38話 令嬢は訪問者に会う
「今日でもう4日目…………」
食事の盛られた陶器の皿を前に、フィオーラは一人呟いた。
セオドアに捕らえられて以降、一歩たりとも外に出ることは出来なくなっている。
日に三度、食事が出されるおかげで日付は把握できたが、窓の無い部屋では日の高さもわからない。
給仕に現われる侍女には屈強な男性が付いていて、隙を見て逃げ出すのも無理そうだ。
フィオーラは食事を無駄にしないよう胃に収めると、長椅子へと歩みを進めた。
猫脚の長椅子は、よく見ると絨毯と接する部分が少し歪で、爪を伸ばした猫の足のようになっている。
「《かつて緑でありしものよ、つかの間息吹を吹き返せ》」
しゃがみこみ猫脚に触れ、そっと樹歌を唱える。
すると猫脚の輪郭がわずかに揺らぎ、爪が伸びるように表面が盛り上がったのだった。
(やっぱり、ほんの少ししか変わりませんね………)
少しだけ爪が長くなった猫脚を確認し、フィオーラは肩を落とした。
アルムから教えられた樹歌には、地面から植物を生やすものの他に、その場にある植物に働きかけるものもあるのだ。
幹を伸ばした樹木、小さな花をつけた野草。
それに加え、木材や切り花といった植物を元にした物に対しても、樹歌は働きかけることができた。
花瓶に生けられたばかりの花であれば、樹歌を使い葉を伸ばさせることも可能だ。
(花瓶や鉢植えでもあれば良かったのですけど………)
部屋の中にある、植物由来のめぼしいものは、家具に使われた木材くらいだった。
王太子が用意した部屋だけあり、家具も年季が入った上等なもののようで、木材にも伐採されてから様々な加工が施されているのだ。
樹木であった時から時間が経ちすぎ、性質も変わっているせいか、樹歌の効きがとても悪かった。
樹歌を覚えたばかりの今のフィオーラでは、小さく木材の形を変える程度で精一杯だ。
(………少しずつ、効き目は強くなってはいますが………)
フィオーラは食事の後毎回、樹歌の効果を確かめていた。
ほんの僅かずつではあるが、樹歌の及ぼす変化は大きくなってきている。
(ついでに、家具に使われている木材ごとに、樹歌の効きやすさが違うのもわかってきましたね)
一番相性がいいのが長椅子の猫脚部分。
反対に、化粧台の天板部分の木材は樹歌の効果が小さかった。
初めは気のせいかと思っていたが、何度か繰り返すうちにフィオーラにも、その物品にどれくらい樹歌か効きやすいのかどうか感じる、新たな感覚が育ってきているのだった。
このまま樹歌の練習を続ければ、いずれは木材だって自由に変形させることができるかもしれない。
とはいえ、どれ程の時間がかかるのかわからなかったし、それまでセオドアが黙っていることは無いはずだ。
(それに、ノーラのことだってあります………)
フィオーラは唇を噛みしめる。
セオドアは直接脅しつけてこそこなかったが、ノーラを人質同然に扱っているのは明らかだ。
ノーラの安全を確保できるまで、逃げることすら難しくなるのだった。
(でも、もしかしたら―――――――――)
ノーラのことはどうにかなるかもしれないと、フィオーラが考えを巡らせていたところで、
「フィオーラ、起きているだろう?」
扉が叩かれ、フィオーラの肩が跳ね上がる。
セオドアだ。
窒息の恐怖が蘇り、反射的に身がすくんでしまった。
「………はい。起きています」
声を震えさせながらも、フィオーラは返事を口にした。
セオドアを招き入れたくなどなかったが、彼はこちらの命運を握っているのだ。
唯一と言っていい室外との繋がりでもある以上、会話をし情報を集めなければならなかった。
「フィオーラは今日も可愛らしいね」
入室するなり、セオドアはフィオーラを抱きしめた。
フィオーラは逃げ出すことも出来ず、ひきつりそうな顔がみえないよう頭をうつむける。
「ははっ、そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だよ。毎日君には会いに来ているだろう? 照れる君も可愛いけど、そろそろ慣れてくれてもいいんじゃないかな?」
髪を撫でる手を振り払いたくて。
でも、セオドアの機嫌を損ねないよう、心を押し殺し耐えるしかないのだった。
「セオドア殿下は、お忙しい身の上のはずです。こんなところにいらして大丈夫なのですか……?」
「私の身を気遣ってくれるのか。君は本当に優しい女性だな」
「…………」
「照れないでくれ。今日は君に、会わせたいと思う相手がいるんだ」
「私に?」
ノーラだろうか?
それとも、アルムやハルツ司教達がこの場所を突き止め、会いに来てくれたのだろうか?
一縷の希望を抱き、フィオーラは扉を見つめた。
「フィオーラ、久しぶりだな」
「…………お父様?」




