37話 王太子は恋をする
セオドアがフィオーラに出会ったのは、三年前のことだった。
「生き返るようだな…………」
木漏れ日を全身に浴び、セオドアは歩みを進めていた。
従者兼護衛はいるが、邪魔にならないよう気配を殺してついてきている。
枝葉を茂らせた森の中を、セオドアは当てもなく歩き回っていた。
セオドアにとっては久しぶりの、静かで穏やかな時間だ。
王太子であり、今年二十歳となったセオドアには、いくつもの縁談が持ち込まれていた。
王都に居ては煩わしいことばかりで、与えられた領地に避難しやっと一息ついたところだ。
(狩りでもするかと思ったが…………)
なかなか上手くいかないものだ。
セオドアにとっての狩りは、多くの従者と勢子を引き連れて行う大規模なものだった。
今は騒がしいのは避けたかったため、弓矢のみを背にぶらりとさまよっているところだ。
当然、そんないい加減な狩りでは獲物は見つからなかったが、別にそれでもかまわない。
セオドアには、自ら欲しいと思えるほどの獲物がいなかった。
それは狩りに限らず、王太子としてのやりがいや、女性への情熱という点でも同じだった。
王太子であるセオドアに秋波を送る女性は多かったが、所詮は肩書に引き寄せられるだけの女だ。
いかに自分が美しく優れているか、王太子妃として相応しいかを主張してくる女たちに、セオドアは嫌気がさしていたのだった。
(つまらないな………)
王太子としての義務も同じだ。
強大な政敵はおらず命の危機はなかったが、王太子とはとかくしがらみが多い立ち位置だった。
笑みを作り嘘を交え、思いもしない言葉を吐き出し日々を過ごす。
政治に興味の薄いセオドアにとっての毎日は、ゆっくりと狭まる檻の中に閉じ込められたようだった。
偽りと打算にまみれた生活に嫌気がさし、森へと逃げ込んだようなものである。
目的地の無い歩行、到底狩りとは呼べない道行は、やがて開けた場所へと行き当たる。
木立は切れ、二階建ての立派な屋敷の屋根が見えてきた。
「あれはもしや、リスティス伯爵家の邸宅か………?」
セオドアが歩いていた森は、王太子領と伯爵領の境界線にまたがっていた。
方角も確認せず歩き回っているうち、いつの間にか伯爵領に来たようだ。
伯爵に見つかったら挨拶をせねばならず面倒だ。
そう判断し、踵を返したセオドアだったが、
「――――――――どなたですか?」
澄んだ声が、セオドアの背中にかけられた。
声の高さからして少女のもの。
億劫に思いながらも、セオドアはゆっくりと振り返った。
「………君は…………」
立っていたのは、ほつれの目立つドレスをまとった少女だった。
大きな瞳は空の色を映したようで、セオドアへと静かに据えられている。
(美しいな…………)
髪は傷み服装も質素だが、少女は美しい顔立ちをしていた。
化粧の一つもしておらず華やかさには程遠いが、着飾った美女に辟易していたセオドアにとっては悪くない。
彼女の名はフィオーラと言うようだ。
どことなく品があり、平民とはとても思えなかったが、貴族令嬢らしい高慢さとも無縁の少女だった。
生気に乏しい印象だったが、話してみると受け答えはしっかりしていて、頭の回転も悪くないのがわかった。
(フィオーラといると落ち着くな…………)
フィオーラと出会って以降、セオドアは折を見て彼女の元を訪問していた。
彼女とは出会えたり出会えなかったりだったが、それが逆に新鮮で面白い。
無事に会えた時には、セオドアの話を穏やかに聞いてくれるフィオーラは、セオドアにとって癒しの一つになっていた。
王太子という身分を告げることなく、気まぐれにフィオーラの元を訪れるうち、セオドアはフィオーラを手に入れたいと思うようになっていた。
空色の瞳も、薄茶色の髪も、細い首も唇も。
フィオーラの全てを欲するようになっていた。
彼女は家族に冷遇されているようで、表情はいつも冴えないものだ。
そんな憂いがかった表情でさえフィオーラは愛らしく、セオドアの胸をときめかせたのだった。
(彼女のことは、私が救ってやらないとな)
美しく儚げなフィオーラ。
彼女を救い出せばきっと、その身ごと全てを差し出してくれるはずだった。
フィオーラと結ばれる日を思い、セオドアは着々と工作を続けていた。
そうして父王である国王を説得し、ようやく迎えにいこうとした矢先に、フィオーラは教団に連れ去られてしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やはりフィオーラには、私がついていないと駄目なようだな」
フィオーラを閉じ込めた後、セオドアは自室で一人呟いた。
伯爵邸を訪れ、フィオーラの不在を知った時は、足元が崩れるようだった。
彼女の義母から行方を聞き出し、教団に探りを入れてみたら驚きだ。
(まさかフィオーラが、世界樹の主に選ばれていたとは…………)
予想だにしない事態だが、考えてみれば当然なのかも知れなかった。
フィオーラはなんといっても、セオドアが選んだ少女なのだ。
彼女が世界樹の主という肩書を得るのは、王太子妃となるためにおぜん立てされたようなものだった。
(さすがは、私が恋した少女だ…………)
自身の見る目の確かさに、セオドアは一人頷いていた。
フィオーラは教団に騙されているようだが、しばらく休めば本来の彼女を取り戻し、セオドアを選ぶに違いない。
セオドアがやるべきことはただ一つ。
フィオーラを汚そうとする外部の人間から遮断し、目を覚ますのを待つだけだった。
「待ち遠しいな……………」
空色の瞳がセオドアへの感謝の思いで潤む日を、セオドアは待ち望んでいるのだった