溜息なる誘い
「やぁ、おはよう、アリノア」
そう言って、登校一番に声をかけてきたのは昨日の今日で、再び会ったエリティオスだった。
「……おはようございます」
低めの声で軽く嫌そうな顔を演じつつ答えると、エリティオスにはさほど威嚇の効果はないのか、笑って受け流される。
そういえば、彼の席は自分の斜め前だということを失念していた。
ちなみに席は窓側の後ろから二番目であり、クレアが自分の後ろに座っているので、席としては申し分ないくらいに良い場所なのだが、彼が近くにいるなら考え直した方が良いだろう。
「そんなに怖い顔しなくても、何もしないよ」
「どの口が言っているの……」
アリノアは周りを見渡す。まだ、生徒はそれほど多くは来ていないし、来ていたとしても少し離れた席の生徒ばかりだ。
「……昨日の事だけれど」
「ああ、もちろん他言はしないよ。僕は口が軽い方ではないから安心してくれ」
「そう……。それならいいけど」
あまり、根掘り葉掘り聞かれたくはないため、一時間目の授業の準備でも始めようとしていたが、それでもエリティオスは前を向かずにずっとこちらを向いたままだ。
「それで昨日の話は考えてくれた?」
「は?」
「友達にならないかって話だよ」
「……それ、本気なの?」
「本気だよ」
「……あなたが声をかければ、誰だって友達になってくれるかもしれないじゃない。別に私じゃなくてもいいでしょう?」
アリノアがぶっきら棒に答えると、エリティオスは心外だと言わんばかりに口を尖らせる。
「言っておくけど、僕は君と友達になりたいから、誘っているんだ。誰でも良いというわけじゃないよ?」
「っ……」
何故、そこまでと言おうとした時、予鈴の鐘が教室に響く。
「……また、誘うからね。覚悟しておいて」
そう言って、彼は一限目の授業である音楽の教科書を持って立ち上がり、アリノアに向かってウィンクした。
その姿をぽかん、と口を開けたまま見ていると後ろから声をかけられる。
「――なるほど、向こうの方が一枚上手のようだな」
後ろを振り返ると息を切らしたクレアがいた。また遅刻寸前だったので教団の寮から全力疾走で登校した、といったところだろう。
だが、昨晩に見た気の抜けるような姿ではなく、今度は丁寧に髪を結い、制服も着ている。
「おはよう、クレア。一限目は音楽よ」
「了解。……それでさっきの言葉はエリティオス王子によるお誘いなのか脅しなのか、一体どちらだ?」
冗談めかしつつクレアは鞄を下ろし、ノートと教科書、筆記用具を取り出す。
「さぁ、どっちでしょうね。でも何だか、からかわれているというか、遊ばれている気分だわ」
「ふっ……。だが、アリノアに目を付けるとはあの王子、中々の物好きだな」
「ちょっと! それ、どういう意味よ!」
すっと立ち上がるアリノアを制止するようにクレアは右手の掌を見せる。
「まぁ、まぁ。ほら、授業まであと三分だ。ここから音楽教室まで一分。急がなければ、間に合わないぞ」
「っ!」
クレアの言葉にアリノアはさっと周りを見渡す。教室の中はいつのまにか授業の準備を慌ててしている生徒達で溢れていた。
「……はぁ」
溜息を吐きつつ、教科書を抱えるアリノアをクレアは慰めているのか、楽しんでいるのか分からない様子で笑っていた。
・・・・・・・・・・・・・
それからというもの隙を見ては、エリティオスはアリノアに声をかけてきた。
授業の合間に度々、「王子」に話しかけられるアリノアが気に入らないのか、女生徒達の視線が少しずつ鋭いものへと変わっていくのが分かる。
それを見て、隣のクレアはさらに楽しんでいるようだったが。
アリノアとクレアが弁当を持って、いつもの人気のない中庭に食事を摂りに行こうとしていると、後ろから明るく声をかけられる。
「良ければ、僕も一緒にいいかな」
振り返らなくても、誰なのかすぐに分かった。アリノアは溜息を吐きつつ顔だけ振り返る。
「……無理して、友達になろうとしなくても良くない?」
「いいじゃないか。……それとも、僕とは友達になりたくないのかな?」
エリティオスは急に表情を悲しみに満ちたものへと変える。まるで、ずぶ濡れの子犬のようだ。
「なっ……。そういうことじゃなくって……。ただ、友達が欲しいなら私にこだわる必要はないでしょって意味よ」
「えぇ? 別に誰でもいいわけじゃないと言っただろう? ……そっちの君ともあまり話したことないな。僕はエリティオス。アリノアの友達かな?」
エリティオスはクレアの方へと身体の向きを変えて、にこやかに挨拶をする。
「いかにも。私はクレア・ラクーザ。よろしく頼むよ」
お互いに握手を交わし始める二人をアリノアは胡散臭い目で見ていた。
「……はぁ。もう、分かったわよ」
諦めたようにアリノアは盛大に溜息を吐く。
「どうやら、アリノアの方が先に根負けしたようだぞ」
どうせ面白そうだからという理由でエリティオスの方の肩を持ったに違いないとクレアを軽く睨むと、彼女は鼻を小さく鳴らした。
「そうみたいだ。良かった。誰かと一緒に昼食を食べるの、楽しみだったんだ」
そう言って、笑うエリティオスの表情は嘘ではないと何となく分かっていた。彼は本当に友達が欲しいのだ。
だが、自分では彼と対等にはなれない。彼がどんなにそれを願っても、世間は白い目で見てくる場合もあるのだ。
エリティオスは楽しそうだが一緒にいるこっちは気疲れしてしまいそうだと、アリノアは何度目か分からない溜息を吐いていた。