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46話 令嬢は元婚約者に別れを告げる


「……僕に、君からの感謝を受け取る資格なんてないよ。だって僕は理不尽な理由で、君との婚約を破棄した男なんだ」


 婚約破棄。

 その言葉はフィオーラの胸を痛ませたが、既にかさぶたになりかけた傷跡だ。

 ヘンリーの側にもやむを得ぬ事情があったと知った今、落ち着いて受け入れることができる過去だった。


「ヘンリー様、気になさらないでください。私との婚約を破棄するよう、セオドア殿下から圧力があったと聞いています」


 セオドアの、熱くまとわりつくような視線を思い出し、フィオーラの腕に鳥肌が立つ。

 フィオーラの何が、王太子であるセオドアの琴線に触れたのかはわからなかったが、彼が向けてきた感情は大きく危ういものだった。

 セオドアに脅されたヘンリーには、従う道しか残されていなかったはずだった。


「……どんな理由があったにせよ、僕が君を捨てた事実に変わりは無いよ。僕は殿下の圧力に屈して、フィオーラを傷つけてしまったんだ」

「ヘンリー様は、でもその後、殿下に誘拐された私のことを、助けようとしてくれました。……私には、それだけでもう十分です」


 婚約破棄で感じた痛みが、全て無かったことにはならないけれど。

 それでも、ヘンリーがフィオーラを思いやってくれていたことは、彼の行動から痛い程感じられたのだ。


 兄のように慕っていたヘンリーに、嫌われたわけでは無いと知ったフィオーラは、そっと息を吐きだした。


「ヘンリー様、今回は私とセオドア殿下の件で巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。 ヘンリー様の助力は、ハルツ司教様や千年樹教団の方たちにも説明をさせてもらいました。これ以上、ヘンリー様やヘンリー様のお父様お母様たちに、セオドア殿下が圧力をかけることは無いはずです」

「……そうか。ありがとう、助かるよ。……それにしても……」


 ヘンリーがフィオーラを見つめた。

 遠くを眺めるような、手の届かない星を見るような瞳だ。


「フィオーラはすごいな。千年樹教団の司教様と、当たり前に会話を交わせるんだね」

「……ハルツ司教様が、優しいお方だからです。それに私が、世界樹であるアルムの主だからです」

「世界樹の主、か……」


 ヘンリーが顔をうつ向かせた。


「ヘンリー様が、私なんかが世界樹の主だと、信じられないのはよくわかります……」

「……そういうわけじゃないんだ。ただ……」


 ヘンリーは頭を振り、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「これは僕の問題だ。フィオーラ、君は僕に付き合わず、そろそろ帰った方が良さそうだ。世界樹の主になったんだから、忙しいことばかりだろう?」

「……わかりました」


 ヘンリーとはまだ話したいことがあったが、扉の外にはアルムが待っている。

 誘拐事件以降、一層過保護になったアルムを長時間待たせたくは無かったし、病み上がりのヘンリーと話し込むわけにもいかなかった。


「長話をして、治りたての傷に障ってもいけませんし、お暇させてもらいますね」

「きゅいっ‼」


 人間たちの会話が終わる気配を察したのか、イズーが体を伸ばし声を上げた。

 フィオーラはイズーを撫でてやると、ヘンリーの部屋を後にしたのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……行ってしまった、か」


 フィオーラの閉めた扉を見つめ、ヘンリーは呟きをこぼした。

 去っていってしまったフィオーラ。物理的な距離だけではなく、それは今のヘンリーとフィオーラの、立ち位置の違いをも表しているようだった。


「世界樹の主……」


 今だって信じられない、否、信じたくは無いけど、フィオーラは世界樹の主だ。

 たかが裕福な平民でしか無いヘンリーとは、遠く隔たれた存在になってしまったと言うことだった。

 ヘンリーが、フィオーラに手を伸ばしたかったその理由。


(恋を、していたからな……)


 婚約を交わした時は、陰気な顔をした年下の少女でしかなかったフィオーラ。

 初めは気まずかったが、話してみると受け答えはしっかりしていて、心優しい人柄であることがわかった。

 表情は暗くうつむきがちだったが、だからこそ、ほんの時たま浮かべる笑顔に、ヘンリーは強く惹きつけられていた。


(セオドア殿下が、あれほど執着なさる気持ちも、僕には理解できるかもしれない……)


 フィオーラは美しい少女だ。

 家族から虐げられていたせいで、自分に自信が持てないようだったが、磨けば光る可憐な容姿をしている。

 そしてなにより、悪意の雨に打たれてもささやかな笑顔を浮かべられる心が、ヘンリーには美しく感じられた。


 彼女はまだ蕾だ。

 これから花開きより美しくなっていくはずだが、その傍らにヘンリーがいる資格は無かった。


「婚約を破棄してしまったからな……」


 セオドアに脅されたのだから仕方ない。

 そう言い訳したところで、ヘンリーの心が軽くなることは無かった。


 自分は一度、フィオーラの手を離した人間だ。

 失って初めて、彼女の存在の大きさを思い知り、贖罪のために奔走したが、結果は大けがをしてフィオーラに助けられる始末だ。


 心も、持っている力や身分も。

 世界樹の主となったフィオーラとは、あまりにかけ離れていると悟ってしまったのだった。


(今の僕にできることは、彼女の足枷にならないよう身を引くことだけだ……)


 恋に破れ肉体的にも重傷を負ったが、幸いフィオーラのおかげで、ヘンリーの体に傷は残らないようだった。

 ヘンリーの実家の商売は一時期、セオドアの圧力で低迷していた。

 商売の穴を埋めるためにも、人手はいくらあっても足りないに違いない。


「怪我も治ったし、僕も頑張って働かないとな……」


 忙しくしていればきっと、失恋の痛みもまぎれていくはずだ。

 そう信じて、ヘンリーは頭を商売へと切り替えていったのだった。



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