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私の盲目  作者: 伊吹ねこ
8/11

私の盲目 5

あと二日よろしくお願いします。


              5

 知らないことが多ければ、恋することは多いと思う。彼が不思議であれば、あるほどに私は彼に多く恋をした。

 知ることが少なければ、愛することは少ないと思う。彼を知ろうとしなければ、私は……、彼に愛されたいという自惚れを抱くことすらもなかった。



 あたしは、彼からの提案に心が浮かれた。

 彼の提案といえば、いつも彼のためだけだったと思う。少なくとも、あたしのことを考えて……、というのは今までなかった。いや、しかし、それでもあたしはいいと思っていた。不満を持っていたわけではない。

 あの時までのあたしの願いは、彼と一緒に多くの時間を共有することだった。なら、それで良かったの。それ以上は、望んでいなかった。

 

 でも、彼から漏れ出た一瞬の優しさに触れてしまえば、欲張りなあたしは、彼の知らない部分をもっと見てみたいのだと、彼に恋をする。彼から、もっと多くのモノを奪い去りたいと願うようになっていた。

 それがあたしに対する罪の一つ。欲張りで醜いあたしは、その罪に対する罰を受けることになってしまった。


 彼からの提案から8ヶ月ほど経った。あたしと彼は、とても暇な人間なのだけど、どうしても陶芸教室との兼ね合いが合わず、8ヶ月も経ってしまった。


 でも、その間もとても楽しみだった。だから、浮かれてしまっていたの。

 あたしたちが行く陶芸教室の場所は、山奥にあってバスなんかやほかの公共交通機関もタクシーほどしかなかった。

 車で行くことが最善だったから、彼を迎えに行こうとした時のことだった。



 あたしは、車の運転は、普段あまりしない。自宅も大学から徒歩圏内のところにあるし、自動車は持っていたけど、あまり使うことがなかった。

 普段通る道が一方通行だからって油断していたの。左からこちらに曲がってくる車があることなんて思っても見なかったの。


 そんな偶然が重なって、予想外の正面衝突をしてしまった。もちろん、あたしはすぐに病院に運ばれた。

 だから、病院にいるあたしは、とても沈んでいた。いや、この修飾語は、似つかわしくない。というよりも、説明不足になってしまう。病院にいるからあたしは、沈んでいるのではない。ここで病院にいようと自宅の部屋に居ようと、どこに居ようと今日そこにいないあたしは、沈んでいる。

 ならば、陶芸教室に行くことができず、病院にいるあたしは、とても沈んでいた。が正しい。もっと正確にいえば、彼と一緒にいないあたしは、とても沈んでいた。が最もあたしの心情を表した言葉になるだろうか。


「はあ、今頃、手についた泥とかで彼の顔が汚れていたのかな。そう思うと、あたしはこんなところで何をしているんだろう。あの時もっと慎重になっていれば……」


 楽しかっただろう時間を思うと無性に腹立たしくなる。今日のあたしは、情緒が不安定だ。

 きっと、あんなところで慎重に運転するような人は少人数で、比較的よく使う道の人はそんな注意することもしないかもしれない。でも、やっぱり、あの時と考えてしまう。あの時、慎重になれば、こんなところにはいなかった。あの時、落ち着き、冷静であったなら……。こんなことを考えても、不毛だ。失ったものを得られるわけでもない。教訓にすらもならない。

 だって、楽しみな時間を冷静でいなさいって教訓は、あたしには無意味だ。


 ただため息が漏れでてしまう。


「これで何回目なの。もう数えるのも忘れちゃった」


 と若干大きな独り言をいっていた。

大丈夫。あたしが独り言をいったとしても、大部屋で窓側の一角にあたしのベッドが置かれているから、誰も気にしない。

 それに、大部屋だといっても、今の時間、手術を終えた人が一人おり、麻酔の影響で深い眠りについており、他の人は、どこかにいってしまっていた。実質、一人のようなものだった。

 ああ、もう日が暮れてしまいそうだ。西日がやけに眩しい。だから、あたしは、カーテンを閉めて赤い西日をわずかに遮った。

 遮ってみれば、あたしの前に人がいることに気がついた。


「やあ、事故にあったらしいね。君は、運転が下手だから……」


 驚いてとっさに言葉が出なかった。まさか、あたしが今一番会いたい人が目の前にいたから。でも、まあ、それと同じく一番会いたくない人でもあるのだけれど。

 あたしは、彼を認識すると、彼のいつもの口調の言葉に反論することにした。


「いきなり、嫌味? ちょっとは、心配してよ––ほら、こんなに痛々しいのに」


 あたしは、ギブスで固めて安静にしてある腕を軽々しくあげて、それに似つかわしい様子で同情を誘うような笑顔を彼に向けた。

 そうしたら、彼の顔がどこか寂しげに見えた。いや、小さく漏れた夕焼けが彼の顔を照らしていたから、物寂しいと連想してしまっただけかもしれない。


「心配をしていないなんて、君が決めるな。本当に心配した。約束の時間を過ぎても、いつまでも、君が現れないから、とても心配してんだ。事故にあったのかと……。そしてら、案の定この有様だ」


 彼の目が赤く染まっていく。その目でじっと見つめる彼にあたしは、どうすればいいのかわからない。

 私は、何か言おうと口を開くのだけれど、何が適切な言葉なのかわからず口を閉じる。でも、やっぱり何か伝えようと口を開いた。


「ごめんなさい……。少し、気をつけます。でも、あなたにそんなことを言われるなんて思ってなかったから、何だろう……、驚いた。……し、何だかとても嬉しいの」


 素直な気持ちだったと思う。身勝手な自己認識でしかないと思うけど、彼に必要とされていると感じた。それがとても嬉しかったの。


「傷に響いた?」

「え?」

「泣いているから。痛かった?」


 そう言って私の顔を覗き込む彼の顔から目が離せなかった。


「痛いよ。痛かったよ。心配してくれるの?」

「当たり前だろ? 僕は、そこまで薄情じゃない。一番近くにいる人が傷ついたなら、心配くらいするよ」

「だったら、今日は一緒にいて? 寂しかったの。心細かったの。まだ、あまり知らない土地で、怪我をしたから、心細かったの」

「うん、わかった。時間の限り側にいよう。いつも通りね。––よく見れば、病院からのこの夕焼けも美しい」


 彼は、ベッドの横にある丸椅子に腰を下ろした。

 そこから、眩しいが優しい光を送る太陽に目を向けたが、やはり、眩しかったのだろうか、一度手で影を作っていた。しかし、それも不粋であると考えたのだろう、やめて太陽とそれに連なる景色を直視した。


「そういえば、あなたは、何で美しいものを見たいの?」

 あたしの質問に彼は、何も言わないままでいた。あたしは、聞こえていなかったのかと思って、同じ質問をしようと口を開こうとした時に、先に彼が口を開いた。

「……。例えば、味覚なら、食べること。嗅覚なら、嗅ぐこと。聴覚なら、聴くこと。触覚なら、触ること。そして、視覚なら、見ること。五感には、それぞれ刺激となるトリガーがある」

「うん、そうだね」

「人は、刺激という感動があるから、生きていることを実感する……と思うんだ。でも、人の刺激の8割は、だいたい視覚からの情報に割かれている」

「へえ、そうなんだ。……だから?」

「そう、だから! 死ぬまでに感動するものを見続けていたい! そうしたら、僕は、まだ生きているんだと思える」

「それが美しいもの?」

「そう。それが一番わかりやすかった。砂丘からの夕焼け空は、本当に綺麗だったなあ」


 彼は、そこまでいうと再び沈んでいく太陽に目をやった。それを名残惜しそうに最後まで見ると、あたしの方に視線を向けた。

 不思議な顔だ。まるで、もう二度と見ることがないかもしれないように必死に見ていた。しかし、それは彼のいつもの顔だった。あたしの顔ですら、そういった顔で見ることすらある。

 爪を噛む人がいるように、それが彼の先天的な癖であると私は思っていた。


「君といると、それがたくさん見つかった。ありがとう」

「え? まだ、これからでしょ?」

「うん、そうだった。これからも見つけていこう」


 彼はそう言って笑ったんだ。


 あたしの怪我が治るまでの日々、遠出ができない日々を彼はあたしのために外出は控えて、側にいて話をした。他愛もない会話だった、他の人なら既に知っていてもおかしくない内容だったけど、あたしは楽しかった。聞いたこともないことだらけだったから、知らない人と話しているような高揚感や不安感をなんだか感じていた。

 彼の血液型は、AB型だった。あたしはO型だけど、相性なんて関係ない。

 彼は、深く考える時に顎に手を添える。あたしがよく『それやめなよ』というと、彼は集中できるんだと笑った。

 彼は、笑う時いつものより3割増しで優しい顔になる。その顔を見るとあたしも嬉しくなる。

 彼の大好物がブリの照り焼きだということ。今度作ってあげようと思う。

 彼の家族について、彼は二人兄妹だった。妹とは2歳差だった。あたしは一人っこで妹がいたらなと話したら、彼は君みたいにわがままだと笑った。

 東京の実家がある場所、とても立地のいいところに彼は住んでいた。あたしの家とは、急行で3駅ほどの距離にあった。

 彼が高校時代天文学部だという意外な情報も聞いた。だから、彼は星について詳しかったのかと納得もした。今度は、真っ暗な砂丘で流星群を見ようと彼が誘ってくれた。

 彼が一番感動したのは、砂丘で見た景色で、それはあたしと同じだった。

 そして、何よりもあたしを驚かせたのは、彼は“一人は寂しい”と言ったことだった。


 あたしは、彼のことを何も知らない。

では、また。

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