47話 令嬢は先代世界樹に思いを馳せる
フィオーラがヘンリーの部屋から出ると、アルムがすぐさま近寄ってくる。
「お帰り、フィオーラ。部屋の中でヘンリーに、何か手出しをされなかったかい?」
アルムは誘拐事件以降、フィオーラに対しより過保護になっていた。
どんな時も、イズーを傍らに付けるなどして、フィオーラを決して一人にはしないようにして。
万が一にも、フィオーラに危害が加えられていないか、目を光らせているのだった。
「大丈夫ですよ。ヘンリー様は少し怪我の影響かうつむきがちでしたが、落ち着いて話が出来ました。その間、部屋の前で待っていてくれてありがとうございます」
アルムが、フィオーラから片時も離れたくないと思っているのは知っている。
だから今、部屋の間で待っていてもらったのは、フィオーラのわがままだった。
(私がヘンリー様と話をした時、平静を保てるか自信が持てなかったもの……)
事情があったとはいえ、フィオーラは一度、ヘンリーから拒絶されているのだ。
ヘンリーと顔を合わせたら、婚約破棄されたあの日のように、感情を抑えきれず醜態を見せてしまう可能性もある。
フィオーラが傷ついた顔を見せれば、過保護になったアルムが反応し、ヘンリーを責めるかもしれない。
それは避けたくて、アルムには部屋に入らないでいてもらったのだった。
(ただ、思ったよりずっと、ヘンリー様とは冷静に接することができたのですが……)
フィオーラ自身意外だ。
ヘンリーに対し泣き叫ぶまではいかなくても、もう少し感情が乱れるかと思っていた。
しかしそんなことはなく、兄と妹のような、穏やかな距離感で接することができた……はずだった。
(ヘンリー様に婚約破棄された時、私はあの実家から抜け出せないと思ってしまったんですよね……)
大げさに言ってしまえば、足元から世界が崩れ落ちるような絶望だった。
しかし今、フィオーラの周りにはアルムやイズーといった、大切な存在が寄り添ってくれている。
一人じゃないと思えたから、冷静に婚約破棄の件を受け止め、ヘンリーと接することができたようだった。
「考え込んでるようだけど やはりヘンリーに、何か気になることでも言われたのかい?」
「いえ、ちょっと、心の中を整理していただけです」
「……本当に大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です……」
ずずいっと迫ってくるアルムに、フィオーラは思わず戸惑った。
顔が近く、恥ずかしい。近寄られた分だけ、反射で後ずさってしまった。
今のアルムは少し変だ。
彼は過保護だが、同時にフィオーラの意思を尊重してくれている。
何か気になる点があっても、フィオーラが一度説明し理にかなっていれば、それで納得してくれたはずだ。
なのにヘンリーに対してだけは、アルムは幾度も食いついてくる。
謎だった。
「アルム、どうしたんですか? ヘンリー様のことで、何か気になることがあるのですか?」
「…………」
迫ってくるアルムの動きが止まった。
僅かだが眉間に皺が寄っている。
小さな変化だが、基本無表情のアルムには珍しいことだった。
「気になるというより、気に障るというか……」
「……ヘンリー様と、性格が合わなそうということですか?」
「それとも少し違う気がするけど……。フィオーラはヘンリーのこと、どう思っているんだい?」
「家族から冷たくされていた私にも、優しく接してくれた方です。穏やかでのんびりしていて、でもご実家が商家なこともあって、お金の扱いや締めるべきところはきちんとされていたと思います。ちなみに、好きな色は水色で、好きな食べ物は人参や根菜だったと思います」
「……色々と詳しいんだね」
「ヘンリー様は兄のように、私と話をしてくれましたから、詳しくなったんです」
「兄、かぁ……。ならいいのかな? ……いや、なんでだ……?」
アルムが呟いている。
彼自身、自分の考えがまとまらないらしい。
見た目はフィオーラより年上の姿のアルムだが、人間の姿をとってからは日が浅い。
まだまだ、自分の感情や考えを上手く言葉にできないのかもしれなかった。
「うーん……。まぁいいや。どっちにしろ、僕がやることは変わりないからね。もし、ヘンリーがフィオーラを傷つけようとしたら、蔦で縛って身動きを封じて、セオドアと同じような目に合わせればいいだけだ」
「……それはその、もしもの話だとはわかっていますが、それは止めてあげてください……」
フィオーラは身を震わせた。
命綱の蔦一本で、地上に向かって落ちていくセオドアの姿はなかなかに強烈だった。
命に別状はないらしいが、罰として行うにしても、人間には刺激が強すぎるように思える。
「あれくらい、むしろ生ぬるい方だと思うよ? 人間たちだって、罰じゃなくとも同じようなことをやる例があるくらいだ」
「え……?」
信じられない情報だ。
見ているだけでも怖い、寿命が縮みそうなあの行為を、罰則でもなく行う人間がいるなんて、
フィオーラは驚くしかなかった。
「どうして、あのような恐ろしいことをするのですか……?」
「通過儀礼の一種だよ。聞けばこの国では15歳で成人する時、女子は自分の名前入りの刺繍を刺したハンカチを作り、男子は父親と酒杯を打ち合わせるだろう? 同じように、場所によっては子供が成人と認められるためには、高い崖から命綱をつけて飛び降りる習慣があるんだ」
「……それはもしかして、成人に相応しい胆力の持ち主だと、周りに証明するためですか?」
「その通りだよ。もっとも、恐怖に耐えかねて失神するのも珍しくないみたいだから、度胸試しの一面もあるみたいだけどね」
「……もし挑戦したら、私も気絶してしまいそうです……」
「大丈夫。君にあんなことはさせないから安心してくれ。もし僕がいない時に高所に取り残されても、イズーの助けを借りれば安全に降りられるはずだ」
「……イズー、頼りにしています」
「きゅっ‼」
イズーの頭を撫でながら、フィオーラは驚きに浸っていた。
ここ一月ほどで、フィオーラの行動範囲は一気に広がったが、まだまだ知らないことばかりだ。
世界は広いのだと、そう実感することが多かった。
「……そう言えばアルムは、先代の世界樹からいくらかの知識を継承しているんですよね? この命綱をつけて飛び降りる行為についての知識も、先代の世界樹から受け継いだものなんですか?」
「あぁ、そうだよ。先代の世界樹にとっても、なかなかに衝撃的な知識と……それに体験だったらしいからね」
「……体験?」
「そう、ある意味実体験だね。なんせ昔、世界樹の枝から命綱をつけて飛び降りるのが、一時期流行ったらしいからね」
「えぇっ……?」
フィオーラとしては困惑するしか無かった。
そしてきっと、先代の世界樹にとってもそれは同じで、衝撃的で戸惑ったからこそ、その記憶がアルムにまで受け継がれているようだった。
「世界樹の枝から飛び降り……。それもやはり、通過儀礼の一種なのですか?」
「いや、違うみたいだね。元々は先代の世界樹の根を下ろしているのと別の場所で、命綱をつけて飛び降りる風習が、人間たちに伝わっていたんだ。その風習を千年樹教団の人間が偶然目にして、真似することにしたらしい」
「真似を……」
「僕にも、よくわからないけど……。どうも、当時の教団の人間たちは世界樹の高くから根のすれすれまで一息に落下し駆け抜けることで、世界樹との一体感を獲得して……みたいな理屈らしいね」
「……全く、意味がわからないのですが……」
「本当に同感だよ。先代の世界樹も同じだったのか、だからこそ意味不明な行いの驚きが、記憶に深く刻み込まれていたみたいだ。人間はちっぽけな体だけど、たまに世界樹にも予想のつかない行動をしてざわつかせるからね……」
「なんかちょっと、同じ人間として申し訳なくなりますね……」
言いつつも、フィオーラは先代の世界樹に親近感を抱いていた。
生まれた時から当たり前にある神聖な存在。
今でも、先代の世界樹に対する敬意の念は持っているが、少しだけ身近に感じられた。
人間の奇行に驚き、それを次代のアルムに伝えたりした先代の世界樹。
それは、自分の若い頃の経験を枕元で語り聞かせる、人間の親に似ているのかもしれない。
(考えてみれば、アルムだって人とはズレていても感情や思考能力があるのですから、先代世界樹だって同じなんでしょうね……)
今もなお、千年樹教団の本部に聳え立っている先代世界樹。
いったいどんな人柄(?)なのだろうと、フィオーラは思いを馳せたのだった。