31話 令嬢はもふもふに埋もれる
良く晴れた空に、さわさわと霊樹が枝葉をそよがせている。
霊樹のある中庭は人の立ち入りが制限されていたが、今は少し騒がしかった。
「うおおおんっ‼」
「な~~~~~~お~~~~~」
「ちちいっ」
声の主は、木陰に集った人ならぬ存在だ。
犬に猫、ねずみ猪、鹿、それに小鳥など。
体のそれぞれに一輪の花を宿す、精霊たちの集まりだ。
十体を超す精霊たちはフィオーラへと我先に群がり、甘えた声をあげていた。
「う、埋もれますっ…………!!」
毛皮もつ精霊たちに囲まれ、フィオーラは立ち往生していた。
右を見るともふもふ、左をみてももふもふ。
肩では小鳥が囀り、駆け上がってきたねずみと肩の上で縄張り争いを始めた。
「ぴぃっ‼ ぴいいぃぃぐえあぁっしゃ―――――――っ!!」
「ちぃ⁉ ちちぃしゃあっ‼」
「待ってください!! 落ち着いて落ち着いてっ!!」
ねずみと小鳥の喧嘩の仲裁をするという、ある種貴重な体験をするフィオーラ。
四方八方を精霊たちに包囲され、すっかり動きが取れなくなっていた。
「きゅきゅいっ‼」
鋭い鳴き声。
いたちの精霊のものだ。
その声に他の精霊たちが、一斉にびくりと体を揺らした。
「……………助かりました?」
波が引くように、精霊たちがフィオーラから離れていった。
少し離れた場所で、一列に並ぶ精霊たちを睥睨するように、いたちの精霊がその前に陣取っていた。
「きゅい‼ きゅきゅきゅあぁっ?」
どこか叱るような調子で、いたちが精霊たちに声を上げる。
「…………なううぅ………」
「んな~~~おぅっ」
犬の尾は垂れ、ねずみのひげはしんなりとし、小鳥は頭を下げていた。
いたち以外の精霊は、はっきりと落ち込んだ様子だ。
精霊たちの言葉はわからないが、まるで叱られた子供のように見える。
「あの子たちはいったい、どんなやり取りをしているんでしょうか………?」
「気になるかい?」
霊樹の傍らに座り込んでいたアルムが歩み寄ってくる。
アルムが精霊たちのさせるがままにしていたということは、フィオーラへの害意は無いと判断したということだ。
(でも、びっくりしました。うっかりもふもふに潰されるかと……)
フィオーラは目の前に整列した精霊たちを見た。
今日、霊樹の前に足を運んだとたん、次々と精霊の実から生まれてきた精霊たちだ。
精霊たちはフィオーラの姿を視認したものから、どんどんとすり寄ってきたのだった。
「霊樹から生まれた彼らにとって、霊樹を助けたフィオーラは命の恩人のようなものだよ。愛しくて慕わしくて、近寄らずにはいられなかったんだ」
「そうだったんですか…………」
「でも彼ら、勢い余ってフィオーラの反応もお構いなしだったろう? これはいけないと、いたちの精霊が割って入ったっていうとこさ。人間で言うところの、教育的指導ってやつかな?」
「いたちの精霊さんの教育………」
狼も猪も、いたちの前で大きな体を縮こませうなだれている。
自然の獣ではありえない、精霊の集まりならではの光景なのかもしれなかった。
「もしかしていたちの精霊さんは、他の精霊さんたちにとってお兄さんのような存在なんでしょうか?」
「あぁ。その認識で間違いないと思うよ。この霊樹から一番最初に産まれたのがいたちだからね」
「ふふっ、かわいらしいお兄さんなんですね」
小さないたちが兄で、大きな狼たちが弟。
世にも珍しく、そしてほほえましい関係に、フィオーラは笑い声をあげたのだった。
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精霊たちの誕生を見届けたフィオーラは、その翌々日に王都へと出発することになった。
この地の守りは衛樹から霊樹へと強化され、十体以上もの精霊たちが担うのだ。
黒の獣対策に関しては、王都よりも万全だというのが、ハルツ司教らの見立てのようだった。
「フィオーラ様、ご準備は整いましたか?」
「はい。今行きますね」
声をかけてきたのは、ここ数日で顔なじみになった女性神官のタリアだ。
(タリアさんとも、今日でお別れなんですよね)
ようやく打ち解けられてきたところだったので、少しだけ残念だ。
タリアは金の髪に紫の瞳を持っていた。
髪と目の色の組み合わせが、フィオーラが苦手意識を抱くミレアや義母と同じだ。
そのせいで、最初は腰が引けてしまったが、タリアはそんなフィオーラを叱ることも無く、温かな態度で接してくれていた。
短い期間だったが、大変お世話になった女性神官だったのだ。
(寂しくなりますね…………)
後ろ髪をひかれつつ、アルムと共に馬車の中に乗り込んだ。
窓から外を見ると、精霊たちが一列になり見送りに来ていた。
「きゅきゅいっ‼」
フィオーラのことは僕にまかせて、とでも言うように。
肩の上でいたちの精霊が一鳴きする。
精霊たちを代表して、いたちがフィオーラと同行することになったのだった。
二台の馬車に乗り込んだのはフィオーラにアルム、それにハルツ司教と何人かの神官だ。
王都までは片道5日間ほどの道行になるはずだった。
(伯爵家からこんなに遠く離れるのは、初めての経験ですね………)
遠ざかっていく精霊に手を振りつつ、フィオーラは軽い感慨を覚えた。
母がいない以上、正直なところ伯爵家に未練はほとんどない。
数少ない心残りは、侍女のノーラと薔薇たちについてだった。
(義母様達はまだ、伯爵邸を空けていないんですよね…………)
ハルツ司教の持ち掛けた取引に、リムエラ達はまだ首を縦に振っていないらしい。
ノーラ達が心配だが、これは予想内の展開だ。
フィオーラの父である伯爵家の当主は今、王都へと出張していて伯爵領には不在だった。
伯爵邸の中では女王のごとく振る舞っていたリムエラでも、伯爵邸の明け渡しを独断では判断できないはずだ。
(ハルツ様の見立てでは、お父様は取引に応じるだろうとのことでしたね)
父親について、他人を扱うような感覚でフィオーラは考えた。
もう何年も、父親とはまともに会話していないのだ。
リムエラとフィオーラの不仲を厭った父は、逃げる様に家を空けていることが多かった。
フィオーラにしても、父親への思いはかなり薄くなっているのが本音だ。
(お父様よりずっと、他人であるヘンリー様の方が私にとっては身近で大切でしたけど―――――)
そこまで考えたところで、フィオーラは唇を噛みしめた。
ヘンリーは、フィオーラとの婚約を破棄してきた相手だ。
おそらくリムエラに脅されてのことだろうから、恨むとまではいかなかったが、傷口は癒えていなかった
4年の間、兄のように慕っていたからこそ、かさぶたになるには早すぎる傷跡だ。
「フィオーラ、どうしたんだい?」
「…………なんでもありません。窓の外の空に、雲が増えてきたなと見ていたんです」
痛むフィオーラの心を映し出したかのように、陽は翳り暗くなってきている。
もうすぐ、雨が降りそうな予感だった。




