35話 令嬢は帰宅を訴える
王太子であり、誘拐犯でもあるセオドアに抱きしめられ、フィオーラは大いに困惑していた。
戸惑いと不安、それに恐怖。
顔を下げ感情を隠していると、セオドアの笑みの気配が伝わってきた。
「震えてしまってかわいそうに。そんなにも、実家の仕打ちが辛かったんだね。でもこれからは大丈夫だ。君は私の婚約者になり、ゆくゆくは王妃になるんだからな」
「………待ってください」
衝撃の連続で後回しになっていたが、聞き流せない言葉だった。
「私が殿下の婚約者なんてありえません!!」
「君は次代の世界樹の主なんだろう? 格としては十分釣り合うはずだ」
世界樹の主とは、そこまで影響力のあるものなのだろうか?
政治に疎いフィオーラには推測しきれなかったが、問題はそれだけではなかった。
「殿下、お願いですからお離しください。私はたまたま、世界樹の主になっただけの人間です。王妃が務まるわけもありませ――――――――」
「遠慮なんて、私と君との間には不要だよ」
必死にフィオーラが訴えるも、セオドアは話を聞こうとしなかった。
甘く蕩けた、粘度のある視線をフィオーラへとまとわりつかせてくる。
「それに、勘違いさせてしまったのなら謝ろう。君を婚約者にと望むのは、君が世界樹の主だからという理由ではないよ。思い出してくれればわかるはずだ。以前よりずっと、君には優しくしてきただろう? それも全ては、君自身を愛らしいと思っていたからだよ」
セオドアの指が、フィオーラの頬をなぞっていく。
湧き上がる嫌悪感を押し止めながら、フィオーラは口を開いた。
「私は、殿下のご好意に相応しい人間ではありません。ミレア様達に冷遇されていた私を哀れんで――――」
「まだ信じられないかな? 『もう少ししたら、君をこの手で幸せにすると誓う』と、そう告げていたはずだ。君が伯爵家を出てすれ違いになってしまったが、私は君を助け出すつもりだったんだよ」
「…………………」
記憶を辿ると、確かにそのような言葉を聞いた気はした。
当時はミレア達の仕打ちに疲弊していて頭が回らなかったが、求婚の言葉ともとれる告白だ。
「………殿下は、なぜそんなにも私のことを………?」
「君が他のくだらない女とは違う、特別な女性だからだ」
うっとりとした瞳が、フィオーラの顔を映していた。
「フィオーラ、君はその見た目も心も美しい女性だ。あの頃は泥にまみれていたが、私だけはしっかりとわかっていたよ。下品な平民女とは違う落ち着きを持ち、計算高い貴族令嬢とは比べ物にならないほど純粋だ。家族への恨み言を吐くでもなく、一人耐えていた君はけなげで哀れだったよ。そんな美しく清らかな君を救い愛でるのに、私ほど相応しい人間はいないはずだ」
「セオドア殿下………」
居心地悪く、フィオーラは身をよじった。
(完全に誤解です…………)
フィオーラが落ち着いて見えたとしたら、それは明るく振る舞うだけの気力が無かったからだ。
ミレア達への負の感情を吐露しなかったのも、萎縮しきって無感情になっていたからにすぎなかった。
「私は殿下のおっしゃるような、素晴らしい人間ではありません。ただ怯え縮こまっていただけです」
「ふふ、あくまで謙虚なんだな。でも、卑屈になるのも終わりだよ。私が愛してあげるから、君は幸せになれるんだ」
繰り返される愛の告白。
しかしフィオーラにとっては戸惑いと、拒絶感が増していくだけなのだった。
「セオドア殿下、どうか冷静になってください。私は殿下のご期待に添える人間ではありません。殿下にはきっと、私よりもずっと相応しいお方がいらっしゃるはずです。私の身の上をご心配していただいたのは嬉しいのですが、私には今、他にも気遣ってくださる相手が出来ました。これ以上、その方たちに心労をかけないためにも、この部屋から帰らせていただきた――――――――」
フィオーラの言葉が止まった。
唇へと押し当てられたセオドアの指に、背筋が粟立ち硬直してしまった。
「フィオーラ。君はやはり、かわいそうな女性なんだね。教団の人間が君に優しいのは、全て君を利用するためにすぎないんだ。君が世界樹の主となり利用価値が出てきたんだから、優しくするのは当然だろう?騙されてしまっては駄目だよ」
「…………」
「あぁ、ごめんごめん。君を責めているわけではないんだ。ずっと不当に冷遇されてきたんだ。優しさに慣れていないのも当然で、騙されてしまった君は何も悪くないよ」
「…………私は………」
首を振り唇を自由にするフィオーラ。
「どうしたんだいフィオーラ? ようやく、私の忠告を理解できたのかな?」
「………ご忠告ありがとうございます。ですが私は、やはり帰りたいと思います」
なぜならばフィオーラは、アルムの主なのだ。
偶然とはいえ、彼の主となり慕われているのだから、これ以上心配をかけるわけにはいかなかった。
教団の人々だって、それぞれに考えはあるのだろうが、ハルツ司教のように、フィオーラを案じてくれる相手だって確かにいたのだ。
「帰りを待っていてくれる方がいるんです。私と教団との関係が簡単なものではないとしても、彼らと協力すればきっと大丈夫なはずです」
偽らざる本心を、フィオーラはセオドアへとつげたが―――――