43話 令嬢は町を見下ろす
王都ティーグリューンには、背の高い建築物が多かった。
貴族たちの高い天井を誇る邸宅。人の背丈の何十倍にも及ぶ高さの尖塔。
見上げる対象でしかなかった数々の建築物。
その屋根瓦が、今やフィオーラの足元のはるか下に見えているのだった。
(高い……)
地面は遠く、立ち並ぶ家は小人の家のように小さい。
樹歌により天へと伸びた木から見下ろすその景色は、フィオーラにとって刺激が強すぎた。
「フィオーラ?」
アルムの声に、眼下の視界から意識が引き戻される。
気づけばフィオーラは、アルムに強くしがみつく体勢になっていた。
高所への恐怖に対しての、反射的な行動だ。
「す、すみませんアルム‼」
しがみついたアルムの服に皺が寄っていた。
手を放そうとするが、上手く指が動かない。
「そのままにしてて大丈夫だよ。高い場所が怖いのは、人間の本能として当然だからね」
「すみません……。アルムは怖くないのですか?」
「清々しいくらいだよ。この高さなら、日の光を遮るものは何もないからね」
降り注ぐ陽光を楽しむように、アルムはうっすらと瞳を細めている。
強がりなどでは無さそうだ。
天高く伸びる世界樹である彼からしたら、この程度の高さに動揺することはないようだった。
そんなアルムに触れていると、フィオーラの恐怖も落ち着いていく。
大樹の幹に背中を預けているような安心感だ。
(でも、そうすると今度は……)
アルムと密着した体勢に、フィオーラの頬が赤くなる。
恐怖から恥ずかしさへ。早鐘を打つ鼓動の理由が、甘いものへと変わっていった。
手を放そうとするが、視界の端に遠い地面が映ると指先が萎えてしまう。
動揺を誤魔化すように、周りの状況を確認することにする。
屋敷の下から伸びあがった大樹。
太い幹は屋敷を持ち上げ貫き、フィオーラ達はその先端部の枝に立っていた。
半壊状態の屋敷の中では、兵士たちが青い顔で震えているのが見える。
「危ないっ!!」
頭を抱えた兵士の足元で、床にひび割れが走っていく。
瞬く間に亀裂は深く大きくなり、床が壊れ抜け落ちていく。
「うわあぁぁーーーーーーっ⁉」
絶叫をあげ、兵士の体ごと床が落下していく。
間違いなく命はない高さだったが――――
「えっ!?」
フィオーラは目を疑った。
兵士の体が浮いている。見えざる腕で支えられているようだ。
兵士本人も、何が起こったのかわからないようで、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「きゅいっ‼」
愛らしい鳴き声が、地面から小さく聞こえてきた。
イタチの姿をした精霊のイズーだ。
尻尾は淡く光を宿しており、両腕は上へ。兵士へと伸ばされているのだった。
「イズー‼ ありがとうございますっ!!」
イズーは風を操る精霊だ。
兵士の体を風で受け止め、助けてくれたようだった。
「きゅあっふーっ‼」
どんなもんだい。
そう言いたげに、イズーが小さな胸を張った。
「おわわっ⁉」
すると風の制御が甘くなったようで、兵士の体が緩やかに落ちていく。
慌てたフィオーラだったが、兵士の下に滑り込む影がある。
白い毛玉――――ではなく、白い巻き毛に覆われた羊だ。
フィオーラの場所からでは、毛糸玉のようにしか見えない羊は、イズーと同じ霊樹から生まれた精霊の一体だ。
「良かった……」
受け止められた兵士に負傷は見られなかった。
不思議そうな顔をした兵士は、呆然ともこもことした羊毛に半ばまで埋まっている。
そんな兵士と羊型精霊の周りには、何体もの見覚えのある姿。
霊樹から生まれた獣型の精霊のうち半分程が、この場に揃っているようだった。
「フィオーラのために、集まって来てくれたみたいだ」
「……心配をかけてしまったみたいですね」
無事帰ったら、精霊たちにもお礼をする必要がある。
精霊たちはフィオーラを見上げ嬉しそうにしつつも、周囲の様子を観察していた。
上空の屋敷から落ちてくる人間を見つけると、素早く精霊たちが動き出す。
イズーが風で落下の速度を緩め、着地の際に怪我をしない様、毛皮自慢の精霊たちが受け止める。
精霊たちの尽力のおかげで、死者は出ていないようだった。
「もふもふ救助隊……」
助けられた兵士たちのうち何人かが、イズーたち精霊に感謝と祈りを捧げているのが見えた。
(……人間が精霊を敬うようになる理由。その現場を見ているのかもしれません……)
和むべきなのか感動するべきなのか、判断のつかない不思議な光景だ。
空中の屋敷は崩落が進んでいき、精霊に助けられる兵士たちの数も増えていく。
フィオーラはそんな兵士たちの中に、セオドアの姿が見当たらないのに気が付いた。
「セオドア殿下は、まだ空中の屋敷の中に……?」
「あいつならあそこだよ」
アルムが、崩れゆく屋敷の屋根のあたりに視線を向ける。
「あれは……」
巨大な蔦の塊だ。
歪な緑の球体からは、人間の腕らしきものが飛び出していた。
「あいつ、こんな状況でも剣を手にフィオーラに近づこうとしてきたからね。とりあえず動けないようにしておいたんだ」
冷ややかな視線。
今すぐセオドアを始末したいとばかりに、アルムが無言で見下ろしている。
「ありがとうございます」
セオドアからフィオーラを守ってくれたこと。
そしてアルムが、怒りのままセオドアの命を奪わなかったことに対しての感謝だ。
王太子であるセオドアを殺せば、王や国と敵対することになってしまう。
アルムならば、国と争っても負けないのかもしれないが、フィオーラに国を丸ごと敵に回す覚悟は無かった。
そんなフィオーラの思いを、アルムはくみ取ってくれたようだ。
フィオーラが一安心していると、幹を伝って、イズーが駆けあがってくるのが見えた。
「イズー、お疲れ様。ありがとうございました!!」
「ききゅいっ‼」
もふもふ救助隊、一番の功労者はイズーだ。
感謝と労りを込めて、丸い頭を撫でまわしていると、右腕に小さな紙が縛り付けられていた。
「これは……ハルツ様から……?」
広げると手のひらほどの大きさになった紙片。
ハルツ司教の名と、『下は安全ですので、降りてきても大丈夫です』と伝言が記されていた。
足元の枝越しに、ハルツ司教がこちらを見上げ口を開いたのが見えた。
距離があり、言葉の細部は聞き取れなかったが、フィオーラ達の無事を喜んでいるようだ。
「地上に戻って、ハルツ様達と一度現在状況の確認をしたいので、セオドア殿下も連れて降ろしてもらえますか?」
「あいつも一緒にかい? あんな奴は放っておけばいいよ」
「樹上に放置して、万が一落ちてしまったら大変です。……頼めますか?」
「……降ろす前に、あいつと少し話がしたい」
フィオーラは頷いた。
セオドアもそろそろ、少しは頭が冷えた頃だと思いたい。
これ以上こちらに執着しないように、説得してみるべきだ。
アルムが右手をあげ、幹へと掌をあて口を開く。
短い樹歌の響きの後、枝が人間の手足のようにたわみ動き、セオドアを蔦ごと巻きとり運んでくる。
蔦の塊の一部がほどけ、セオドアの金の頭が見えてきた。
「っ、はっ……。これは一体っ……?」
首より上の自由を取り戻したセオドアが、せき込みながら周囲を見回した。
さまよう紫の瞳がフィオーラを捕らえ甘く潤み。
ついで、フィオーラを抱き寄せるアルムの姿に吊り上がる。
「貴様この化け物っ!! フィオーラから汚い手を放せっ!!」
「セオドア殿下、落ち着いて下さい。アルムは化け物なんかじゃありません」
「フィオーラ騙されるな!! なにが世界樹だ!! ただの化け物だそいつはっ!!」
吠えたてるセオドアに、アルムが表情を動かすことも無く口を開いた。
「少しは冷静になったらどうだい? 君は人間なんだから、言葉で意思の疎通を図る機能は備わっているはずだろう?」
「黙れっ!! 化け物風情が口を開くな!!」
「……」
アルムが黙り込んだ。
セオドアの要求を受け入れたのでは無い。
まともな会話にならない有様に、あきれ果てているようだった。
「……わかった。君が言葉による対話を拒絶するなら、僕もそうさせてもらうことにするよ」
アルムの唇が人の言語ならざる音、樹歌の旋律を紡ぎだす。
「くっ⁉」
セオドアを絡めとったまま、蔦の塊が動いていく。
蔦の塊は枝の先端部までくると一斉にほどけ、セオドアを空中へと吐き出した。
「ふざけ、ぎ、あぁぁぁぁぁぁっ―――――――っぐふっ⁉」
尾をひいた悲鳴が遠ざかり小さくなり、蛙が潰れるような声が聞こえた。
最後の声は、地上に激突した瞬間の断末魔――――では無かった。
セオドアは地面の少し上で、逆立ちをするような姿勢で浮いていた。
よく見ると、足首には一本の蔦が巻き付き、幹の上部へと繋がっている。
全ての蔦を解いたと見せかけ、一本だけ命綱として巻いてあったということだ。
セオドアは墜落死こそ免れたが、高速の落下と蔦による急制動の衝撃に、気絶しているようだった。
「び、びっくりしました……」
気絶したセオドアの代わりに、フィオーラが冷や汗を垂らして呟いた。
アルムのことは信じていたし、セオドアの命を奪う気がないのはわかっていたが、突然目の前で始まった自由落下には肝が冷える。
「フィオーラにはちょっと刺激が強かったかな? でもこれくらいやれば、あいつだって静かになるはずだ。落ちている間に感じた風で、さすがに頭も冷えるだろうしね」
「きゅいっ‼」
アルムに同意するように、イズーが頷いている。
一方のセオドアは気絶したままで、近寄ってきた羊の精霊に金髪を食まれているのだった。