33話 令嬢は誘拐された
「それでフィオーラは、まだ見つかっていないのかい?」
寒々しい空気の部屋に、更に温度の低い声が響いた。
ハルツ司教と向き合ったアルムの顔は無表情だ。
感情を無くした面は、しかし見る者に不安を与える静けさだった。
「………誠に申し訳ありません」
冷や汗を背に感じながら、ハルツ司教は口を開いた。
フィオーラを誘拐されてしまった自責の念に不安と後悔。
加えて、万が一フィオーラに誘拐以上の危害が加えられていた場合の、アルムの反応が恐ろしかったからだった。
「フィオーラ様が着替えられていた部屋にあった隠し扉と、その出口がどこに開いているかまでは確認できました。しかしその先、フィオーラ様がどこへさらわれたかは、足跡が途絶えてしまっているのです」
「犯人のあたりくらいはついているだろう? フィオーラにあの部屋を使うよう、教団内に指示した人間がいるはずだ」
「ゲヘタン大司教様です。この国に駐在する神官で上から二番目の地位にある彼ですが、フィオーラ様が誘拐されてのち、前後して、姿を消してしまっています」
「逃がしてしまったってことか」
「…………重ね重ね、誠に申し訳ありません」
教団内部の裏切り者。
ハルツ司教にとっては身内の不祥事に、ただ謝ることしかできないのだった。
「君が謝る必要は無いよ。謝ったって意味は無いんだ。欲しいのは今フィオーラがどこにいるか、それだけだ。教団は王都にも情報網を持っているはずだろう?」
「残念ながら今のところ、有力な情報は引っかかっていません」
「…………それはもしかして、ゲヘタン司教の裏切りも足を引っ張っているのかい?」
「お恥ずかしながら、そうかと思われます。ゲヘタン様はこの国の王侯貴族との折衝など、教団外部との窓口役になっていました。ゲヘタン様と親密だった神官も何名か所在が不明ですから、フィオーラ様の誘拐に加担し、捜索を妨害していると考えるのが自然です」
「教団の中にはずいぶんと、裏切り者が多いようだね?」
「…………その点は、私も予想外でした」
ハルツ司教は唇を噛んだ。
「私は確かに、この王都の教団支部へと、フィオーラ様の存在を報告いたしました。王都の教団支部長様たち一派は、フィオーラ様を歓迎し受け入れるお心積もりでした。ゲヘタン様が支部長様を出し抜こうと、フィオーラ様の身柄を手に入れたところで、彼らのみでは後が続かないはずなんです」
「…………つまり、他に協力者がいるということだね?」
「おそらくそうです。そちらの線からも、捜査にあたらせているところです」
疑わしいと思われる貴族や商人の名を、ハルツ司教があげていった。
黙ってアルムが話を聞いていると、足元にするりと毛皮がすりよってくる。
「きゅい…………」
ひげをしんなりとさせたいたちの精霊だ。
精霊は、自分が目を離したすきにフィオーラが誘拐されてしまったことで、一層落ち込んでいるようだった。
「きゅいきゅきゅきゅきゅぁんきゅ……………」
「そっちも手掛かりは無しか…………」
精霊は精霊なりに、王都を駆けまわりフィオーラを探していたのだが、収穫は無いようだった。
「フィオーラ…………」
名前を呼ぶアルムの胸で、かきむしりたくなる衝動が強くなった。
(痛いな…………)
怪我はしていないはずだが、じくじくと胸が痛み続けていた。
あるいは手首を切った時よりもずっと、耐え難い痛みかもしれなかった。
「………てがかりがないか探してくるよ」
内面から気を反らすように、立ち上がり行動を開始する。
何かして動いていないと、胸の痛みでおかしくなってしまいそうだった。
「フィオーラ………」
彼女に出会ってから、アルムの心は騒がしくなるばかりの毎日だ。
人の姿をとり、主を得た影響かもしれないが、初めての経験ばかりなのだった
(けど、いらない。こんな痛みは、知りたくなんて無かったよ……………)
フィオーラが誘拐されて一日だが、既に何年も陽の光を浴びていないようだった。
もし彼女が大けがでもした場合、アルムにも伝わるはずだから、肉体が無事なのはわかっている。
だがそれでもなお焦る気持ちは、一向にアルムの内から消えないのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ここはいったい、どこなんでしょうか………?」
何度目かもしれない問いを、フィオーラは一人唇に上がらせていた。
今いるのは、美しく整えられた一室だ。
広々とした部屋には寝台や長椅子が備え付けられていて、調度品は見るからに高そうだ。
足りないのは窓と、一つしかない扉を開ける鍵くらいのものだった。
フィオーラは丹念に部屋の中を探したが、外と繋がりそうなものや、刃物の類は見つけることができないでいる。
この部屋に連れてこられて一日ほど。
窓が無いため正確な時間はわからないが、一晩は経っているはずだった。
移動の途中は目隠しをされていたため外の様子はわからなかったし、たとえ見えていたとしても、初めての王都なので土地勘があるわけもない。
(今のところ、危害を加えてくる気はないようですが………)
襲撃犯の正体は不明で、全く安心することは出来ないのだった。
せめて地面に触れられれば、樹歌によって植物を生み出し逃げ出せるかもしれないが、室内ではそれも望めなかった。
(私のせいで、アルムやハルツ様にも迷惑を………)
着替えのためとはいえ、一人になってしまったのはフィオーラの落ち度だ。
教団の中とはいえ完全に安心はできないと、そう頭ではわかっていたはずだったが、
(ハルツ様やサイラス様、それにタリアさんは優しい方たちでしたが…………)
だからといって教団の他の人々全てが、良い人間とは限らないのは当たり前なのだった。
ノーラとヘンリー以外の人間から数年ぶりに優しくされたことで舞い上がり、そんな当たり前のことさえ忘れてしまっていたらしい。
自責の念に沈むフィオーラの耳に、金属のこすれる小さな音が届いた。
(‼ ドアノブがっ!!)
かぎが開けられたらしく、金属製のドアノブが回っていた。
固唾を飲んで見守っていると、扉から一人の人間が入ってくる。
「え…………?」
「フィオーラ、ようやく再会できたね」
誘拐犯の一味とは思えない、爽やかで親し気な挨拶だ。
「セオ様………?」
入ってきた青年は金の髪に紫の瞳を持った、フィオーラの見知った相手なのだった。
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