとした精霊同士のじゃれ合いを見ていると、部屋の扉が鳴らされる。
ハルツ司教だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「私が、王宮に……?」
「はい。ぜひ一度お越しいただきたいと、国王陛下から招かれています」
フィオーラにとって王宮は、それこそ雲の上のような遠い場所だ。
伯爵家に生まれたとはいえ庶子だったため、一度も王宮の門を越えたことは無かった。
会ったことがある王族は、セオドアただ一人だけ。
国王直々に王宮に招待されるなんて、今から緊張してしまいそうだ。
「心配なさらなくても大丈夫です。フィオーラ様は世界樹であるアルム様の主です。相手が国王陛下であっても、一方的にへりくだる必要はありません。王宮に招かれた際の、礼儀作法だって問題ありません。ここのところの勉強で、立派に形になっています」
もっともそのこともあって、こんなにも早く王宮に招かれることになったのですが、と。
ハルツ司教が申し訳なさそうに眉を下げている。
「……それは、どういうことでしょうか?」
「フィオーラ様は何も悪くありません。ただ、教団の内部には、早くフィオーラ様を外部に向けて正式に紹介するよう主張する一派がありまして……。その内の一人が、フィオーラ様の勉強の進捗状況を教師から聞き出してしまったのです。フィオーラ様は優秀な生徒でした。驚異的な速さで礼儀作法を学び、今なら国王陛下の御前に出ても大丈夫だと、教師たちは判断したそうです」
「先生たちがそんなことを……」
勉強の成果が認められ、フィオーラは嬉しくなった。
教師たちは指導に真剣な分厳しくて、叱られることも多かったが、その分しっかりと身についていたようだ。
まだ王宮に対する恐れはあるが、たくさんの人間がフィオーラのために動いてくれている。
世界樹であるアルムの主になった以上、いずれは王族とも、関わらなければならないだろうと覚悟もしていた。
「……わかりました。国王陛下からのご招待、喜んでお受けしたいと思います」