0-1話
「暇だ。」
荒れた荒野の中ぽつりとそうつぶやく少女がいた。
見た目はとても可憐な少女だ。
年は10代後半くらいだろうか。光沢を放つ銀色の長い髪に宝石のような黄色の瞳。雪のような白い肌にあどけない顔立ち。
一見ひ弱そうな彼女が、まさか人類を救った魔法の祖アストラッテ・エクスガイアだとは誰も思いもしないだろう。
彼女は魔法の実験のためこの荒野を訪れていた。
その証拠にその荒野では自然には出来ないような跡であふれている。
隕石が落ちた後のような馬鹿でかいクレーター。天災ともいえるほど吹き荒れるサイクロン。全てを焼き尽くそうとせんがばかりの勢いで燃え上がる火柱。
人が入ろうものなら数秒であの世へ旅立ちそうな有様である。
これをやったのは全て彼女である。
この荒野ももともとは緑で生い茂った自然であふれた平野だった。
だが、彼女はそんな場所をたった5分で今の有様にしてしまった。
彼女はそんな地獄のような光景を作り出した後、先ほどからその中央に立ちながらずっとつまらなそうな表情をしている。
「何が暇だ。こんなことをしでかしやがって。」
そんな危険地帯を通り抜け彼女に近づいていく男が一人いた。
彼の名前はアラン・トーレウス。彼女とは古い仲の友人である。いわゆる幼馴染というやつだ。
彼は荒れ果てて前の自然は見る影もない荒野を見渡すと、一つため息をついた。
「暇なら魔法の研究でもしてろよ。人に迷惑のかからないところで。」
「んー……。」
彼が現れてもなお、彼女は暇そうだ。
気のない返事を一つ返した後、彼女は振り返るように辺りを見渡した。
しばらく辺りを見渡していたアストラッテだったが、それも飽きたのか首を動かすことをやめ、誰が見ても分かるようなオーバーなため息をついた。
「ぶっちゃけもう魔法の研究も天井が見えてきたんだよ。5000年も続けてたらさすがにね。」
「お前今年で5013歳だっけ?」
「5011歳だから。女性の年を二つも多めに間違えるなんて、失礼な奴。」
「5000歳いってたら2つなんて誤差じゃねえか。」
「ああん?」
「いや、なんでもない。」
ひとしきりアランのことをにらみつけていたアストラッテだったが、ふと荒れた地面へ座り込んだ。
そこから彼女はそっと地面に片手を置くと、まるで赤子を撫でるような手つきで地面をひと撫でした。
その表情はとても悲しげだ。
「そもそもこの世界は壊れやすすぎるんだよ。これ以上の研究はどうやってもこの世界を崩壊さしかねない。」
「だったら他のやつみてえに新しい世界を創造してそっちに移り住めばいいだろ。ここよりもっと頑丈な世界を作ってよぉ。」
「いやあ、私はほら、なんだかんだでこの世界に愛着がね。どうしても捨てる気になれないんだよ。」
彼女はそういうと、懐かしむような眼で遠くを見つめた。
その表情は恋をする乙女のような、またはお気に入りのおもちゃを手に入れた子供のような、そんな表情だ。
昔の何かを思い出しているのだろう。昔の楽しかった記憶を。
アランも空気を読み、そっと無言になる。
「それに私が世界を作ってもおそらく邪神タルタロス並みの頑丈さを持った実験対象を作り出すことは不可能だ。それじゃ意味ないんだよ。」
「タルタロス? お前あれを作りたいのか? あの暴虐の邪神を?」
「うん。彼はとっても頑丈だった。おかげで世界が数百回崩壊するような魔法でも彼の前では試すことができた。とてもいい実験体だったよ。」
「かつてこの世を支配した邪神を実験体呼ばわりかよ。おっかねえなぁ……。」
タルタロスを語っている彼女の表情はとても楽しげだ。イチオシのゲームを語る少年のようなキラキラした瞳で話している。
この一面だけ切り取ったらまるで恋をした異性について語っている普通の女の子のようだ。
まあ語っている相手は神を殺し世界を支配した暴虐の邪神なのだが。
ひとしきりタルタロスのことを語るアストラッテだったが、ふと思い出したように悲しげな表情になった。
「だけどあれ以降待っても待ってもタルタロスのような頑丈な体を持った奴は生まれてこない。これじゃ魔法の研究は煮つまり。次の段階へ進めない。」
「じゃあ魔法以外の趣味を見つけろよ。今度は女の子らしいやつをさ。」
「あいにくだけどできることは全てやりつくした。だから暇なんだよ。私が何より暇を嫌う性格なのはアランも知っているだろう?」
「ああ。痛いほど知ってるさ。そもそもお前が魔法の開発をしたのだって暇を潰すためだもんな。」
「よく分かってるじゃないか。」
そう言ってアストラッテは笑った。
だがその笑みはどこか寂しさを含んだような、なんともいえない笑いだった。
おそらく万物を網羅してしまった自分に対する嘲笑。彼女の笑みにはそんな意味も含まれているのだろう。
「もう新しく学ぶことはないんだ。世界を渡り歩こうと、新しい魔法を発明しようと、私はその全てをもう知ってしまっている。こんな悲しいことがあるかい?」
そう言って彼女は両手を大きく広げた。
それに呼応してサイクロンが、業火が、付近一帯の全ての現象が荒れ狂うかの如く激しくなる。
いや、付近だけじゃない。
遠くにある木々、風、海、太陽、月。
その全てが彼女の問いによってその活動を激しくさせる。
風は吹き荒れ、津波は起こる。
まるで彼女の問いに世界そのものが答えているかのように。
近くの厄災が、遠くにある木々が、地平線に沈む太陽が、空に浮かぶ月が。
まるで彼女を中心にして世界が回っているかのように、彼女の問いにこの世の全てが応じた。
その現象を見た彼女は、満足そうにその広げた両手をもとに戻した。
「ほらこの通り。私はもはやこの世界なんて意のまま。この世界の全てをこの手の中に収めてしまった。我等が父たる神が作り出したこの世界をね。」
「はあ。」
「もうやることがなさすぎる。暇で仕方がない。」
「ふーん。」
「もういっそ自殺でもしようか……って聞いてるのかアラン?」
「聞いてる聞いてる。」
「聞いてない奴が言う常套句だねそれは。」
「いや、聞いてるって。すげーくだらねーこと考えてんなーって。」
アランがそう言ったとたん、アストラッテが纏う空気が変わった。
今までの賢者が纏うような独特の雰囲気は身を潜め、世界を破壊する邪神が纏うような黒い空気が彼女を纏った。
それに呼応するように、世界がアランを標的にした。
アランに向かって暴風が吹き荒れ、業火が彼を襲い、天からは今にも隕石が降って来そうな勢いだ。
それを何とか凌いでいるアランに向かって彼女は幽鬼のようにふらりと立ち上がりゆっくりと近づいていった。
「くだらないとは言ってくれるじゃないか。これでも私にとっては死活問題なんだよ?」
「そういう意味じゃねえって! 解決方法があるって話!」
「何だって?」
その瞬間、アランを襲っていた天災がピタリと止んだ。
ほっと一息つくアランに向かって、先ほどまでと同じように賢者の雰囲気を纏ったアストラッテが興味深々な表情で詰め寄った。
「解決法?」
「いや、この前トールの旦那が面白いモン作ってな。それならお前の退屈をしのげると思うぜ。」
「トールが? ってことは魔導機械か? 残念だけどその分野もあらかたやりつくして……」
「そーじゃねえって。どうやらその魔導機械はお前が使っている時間魔法を組み込んでいるらしくてな。」
「時間魔法を?」
「ああ。その魔導機械の名前は『タイムトラベラー』といってな。遥か未来に行くことが出来る物らしい。」
自身満々に話すアランに対して、『未来に行く』という単語を聞いた途端アストラッテの表情は呆れた表情になった。
「あいにく未来へ行くことは無理と立証されたじゃないか。当然だけど過去へもだが。残念だけどこの世界は線でできているわけではなく点で……」
「ああすまん。言い方が悪かった。正確には『未来へ飛べるような物』だ。」
「飛べる……?。」
「そう。お前の魔法で『人間の体内の時間を止める』ってやつあっただろ?」
「ああ。」
「それを使用してな、その機械はカプセル型で人一人が入れる構造なんだが、その中に入った人間の体の時間を止めちまうんだ。」
「それじゃ私が今やっている事と同じじゃないか。それだと不老不死を得れるだけで……」
「おおっと勘違いすんなよ。本題はここからだ。」
アランの不敵な態度に機嫌を損ねたのかアストラッテの額に青筋が浮かぶ。
どうやら彼女は回りくどい話は嫌いなようだ。どんどん怒りを募らせていっている。
今にもアランを焼き払ってしまいそうな勢いだ。
「いいからさっさと結論をいってくれないかな。」
「おおっと怖い怖い。ま、端的にいうと眠りにつく装置だな。」
「眠り?」
「ああ。その装置に入って寝て目が覚めたら何年も時間が経ってますよってことだな。」
「需要あるのかいそれ?」
「ないから今だにトールの旦那の手元に残ってんだよ。」
そういってアランは苦笑いを浮かべた。
それにつられてアストラッテも苦笑いを浮かべる。どうやら彼女もトールの発明品の需要のなさにはいくつか覚えがあるようだ。
ひとしきり苦笑いを浮かべながらトールの発明品を思い返していたアストラッテだったが、アランの「でも。」という言葉によって現実へと引き戻された。
「今のお前にとっちゃうってつけの機械だと思うぜ。暇ならいっそ時間を飛んじまえよ。」
「うーん……そうだなぁ……そうしようかな。」
「おっ。案外乗り気じゃねえか。」
「まあ本当にやることがないからね。」
そう言ってアストラッテは立ち上がった。
その表情は今までの陰鬱とした表情とはうって変わって新しいおもちゃを発見した子供のようにキラキラと輝いている。
どうやら彼女もこの話には相当興味があるようだ。
「それに。」
「ん?」
「今まで私は人類の進歩に関わりすぎたからね。このままいくと人類が私に依存しきっちゃう。ここで一旦隠居でもしようかな。」
「おうそうしちまえ。ま、お前がいなくても人類ってのは案外頑丈なんだ。なんとかなるなる。」
「はははっ。」
どうやら彼女の心の中ではその魔導機械を使うことで決定したらしい。
ひとつ笑い声をあげた後、彼女はポツリと何かを呟いた。
すると彼女の体がフワリと宙に浮かびあがった。
「じゃ、私はトールの所に行けばいいのかな?」
「うんにゃ、どうやらトールの旦那はもうお前の家に送り届けているらしいぞ。結局お前が乗り気でも乗り気じゃなくても押し付けるつもりだったらしい。」
「あのオヤジ……。じゃあオリュンポスの塔に向かえばいいか。」
「そうなるな。」
「ありがと。じゃあ。」
「なんだ、飛んでいくのか? お前が転移魔法を使わないなんて珍しい。」
「まあしばらく眠るわけだからな。最後ぐらいは余韻に浸る時間がほしいものさ。」
「そうか。まあ、達者でな。」
「そっちこそ、ね。」
そうして二人は笑いあうと、互いのこぶしをぶつけ合った。
次の瞬間巨大な衝撃波が辺りを覆い、大量の土煙が上がった。
煙が晴れると、そこに残っていたのはどこかさみしげな表情を浮かべるアランだけであった。