秘密の中庭
中庭には生徒に人気がある場所とそうではない場所がある。日当たりが良い所や、あまり草が茂っていない場所などは凄く人気なのだが、アリノア達が行くのは中庭の奥の奥にあるあまり人が来ない場所だった。
獣道を通り、木々によって通路が狭くなっている道を通った先にその場所はあった。一本の大きな木が日陰を作っているため、夏などの暑い時期にはのんびりと過ごせるので丁度いい。
「へぇ……。学園内にこんな場所があったんだね」
「まぁ、この学園の敷地は広いからな。あ、アリノア。フォーク忘れたから、あとで貸して」
エリティオスは楽しそうにきょろきょろと周りを見渡す。だが、見渡しても垣根か草が生えているばかりで花などは咲いていない。
「ここは秋になると紅葉が凄く綺麗なのよ。だから、私とクレアの秘密の場所なの」
アリノアは手作り感あふれる低い木製の机の上に弁当を置くと、一脚の椅子をエリティオスのもとへと運んでくる。
「この机と椅子も魔法で作ったのかい?」
「違うわ。これは先輩達の手作りよ。この場所、私達の先輩が学園卒業前に教えてくれたの」
「多くの教師が知らない場所なんだ。まぁ、私達も知られたくはないから、こっそり魔法で結界を……」
そう言って言葉を続けようとしたクレアの口をアリノアは自分の手で急いで塞いだ。
「あはは……。何でもないわ。さぁ、食べましょう」
今のはかなり白々しかったがこれ以上、クレアが何か喋って、こちらの弱みでも握られたら大変だ。だが、一方のクレアはアリノアの反応を楽しんでいるように見える。
「今日は寝坊したから、食堂でポテトサラダとハム、トマトを弁当箱に詰めてもらったんだ。そして……パン! これであっという間にサンドウィッチだ」
羨ましいだろう言わんばかりにクレアは弁当箱を広げて、パンに具材を挟んでいく。
「だから、昨日のうちに早く寝なさいって言ったのに」
教団の寮には簡易調理台が付いているため、食堂が開いていない時や自炊が好きな者は自分で作ることが出来るようになっている。
アリノアは料理をするのは好きだが、基本的に食事は食堂で摂っている。その方がたくさんの任務が立て込んでいる時などは凄く助かるからだ。
「仕方ないだろう。調べ事をしていたからな。……ん? どうしたエリティオス王子。君の昼食はないのか?」
クレアが不思議そうなものを見る表情で、エリティオスの方へと首を伸ばす。
「いや、これだけなんだ。今朝は僕も寝坊しちゃってね」
王子でも寝坊するのかと思ったが、彼が取り出したのは布の包みに入った林檎一つ。
「……え?」
「ねぇ、まさかそれ一つだけが昼食だって言わないわよね?」
ぴたりと石のように固まるアリノア達に対して、エリティオスは苦笑しながら頷く。
「言っただろう、寝坊したって。一人暮らしを始めてしばらく経つが、まだ慣れていなくてね。毎日が大冒険みたいなものだから、今朝も昼食を用意する時間が無かったんだ」
そう言って笑っているが、目の前にいる彼は紛れもなく王子という身分の人間だ。彼に一人暮らしを許す上に放っておいても大丈夫なのかと不安になってくる。
「……ねぇ。その林檎、ちょっと貸して?」
「え? いいけど、どうするんだい?」
「このままだと、食べにくいでしょ。切ってあげる。……クレア、受け取ってくれる?」
「了解」
エリティオスから林檎を受け取り、アリノアは上着の中に隠し持っていた短剣を取り出すと、林檎を空中へと高く投げて、短剣の先を林檎へと向ける。
「……切り裂く風牙」
瞬間、短剣を包み込むように小さな竜巻が生まれ、アリノアはそれをそのまま林檎に向けて放った。竜巻は牙へと変化し、四方から林檎を串刺していく。
ざくりと歯ごたえの良さそうな音とともに、林檎は一瞬で六つへと分離し、クレアが手に持っている弁当の蓋の中へと列を揃えるように降り立った。
アリノアは何でもなかったように短剣を鞘におさめ、上着の中へと戻す。
エリティオスは驚いた表情をしつつも、楽しそうに笑って、アリノアへと拍手を送っていた。
「凄いね。魔法って、こんなことも出来るんだ」
「そうよ。……でも、魔法というものは一般の人にとっては危険なものなの。だから――」
アリノアが魔法についての言葉を続ける前に、エリティオスの林檎によって口は塞がれる。無理矢理に口の中へと押し込めるように食べさせられた林檎は甘すぎず、自分の好みの味だった。
「クレアも食べるといい。少し時期が早い林檎だが、美味しいはずだよ」
「うむ。では遠慮なく」
クレアは一切れの林檎を口へと運ぶ。その間にアリノアは何とか噛み切った林檎を飲み込んだ。
「っ、何するのよ!」
「美味しかったかい?」
「美味しかったわよ! って、違う! そうじゃなくて……」
だが、エリティオスはにこにこと笑っているだけだ。これほど邪気がないと怒る方も気が抜けてしまう。
「はー……。もう、何なのよ……」
やはり、エリティオスは何がしたいのかよく分からない。自分をからかっているのか、それとも別の意図があるのか。
そんな風に頭を抱えているアリノアに対し、エリティオスはまるで友人の一人のように昼食の林檎を食べ始める。
「……それだけで、お腹は膨れるの?」
ちらりとエリティオスの方を見ると、林檎が四切れ残っているだけだ。無理矢理とは言え、一個食べてしまったのは自分だ。
アリノアは溜息を吐きつつ、自身の弁当箱を開き、ミートボールを二個、トマトの切れ端を一つ、自分で作ったオムレツを半分に分けて、弁当の蓋へと載せる。
おかずを載せた弁当の蓋をフォークと共にエリティオスへと渡した。もちろん、これはクレアが使っていない方である。
クレアはいつもフォークやスプーンを持ってくるのを忘れるため、予備としてアリノアは多めに持ってきているのだ。
「お腹が空くようなら、これを食べるといいわ」
「優しいじゃないか、アリノア。確かに貰ってばかりでは悪いからな」
そう言って、クレアもデザートとして持ってきていたオレンジの一つを彼の目の前へと置く。エリティオスは意外だと言うように目を見開き、二人を交互に見やった。
「いいのかい? 君達の昼食だろう?」
「別に構わないわ。あ、でも、他人から食べ物を貰ってはいけない、とか決まり事があるなら、食べなくていいわ。私があとで食べるし。……ちょっと、クレア。フォークを使い終わったら私に貸して」
「はいよ」
しばらく、本当に良いのかとこちらを窺っていたエリティオスだったが、何かを決意したようにフォークを握りしめる。
そしてオムレツを掬い、一口分を口の中へと運んだ。大丈夫だろうかとアリノアが顔を覗いていると、エリティオスはぱっと表情を明るくする。
「凄い、素朴な味がする」
「ぶふぉ……」
エリティオスの率直な感想に噴き出したのはクレアだ。もちろん、誰もいない方に向かって噴き出したが。
「ちょっと……。それ、どういう意味よ」
まさか、不味かったのだろうか。
確かに王宮で作られている料理に比べたら、底辺のような味付けだろうし、まだ料理は修行中の身なので美味しいとは言えないだろうが、素朴とは一体どういうことだとアリノアは軽く睨む。
「あ……。いや、違うんだ。悪い意味じゃないよ。ただ、本当に……何というか飾っていない味だなと思って」
それは誉め言葉として受け取っていいのか、それとも改善点として受け取った方がいいのか迷う言葉だ。
「まぁまぁ、アリノア。はっきりと言うなら、エリティオスにとって食べられるものだったということだ。良かったな」
クレアが慰めるように左肩へと手をぽんっと置く。
「それ……結局、悪いってことじゃないの? ……もうっ!」
頬を膨らませつつ、自分のオムレツを思いっきり頬張り始めるアリノアに対し、クレアとエリティオスは顔を見合わせて、笑い合っていた。