16話 令嬢は家を出る
「次の世界樹であるアルム様、そしてアルム様の主であるフィオーラ様。お二方のお力を、私どもにお貸しいただけないでしょうか?」
言葉と共に、深く頭を下げるハルツ司教。
「先ほど、フィオーラ様を試した件と言い、ジラス司祭が不当に振るった暴力と言い、頼みごとをできる立場ではないと分かっているのですが……それでもどうかお力を、お貸ししていただきたいのです」
「ハルツ様、頭を上げてください。まずどんな頼みなのか、お聞かせ願えないでしょうか?」
人に頭を下げられ慣れていないフィオーラが頼むと、ハルツ司教も聞き入れてくれたようだった。
「フィオーラ様は現在の、我が教団を取り巻く状況をご存知でしょうか?」
「……すみません、あまり詳しくは……。何か問題でもあるのですか?」
「まだ大きな問題にはなっていませんが、衛樹の守りが弱まってきている箇所があります」
「衛樹が……」
衛樹とは守りの木。
世界樹の枝を挿し木して育てられた木であり、人に仇なす『黒の獣』を遠ざける力があった。
(その衛樹の力が、弱まっている……。もしかして、アルムの言っていた、今の世界樹があと十年ともたず寿命を終える、その影響なんでしょうか……?)
フィオーラの推察を裏付ける様に、ハルツ司教が口を開いた。
「これは公にはされていないことですが……。十年ほど前から、世界樹の力に陰りが見られるのが、教団では確認されていました」
「……なぜ、その秘密を私に?」
「フィオーラ様にも無関係ではないはずだからです。我らの教団の上層部には、一つの通達がされています。『今の世界樹様が命を終える前に、新たな世界樹様が主を選び芽吹くはずだ。極秘裏に次代の世界樹と主を探し出し、速やかに保護するように』と命じられていました」
「……そういうことだったのですね」
だからハルツ司教は、アルムの正体を推察できたに違いない。
やはり先ほど、アルムの正体で嘘をつかなくて正解だったようだ。
「その通達は、どれくらいの方がご存知なのですか?」
「ごく限られた人間のみです。この国の教団の人間でも、知っているのは片手で数えられる程しかいないはずです。だからこそジラス司祭も、フィオーラ様が世界樹の主だと思い当たることもできず、蛮行を重ねてしまったんだと思います」
「……少し気になっていたのですが、ジラス司祭とハルツ様は、どのようなご関係なのですか?」
ハルツ司教はジラス司祭を咄嗟に庇っていたが、あまり親しげでは無さそうだった。
年齢はジラス司祭の方が上だが、地位や権力はハルツ司教の方がずっと上なのかもしれない。
「ジラス司祭と私は、共に教団に属する身ですが、面識はほとんどありませんでした。本来、不法な樹具の所持者の報告があった場合、樹具を使える私が赴くのが手順です。しかしジラス司祭は功を上げるため、私に報告が届く前に、独断で部下を動かしフィオーラ様を害してしまったんです。同じ教団の人間として、申し訳ない限りです……」
「……つまり、ジラス司祭の独断だったんですね」
フィオーラは少し安心した。
もしジラス司祭だけではなく、千年樹教団全体から不法な樹具所持者だと認識されていたらと心配していたが、杞憂のようだった。
教団は完全に心を許せる組織ではないとはいえ、ハルツ司教のような、話が通じる相手もいるようだ。
「ジラス司祭については、後はそちらにお任せしたいのですが……。衛樹の方は、今どういうことになっているのですか?」
「いくつかの衛樹で、葉が落ちるなどして、黒の獣を遠ざける力が弱まってきています。フィオーラ様とアルム様には弱まった衛樹の力を、再生させていただきたいのです」
「……アルム、できるの?」
衛樹を再生させる方法など、フィオーラには理解の外だった。
木のことは木に聞くべしと、世界樹の化身であるアルムへと話をふる。
「やったことは無いけど、たぶんできるはずだよ。フィオーラが望むなら、僕はやってみせるからね」
「……」
アルムの答えは明快だ。
可能だが、その選択を行うかどうかの判断は、あくまでフィオーラに任せるようだった。
「……わかりました。どこまで力になれるかわかりませんが、協力したいと思います、ただ、代わりに一つ、お願いしたいことがあるのですが……」
「……なんでしょうか?」
少し警戒した様子で、ハルツ司教が問い返した。
「私をしばらく、この教団に置いて欲しいんです。実家に、伯爵邸には今、帰りにくくなりましたから」
フィオーラを虐げてきたミレア達に、アルムの正体を知られたら面倒だ。
フィオーラのものはミレアのもの、と言う暴論を持ち出して、手を出してくるに違いない。
「……その程度は、お安いご用です。ちょうどこちらからも、提案しようとしていたことですからね」
ハルツ司教が頷いた。
フィオーラは予想外にあっさりと受け入れられたことに安心しつつ、ほっと息をついたのだった。