おまじないと呪い
「それで早速、任務の話なんだけど」
昼食を食べ終えたクレアは彼女が持参していたオレンジジュースを飲みながら、突然話を振って来た。
「ちょっと、部外者の前で任務の話は禁止でしょう?」
教団以外の人間がいる時に任務や魔法の話はしてはいけないと決まっているが、クレアは問題ないというように笑った。
「だって、この王子に関する内容だからな。……エリティオス王子、君は『見える人』らしいね」
確認するような問いかけに、エリティオスは苦笑しながら頷いた。
「別に見える人なら、一般人にたまにいるでしょう。それがどうしたのよ」
「まぁ、別に見えること自体が問題なわけじゃない。……アリノアはあまり、興味がないかもしれないが、今この学園内ではとあるおまじないが流行っているんだ」
「はぁ? おまじない?」
そんな話、聞いたことはないと首を傾げるアリノアに対し、クレアは気にしないまま話を続ける。
「そのおまじないというのは、恋に関するやつでね。まず好きな相手の髪の毛を一本、自分の髪の毛を一本用意して、二本の髪を重ねてから、自分の名前と相手の名前を書いた赤いリボンで、リボン結びに結ぶんだってさ」
「……」
それは本当に恋のおまじないなのかと、アリノアが目を細めると、クレアはそのまま話を聞けと視線で合図してきた。
一方、エリティオスは何かを考えているのか、珍しく黙って怪訝な表情をしている。
「それでそのリボンを人の目に留まることなく、二週間程、身に着けておくと恋が叶うというものだ」
「……そのありきたりなおまじないの一体、どこが問題なのよ」
確かに呪術課では呪いを取り締まっているが、おまじないといったものの類は取り締まり切れないでいた。
おまじないと呪いは言わば表裏一体な関係だが、どこまでがおまじないで、どこからが呪いの分野に入るのか見定めにくいのだ。
そのため世間に出回っているおまじないなどが呪いの類だと判明するのに時間がかかるのである。
「今、このおまじないが学園内で大流行しているのは、そこにいるエリティオスの影響なんだ」
「……え?」
「アリノアも今日、感じたはずだ。……女子達の鋭い視線。皆が皆、エリティオスの恋人という立ち位置を欲している。そしてあわよくば……って感じなんだろうね。当てはまりそうな女子達にそれとなく、おまじないを知っているか聞いたら、知らないと言いつつも知っているような素振りを見せたから間違いないね」
「……」
つまりはどういうことだと首を傾げていると、黙り込んでいたエリティオスが口を開いた。
「それは……僕がおまじないの対象になっていると言う意味だよね?」
「お、察しがいいね。そういうことだよ。……調べてみて分かったんだが、これはおまじないじゃない。呪いだ。エリティオスは多くの人間から同じ呪いを受けているんだ」
「……でも、彼の周りには呪魔はいないわ」
呪われているなら、呪魔が見えるはずだが彼の周りには一体もいない。
だが、呪魔は呪いだけによって生まれるのではない。言葉や感情からでも自然に生まれてくるのだ。恐らく、今はエリティオスの周りにいないだけかもしれないとアリノアは思った。
「それはまだ、呪いが完成していないからだよ。言っただろう、二週間はかかるって。この恋の呪いが具体的に彼にどのような影響を及ぼすのかは判断つかないが……」
クレアは小さく唸る。
「つまり、この人を監視対象にすればいいの? それとも、呪いをかけている女子を捕まえて、呪いの道具になっているものを取り上げて、燃やせばいいのかしら?」
「どっちも正解なやり方だけどね。何にせよ、正式な依頼が来ているから、エリティオスの警護はした方がいいかもね。呪魔が襲わないとは限らないし」
「正式な依頼? 誰から?」
「さぁ……? 私も今朝、出てくる前に課長に頼まれたからね」
「……」
それはサリチェが誰かから受けた依頼ということだろうか。
「……でも、呪いっていうものは打ち砕かれるものなんだよね」
「は?」
「簡単に言えば、恋のおまじないを完成させなければいい。それが手っ取り早く行える方法が一つある」
名案だと言わんばかりにクレアは人差し指をぴんっと立てる。
「アリノアがエリティオスと付き合えばいいんだよ。恋人として」
「……はぁっ!?」
アリノアは奇声とも言える声を上げて、椅子をひっくり返しながら立ち上がる。
「何でそうなるのよ1? 意味が分からないわ!」
だが、何故エリティオスの方は驚きながらも満更ではないという表情で笑っているのだろうか。
「エリティオスは見える人だ。しかも呪いに関しては素人の一般人でもある。そんな人が呪いをかけられると、影響を通常よりも大きく受けやすいだろう?」
「そんなことは分かっているわよ! だから、どうして私がこの人と付き合うってことになるのか、それを聞いているの!」
やれやれと言わんばかりにクレアは盛大な溜息を吐く。
「呪いの対象をエリティオスからアリノアに移すためだよ。……素人の彼よりも、影魔を使役している上に呪いにも対処できるアリノアの方が何か起きても迅速に対応し、処理できるだろう? そして、エリティオスには被害もでない。ほら、一石二鳥だ」
「そんなに上手く呪いの対象が変わると思う? そんな面倒なことするよりも、横から恋人の座を奪い取った方が早いでしょうが!」
「分かってないなぁ、アリノア。女という生き物は常に妬み、恨むものだ。自分が好きな相手が他の女子と仲良くしていると、負の感情が生まれるわけだがそれは男の方に対してではない。……女の敵は女なんだよ」
最後の言葉に何故か迫力があり、アリノアは思わず唾を飲み込む。
「……まぁ、別に本当に付き合わなくていいからさ、仲良しなふりをしてほしいんだ」
いつものお道化た表情のクレアはやはり何か企んでいるように見える。そして、くるりとエリティオスの方へ顔を向き直った。
「エリティオスもそれでいいかい? 君はアリノアと仲良くなりたい。こちらは仕事のために君と仲良くしているふりをさせたい。……どうかな?」
「ちょっと……」
アリノアが止めようとすると、クレアは右手でそれを制止した。
「アリノア、君も気付いているんだろう。……昨日、取り逃がした蛇型の呪魔が何故、反応がなくなったか」
「……」
「蛇型は妬みや恨みの象徴ともいえる。そして、どうして彼が校内から出たら後に姿を見せなくなったのか。……つまり、エリティオスが関係しているからだ」
「それは……」
確かにクレアの言う通りだ。昨日の呪魔はエリティオスが帰った後は、全く反応がなかった。もしあの時、彼を襲おうとしていたのなら、それは偶然ではなかったということだ。
「でも、それなら彼を襲うのはいつでも良かったはずよ。それがどうして……」
機会ならいつでもあったはずだとアリノアは小さく首を傾げる。
「言ったじゃないか、妬みの象徴だって。……つまり、アリノアとエリティオスが一緒にいるところを見て、嫉妬したということだ」
「あの、一ついいかな」
それまで話を聞いていたエリティオスが挙手する。
「つまりは、この学園の女生徒達が僕に懸想しているということだよね? でも、人の想いってそんな一時的なものじゃないと思うんだけれど」
「ほう、分かっているじゃないか」
感心したような口ぶりでクレアは頷く。
「だって、その呪魔という奴を倒したとしても、女生徒達が諦めの感情を持たなければ、ずっと同じ状態が繰り返し続くってことだろう? どうやって終わらせるんだい?」
「それは確かにそうね……」
エリティオスの言う通り、女生徒の気持ちを諦めさせなければ延々と彼は呪いをかけ続けられることになってしまう。
呪魔が出れば自分が狩ればいいだけだが、エリティオスの身体が持つか心配だ。
「いっそのこと、実は婚約者がいますって公表出来たら良かったんだけどね。それはそれで、王宮内が驚きに包まれるよ」
冗談のように彼は言っているが、聞いているこちらからしてみれば恐ろしい発言だ。昔ほどではないとはいえ、王宮内には色々と陰謀や権力も渦巻いているだろう。
「まぁ、今のところは誰に対しても勘違いされないような態度をとるしかないね」
クレアの言葉にエリティオスも同意するように頷く。すると、くるりと突然アリノアの方に視線を戻してくる。
「それで君は僕と仲良くしてくれるのかな、アリノア?」
「……どうせ、課長からの命令なら仕方ないわよ。……でも恋人になるとか、そういうのは無理よ。私はただ単に友達としてあなたと仲が良いふりをするだけだから」
「頑なだなぁ」
呆れたようにクレアは笑うが、笑いどころではない。自分の身を囮にして女子の注意をこちらに向けさせるのは構わないが、呪魔が今まで以上に増えそうだと頭を抱えるしかなかった。
人の想いというものは水のように湧き出るものだ。そして、無限となるものでもある。
「王子」という立場のエリティオスに向けられる彼ならではの恨み、妬みもあるはずだ。それを永遠に無いものとするのは難しいだろう。
そこで昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
「おや、時間か。とりあえず、アリノアはエリティオスと仲が良いふりをするように」
「分かったわよ……」
昼食の片付けを終えて、三人は立ち上がり、校舎へと戻り始める。
先頭を歩くクレアから、一歩引いたところを歩いているとエリティオスから肩を軽く叩かれた。そして、アリノアだけにしか聞こえない声でそっと呟く。
「それじゃあ、仲良くなるついでにもう一つ。僕は親しい人には、『エル』って呼ばれたいんだ。……いいかな?」
「……人前では難しいわ」
今でさえ、彼の名前をはっきりと呼ぶのは気恥ずかしいというのに。
「構わないよ。僕が君にそう呼ばれたいんだ」
「……物好きね」
溜息を吐くアリノアに対し、エリティオスは嬉しそうに笑っているだけだ。
どうやら、この任務は長期戦になりそうだと、アリノアは腹を括るしかなかった。