第46話
夕方。予定通りペンサコラは見えて来た。ここは街道の分岐点にある宿場町だ。
「ベイトさん、貴方が来てくれて助かりましたよ、今日はずいぶん蜘蛛が出たんですねえ」
俺は大蜘蛛が出た事は話さずに済ますつもりだったのに、ビリーがわざわざ皆に報告したらしい。バートンさんに礼を言われてしまった。
「いや……たいした事では」
「どこかで軍隊にでも居られたのですか?」
「いやいや、とてもそんな」
まあ、バートンさんの方は別段ガードナー一味とは関係なさそうだ。
「私と娘も宿に泊まれますよね?」
「勿論ですよ、ああ、私達は男女別の大部屋に泊まりますが、お二人には親子で個室を、蜘蛛退治のお礼にですね」
「いやいや! それは勘弁して下さい、ほら、解るでしょ? もうお父さんと一緒なんて嫌がる年頃なんです、ね?」
「ああ……こりゃうっかり。じゃあ大部屋で宜しいですか……ですよねえ、うちだってそうですもんねえ」
さて、ハンナとビリーはお互い何が気に入ったのか、凄い勢いで仲良くなって、道中からずっと、二人で何か話しているのだが、
「それで俺っち魚じゃない、魚じゃないって言ったのね、そしたらポンチの奴じゃないがわかんないの、はい、のじゃないか、いいえ、のじゃないか」
「あるある、そういうの、私もよくじゃん?とかじゃん。とか間違えてヤギの餌持って来ちゃってそれじゃなーいってなって」
「そうー! それ!」「それー!」
ちょっと聞き耳を立ててみても、何を言ってるのか全く分からない。
ふと見ると俺が佇んでいる窓辺に、あのアズサとかいうヒヨドリも佇んでいる。
「あれ、分かるか?」
ヒヨドリはかぶりを振る。
「そうか……」
こいつ、人間の言葉解るのかな。魔法使いの使い魔みたいなものか?マリオンさんがたまにリスと話しているけど、あれもそうか。
「お前もガードナーの部下なのか?」
俺が問うと、ヒヨドリは俺の事をじっと見つめる……守秘義務があるから話せない? ああ、そう……
「アッハッハ、この兄ちゃん、鳥と話してらぁ~」
ちょうど外を歩いていた酔っ払いが、こっちを指さして笑う。
ふふ。旅はいいものだな。思えば俺は旅が好きだったはず。恥はかき捨てだし人との出会いがある。見知らぬ光景、触れた事のない物。旅をしなければ出会えない物はいくらでもある。
旅は、自分と向き合う時間を与えてくれる……
自分と……
そういえば。
俺は……誰だ?
この二か月。俺はハンナとのスローライフに夢中になっていて……その事を全く考えて来なかった。
俺は誰だ?
ガードナーに聞けば解るような気がした事もあったが、それでハンナとの生活を失うくらいならお断りだと、自分の思いに蓋をして来た。
はっきり言って、俺には記憶が無い。
メリダの村の近くで意識が目覚め、あの、湖から村へと続く坂道を登って……ハンナに出会って……それ以前の記憶が無い。
普通、人は自分に記憶が無かったら、もっと慌てるのだろうか? だけど俺にはどうでも良かった。
大事なのは記憶より価値観だった。俺もこの年まで育って来たという事は、過去も持ってるし積み重ねた経験もあるのだろう。
その上で、俺はハンナを守りたい、ハンナと一緒に生きたいと願った。という事は、おそらく俺は記憶があってもそう思うはずなのだ。
だけど……もしかしたら記憶があったなら、ハンナの元を離れていたのかも……俺が王様に仕える兵士だったら? ハンナは気になるけど仕事があるから帰らなきゃと考えていたかもしれない。
もしそうだったら。価値観による判断の妨げとなる、記憶なんかなくて良かった。
俺は記憶を無くしたおかげで、ハンナを守る事が出来たのかもしれないんだ。
でも、自分が何者か……それに全く興味が無いと言えば嘘になる。




