48話 令嬢は空舞うリスに出会う
ヘンリーの部屋から離れたフィオーラ達は、千年樹教団の建物の中を歩いていた。
今日で、セオドアの元から帰ってきて五日目になる。
フィオーラは教団の王都支部に滞在していた。
教団の中にも、セオドアの息のかかった人間はいたが、ハルツらの尽力により主犯格は捕らえられ、怪しい人間も支部の外へと移動させられたらしい。
完全に安心だとは言え無いが、少なくとも昼間教団支部内の人目のある場所を歩いていたくらいで、誘拐される心配は無さそうだ。
アルムと並び、イズーを肩の上にのせ、中庭に面した回廊をのんびりと歩いていた。
「フィオーラ、これからどうするつもりだい?」
「もうすぐお昼ですから、部屋に戻って食事をして、その後は――――」
フィオーラは思わず固まった。
視線は一点、中庭の上空に張り付けられている。
「空飛ぶハンカチ……?」
四角い布切れのような物体が、広い中庭の向こう側からこちらへと飛んでくるのが見えた。
中庭の木々は静かで、風は吹いていないはず。
なのに、ハンカチのような物体は地面に落ちることも無く、滑らかにこちらへと近づいてきた。
「え、ハンカチ? いえもふもふ? リス?」
近づいてきた物体の表面は毛皮で、くりくりとした黒い目が光っている。
空を飛ぶリス?
謎の存在はどんどん近づき高度を下げる。フィオーラの頭部めがけて着地しようとしたところで――――
「きゃうっ?」
べしり、と。
アルムに叩き落とされてしまった。
「大丈夫ですか……?」
小さな生き物ははたかれた衝撃で、ころころと地面を転がっていた。
大きさはイズーより小さく、ネズミより少し大きいくらい。
背中側は薄いグレー、腹側は真っ白な毛が生えている。
形はリスに似ているが、前足と後ろ脚の間に、振袖のような薄い毛皮が垂れていた。
「初めて見る生き物です。アルムは知っていますか?」
「姿かたちはモモンガのはずだ。モモンガは、この辺りには生息していない生き物さ。こいつはモモンガの姿をしているだけで、イズーと同じ世界樹に縁のある精霊だよ」
「モモンガの精霊……」
精霊だからこそ、これほど近づくまで、フィオーラに対して過保護なアルムも手出ししなかったようだ。
モモンガの精霊は、アルムに叩かれた頭部を抱え悶絶している。
大丈夫だろうかと心配していると、つぶらな瞳がキッとこちらを見上げた。
「もうっ、あなた達‼ 痛いじゃないのっ!! いきなりはたくなんて酷いわよ!!」
「……え?」
「……な?」
「……きゅきゅっ?」
フィオーラとアルム、そしてイズーの声が重なった。
その直前に聞こえてきた、声。
小さな女の子のように高い、でもフィオーラより年上にも聞こえる声だった。
「今の声は、一体……?」
「ちょっとちょっと、どこ見てるのよ。私はここにいるわよ」
「………」
再び響く高い声に、フィオーラはモモンガの精霊に視線を戻した。
「……もしかして、あなたがしゃべっているの?」
「私以外誰がいるのよ? もっちろん‼ 私に決まってるじゃない!!」
「……モモンガって、しゃべれる生き物なんですか……?」
正しくは、モモンガ型の精霊だけど。
もふもふとした毛皮に包まれた小動物が、人の言葉を使うのは聞くは、なかなかに驚く体験だ。
アルムも珍しく、少し戸惑っているようだ。
「いや、しゃべらないよ。モモンガも精霊も、人の言葉はしゃべれないはずだ」
「きゅいっ‼」
同意するように、イズーが鳴き声をあげた。
イズーはいたちの姿をした精霊だ。賢くて、人間の言葉をだいたい理解しているが、それでもしゃべることは不可能だ。
普通のイタチと同じように、言葉ではなく鳴き声で意思の疎通を図ることしかできなかった。
「あなたはどうして、人間の言葉がしゃべれるんですか……?」
「どうして? じゃああなたは説明できるの?」
「え?」
「あなたの方こそ、自分がどうして言葉をしゃべれるか、きちんと説明できるのかしら?」
「……それは、私が人間で、言葉をしゃべる人たちに囲まれてたから、自然としゃべれるようになっていて……」
「なら私も同じよ。周りの人間がしゃべっている言葉を、同じように私もしゃべれるようになっていた。それだけの話よ」
「えぇ……」
説明されても、フィオーラにはほとんど理解できなかった。
理解できなかったが、目の前で言葉をしゃべるモモンガ精霊が存在するのは間違いない。
どういうことなのかと、答えを求める様にアルムを見上げた。
「アルムの受け継いだ記憶の中にも、言葉をしゃべる精霊の記憶は見当たらないんですよね?」
「無い。……無いはずだ。少なくとも今思い出せる部分に、こんな珍妙な精霊の記憶は見当たらないよ」
「誰が珍妙よ!! 全く失礼ね!!」
ぷんすこと、モモンガ精霊が頬を膨らませていた。
(かわいい……)
モモンガ精霊、言葉を聞く限り、なかなかに気が強そうだが、見た目が愛らしいせいで威圧感のようなものは感じない。
しゃがみこんで観察していると、アルムが何やらうなっている。
「うーん、軽く先代世界樹から受け継いだ知識をさらってみたけど、やっぱり言葉をしゃべる精霊については無かったよ。……命綱を使った飛び降りの知識を残すくらいなら、しゃべる精霊について残してほしかったな……」
「それは確かに……」
アルムの言葉はもっともだ。
どのようにして、受け継がれる知識が選択されているかはフィオーラには謎だが、愚痴りたくなる気持ちは理解できる。
「あ、でももしかして、この子はつい最近生まれたばかりで、先代世界樹も存在を知らなかったんじゃないですか? あなたは今、何歳なんで――――」
「失礼ねっ!! 女性に年齢を聞くのは非常識よっ!!」
……モモンガ精霊に常識を説かれてしまった……。
(……声の印象からそんな気はしてましたが、この精霊は女性なんですね)
精霊は通常の生物とは異なるが、性別は一応あるらしい。
霊樹から生み出される際、周囲の生物を参考に、精霊は形を得るからだ。
ちなみにイズーはオスらしいが、あまり精霊の性別について深く考えたことが無かったため、はっきりと女性だと主張するモモンガ精霊の存在は新鮮だ。
「失礼なことを聞いてしまいすみません。これからは気をつけますから、許してもらえませんか?」
「……いいわよ、別に。そんな畏まることでもないもの。……詳しい年齢は秘密だけど、そこの世界樹の若木より年上だとは言っておくわ」
フィオーラの謝罪に機嫌を直したのか、モモンガ精霊がアルムの体を駆けのぼり、肩の上へとよじ登る。
いつまでも地面の上では、高低差があって話しづらかったようだった。
(アルムの肩にちょこんと乗って可愛らしいけど……。全然アルムを恐れないですね)
その点でも、初めて見るタイプの精霊だ。
精霊たちには普通、世界樹の化身であるアルムを尊敬し、怖れ敬っている様子が見られた。
アルムに慣れてくると、フィオーラに対するように懐き甘えるが、それでも一閃は引いている。
イズーだって、活発な性格でアルムにもよくじゃれているが、アルムの機嫌が悪い時には、出来るだけ近寄らないようにしていた。
(なのにこのモモンガの妖精は、アルムの肩に躊躇なく飛び乗りましたね)
アルムは見慣れぬ人語をしゃべる精霊を前に、怪訝な気配を漂わせていた。
剣呑というほどでは無いが、他の精霊なら好んで近づこうとしないはずだ。
「……ねぇ、あなたは、どこからここへやってきたんですか?」
モモンガ精霊へと問いかける。
アルムの肩に乗ってくれたおかげで、ちょうどフィオーラと視線が合いやすい。
黒い瞳の表面は、つやつやと潤んだ光が宿っていた。
「遠く遠く、いくつもの国を超えた東の方から来たわ。新たな世界樹の主が生まれたって、木々の噂で聞いたから、さっそく駆けつけてみたのよ」
「私とアルムに会うために、そんな遠くから来たんですか?」
「そうよ。私達精霊にとって、世界樹の主は重要な存在だもの。どうなっているか確認しないと、落ち着かなくて心配しちゃうじゃない」
「……ありがとうございます。でも、ここにいて大丈夫なんですか? 精霊は黒の獣の退治のため、それぞれ決められた土地があるんですよね?」
例外は、まだ生まれたばかりで担当地が決まっていなかった、フィオーラに懐いていた精霊たちくらいだ。
モモンガの精霊がアルムより年上ならば、与えられた担当地があるはずだった。
「ふふっ、それくらい問題ないわ。知り合いの精霊に押し付……頼んであるし、元々黒の獣が出にくい土地だもの。ここであなたたちと一緒にいても大丈夫よ」
「私達と一緒に……もしかしてしばらく、元居た土地には帰らないつもりなんですか?」
「そうよ。この私が、あなた達について行ってあげるんだから、感謝しなさいよね!!」
モモンガ精霊が胸を張って宣言した。
宣言に合わせて、鼻先から伸びたひげがぴくぴくと揺れ動く。
「ありがとうございます……?」
モモンガ精霊の勢いに押され、お礼を述べたフィオーラなのだった。