45話 令嬢は元婚約者と話し合う
「おまえ三日前の、あの奇跡の瞬間を見たか?」
「奇跡? 災いの間違いじゃないのか?」
王都の一角。
貧しい者たちが身を寄せる、粗末な建物が肩を寄せ合うようにひしめくうちの一軒にて。
二人の男が会話を交わしていた。
男たちは薄汚れた室内に相応しい、着古した服を身に着けている。
しかし、開け放たれた窓へと向けられた瞳、視線の鋭さは、貧相な服と建物に似つかわしくないものだった。
二人の男の本質は、油断ない目つきに現われている。
他国より潜り込んだ間諜。それが男たちの正体だ。
二人の注目は今、王都の町並みの遥か頭上に葉を茂らせた、一本の巨木に注がれていた。
「しっ。おまえ、災いなんて言うのは止めろ。世界樹の御業なんだぞ?」
「どうせ、おまえ以外誰も聞いてないんだからいいだろう? 聞けば、ここのところの雪や雷の異変も全部、世界樹を名乗る輩が引き起こしたものらしいじゃないか」
「あぁ。らしいな。……俺も最初は、天気を自在に操るなんぞ眉唾話だと思っていたが……」
言葉を切った男の視線が、青々と葉を茂らせた巨木の輪郭を辿った。
「一瞬のうちに聳え立ったとんでもなくデカイ木。しかも大きさだけじゃなく、幹は世界樹と同じ銀色と来たものだ。あんな無茶苦茶な現象を見せつけられたら、信じる他ないからな」
王都のどこに居てもはっきりと視認できた、ありえない奇跡の瞬間。
天高く伸びあがった木は、王都の民に紛れた他国の間諜たちにも、深い衝撃を与えていた。
「あのデカイ木から、やたらと神々しい銀髪の男と、若い女が降りてきたって目撃談もあるんだ。二人のうちどちらでもいい。他国に先んじて身元を把握しておきたいところだ」
「俺は、商人に潜り込ませた協力者から情報を集めるつもりだ」
「頼む。俺は貴族の様子に探りを入れてみる。女の方は、最近千年樹教団がどこぞの令嬢を手厚く保護したという噂があるから、同一人物の可能性が高そうだ」
男たちはいくつか打ち合わせをすると、時間をずらしてバラバラに外へと出ていった。
情報収集に熱心なのは、間諜である男たち二人に限らなかった。
王都の民たちの間では、皆例外なく巨木と異常気象の噂で持ち切りだ。
平民だけではなく貴族たちもそれは同じ。
一連の事態に自国の王太子が絡んでいたという情報が飛び交い、戦々恐々としていた。
多くの人々の、国外の人間の注目までをも一身に集めることになったフィオーラ。
フィオーラ自身が、そのことを思い知る瞬間は、そう遠くないはずだった。
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一連の騒動が起こした波紋が、フィオーラへと届くその前に。
フィオーラはまず、自分の今までの関係に一つ、区切りをつけることになった。
「ヘンリー様、起きてらっしゃいますか?」
「あぁ、大丈夫だ。入って来てくれ」
了承の返事に、フィオーラは扉を押し開けた。
肩の上にはちょこんと、護衛代わりにイズーが乗っかっている。
イズーとともに入室したのは、千年樹教団の建物の中にある一室だ。
陽の光が入る室内には、清潔な寝台が置かれている。
枕に寄り掛かるようにして身を起こしたヘンリーの顔色は、陽光を受け穏やかなもののようだった。
(お元気そうで良かった。傷の方も、ほとんど目立たなくなっています)
フィオーラは胸を撫でおろした。
今回の事件で、一番の重傷を負うことになったのがヘンリーだ。
セオドア達によって暴行を加えられ、骨が何本も折れていた。
顔の腫れも、元に戻るのにどれくらいの時間がかかるかわからなかったが、今は綺麗に治っている。
アルムに分けてもらった血のおかげだ。
ヘンリーは怪我が元になった高熱のせいで、一時は意識も怪しくなっていた。
フィオーラの救出に一役を買ったヘンリーのためならと、アルムも血を分けてくれたのだ。
「少し、お話をさせてもらっても大丈夫ですか? まだ体がどこか痛むようでしたら――――」
「大丈夫だよ。ほぼ健康そのもの……なんだけど」
今でもまだ信じられないよ、と。ヘンリーが小さく笑った。
「まさかこの短期間で、傷がすっかり塞がるなんてね。目の前にいきなり、巨大な木が伸びあがったことといい、信じられないことだらけだ。……それら全部に、フィオーラが関わっているのも、今だって信じられない……信じたくないくらいなんだ」
ヘンリーの笑いに、ほろ苦い色が混ざった。
陰りを帯びたその表情に、フィオーラはいたたまれなくなってしまった。
「ヘンリー様、今回は巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした……」
「っ!! フィオーラ、顔を上げてくれ。君を責めているわけじゃないんだ。これはちょっと、自分が情けなくなっただけ。君を助け出そうと意気込んでいたくせに、逆にお荷物になってしまったからね……」
「そんなことはありません!! ヘンリー様が、あの場にしおりを持って現れてくれなかったら、私も無事で居られたかわかりませんでしたから」
ありがとうございます、と。フィオーラが感謝を伝えると。
まっすぐな感謝の言葉から逃げるように、ヘンリーが視線を反らした。




