39話 令嬢は侍女を語る
現れたのは、思いがけない相手だ。
父は母が亡くなって以降、フィオーラに関わることはなくなっていた。
リムエラの勘気を避けるため、フィオーラへの虐待を見ないふりをしていたのだ。
「お父様が、なぜここに………?」
「水臭いことを言うな。おまえの父親として、おまえが王太子妃に選ばれたのを祝福しにきたんだ」
「………っ!!」
違う。違います。
私は王太子妃の座なんて望んでいません。
セオドアに気づかれないよう、父へ無言で訴えかける。
「どうしたのだ? まさか殿下の求婚をお断りしようなどと考えてはいないだろう?」
「…………」
フィオーラにはわかってしまった。
父は決して、フィオーラのことを心配しているのでは無い。
媚びるような笑みを、セオドアへと浮かべているのだった。
「フィオーラ、おまえはとても幸運だ。王太子妃となれば、栄華栄達も思いのまま。さすがは私の自慢の娘だな!!」
「………お父様は、反対なさらないんですね?」
「当たり前だろう? おまえも伯爵家の娘なら、謹んで殿下の寵愛をお受けするべきだ。それこそが、一番おまえが幸せになれる道だからな」
「私の幸せ…………」
フィオーラはぽつりと呟いた。
父に言葉をかけられたのも、幸せを願われたのも久しぶりだ。
なのに今は、ただ乾いた心のひびが、深くなるように感じられるだけだった。
「フィオーラ、これで君もわかっただろう? 私の婚約者になることは、君の父上だって認めているんだ。婚約者のお披露目だって盛大にするよう準備を進めているんだから、あとは君が迷いを捨てるだけだよ」
「…………そんなことまで、なさっていたのですね」
着々と埋められていく外堀。
底なし沼に足を取られたような思いだ。
フィオーラ一人が拒絶し続けたところで、このままでは無理やり婚約者にされてしまいそうだった。
「フィオーラ、どうしたんだい? まだ何か気になることがあるのか?」
「………ノーラに会わせてください」
「また平民の侍女の話かい?」
うんざりしたような、苛立っているともとれる表情が、セオドアの顔の上をかすめた。
「彼女と会いたいなら、私の婚約者になった後にいくらだって会わせてあげるよ」
「それでは、手遅れになってしまうかもしれません」
「手遅れだと?」
不穏な単語にセオドアの笑みが曇った。
「どういうことだ?」
「ノーラは今、セオドア殿下の保護の元にいるのですよね?」
「あぁ、そうだが、それがどうかしたのか?」
セオドアの反応をうかがいつつ、フィオーラは一つの疑いを確かめることにした。
「ノーラに持病があることは知っていますか?」
「持病だと?」
「胃にまつわる病です。普段は大丈夫ですが、定期的に薬を飲まないと、吐血して弱ってしまうのです」
「そんな持病が………」
「そのご様子ですとやはり、ノーラの持病はご存知なかったんですね?」
「………あぁ、そうだ。持病については確認していなかったよ」
誤魔化すように笑うセオドア。
だが、彼がノーラの持病を知らないのも当然のことのはずだ。
(ノーラには本当は、持病なんてありませんからね………)
すべてはでっちあげ。
ノーラの無事を確認するためのはったりだ。
「ノーラは気が弱いところがあるので、体調不良を隠していたのかもしれません。胃を悪くしていないか、一度私に会って確認させてもらえませんか?」
「その必要は無いよ。こちらで気を付け、薬を用意させておくつもりだ」
「………そうですか」
残念そうな表情を浮かべながらも、フィオーラは必死で考えをまとめていた。
(殿下はやはり、嘘をつかれていますね………)
本当にノーラを捕らえているのなら、人質として利用できるよう健康状態くらいは確認しているはず。
持病など無いと把握できているはずなのに、セオドアはフィオーラのでっち上げた持病に騙されていた。
(ならば殿下はおそらく、ノーラを捕まえられていないはず)
フィオーラがセオドアの配下から見せられたのは、ノーラの普段使いしていたリボンだけ。
髪をくくるリボンは、同じ布から作った何本かを使い回しているとノーラから聞いたことがあった。
ノーラが身に着けていたリボン以外にも、予備のものが伯爵邸の侍女部屋に置いてあるはずだ。
伯爵邸の主である父がセオドアの元についたなら、そのリボンを持ち出し、フィオーラへの脅しに利用するくらいは可能なはずだった。
(でも、殿下たちが手に入れることが出来たのはリボンだけだったんです……)
今、ノーラ本人がどこにいるかまではわからないが、セオドアに捕らえられてはいないはずだった。
フィオーラを脅すためにリボンは手に入れたが、ノーラ本人は捕まえ損ねたようだ。
もしセオドアがノーラを捕らえており、人質として利用するつもりだったのなら。
ノーラを拘束するなり痛めつけるなりした姿を、フィオーラに見せつけた方が効果的なはずだ。
にもかかわらず、頑なにノーラと会わせようとしないセオドアの態度に、疑問を感じていたところだ。
ここ数日抱いていた疑いが、セオドアとのやり取りで確信へと変わったのだった。
(お父様の表情もわかりやすかったですからね……)
フィオーラがノーラに会いたいと口にした時、父が顔を歪めるのを確認した。
セオドアの表情は読みにくいが、父の考えをうかがうことはフィオーラには簡単だ。
十中八九、セオドアと父たちはノーラを捕らえられていないはずだった。
(お父様のおっしゃった言葉には、ただ心が乾いただけでしたが………)
父の来訪とノーラの話題への反応のおかげで、ノーラの安否を確信できたようなものだった。
何が幸いするかわからないものだと思いつつ。
フィオーラはノーラの無事に安堵していたのだった。