呪術課
翌朝、学園へ登校する前に出勤するとすでにサリチェが課長椅子に座っていた。サリチェ以外は誰も来ていないようだ。
教団にはセントリア学園に通いながら出勤する者と十七時の定時まで出勤している者、そして皆が寝静まった夜の時間に出勤する者の三種類の団員がいる。
しかし、呪術課の人間はほとんど朝が弱いらしく、朝は出勤せずに夕方から出勤する人間しかいない。
ちなみにアリノアは朝、その日の仕事の内容確認のために一度出勤してそのまま登校する派である。
「おはようございます、サリチェ課長」
「ああ、おはよう」
新聞を読んでいるのか、サリチェは顔を上げつつ眼鏡も上げる。
女性であり、若くして呪術課課長の座に就いたサリチェ・ソワールは元々、魔法課に配属されていたが呪術についての功績を多く残したため、上の人間に命じられて、本人は半ば嫌々ながらに課長になったらしい。
自分は研究職肌なので人に命令を出すような人間ではないと言っていたが、部下であるアリノア達にしてみれば仕事の指示は的確だし、魔法使いとしても他の課長達に劣らない腕を持っている。
人柄だって、朗らかで姉御肌であるため、とても話しやすい。問題はないように見えるが、一つだけ目を瞑れないものがあった。
「アリノア、見てみろ。黒髪の呪いだってさ。いやぁ、これ本当に効くのかな~」
そう言って愉快そうに新聞の中の記事を指さしながら豪快に笑う。
「……人を実験台にするのは止めて下さいね」
このサリチェという人物は大の呪い好き――というよりも、実際に呪いが効くかどうかをすぐ試したがる性格のため、知らずのうちに彼女に対して失態を犯した者はもれなく、彼女が編み出した呪いの実験体となるのだ。
ちなみに呪術課の人間はサリチェが冗談っぽく、呪っていいかと聞かれれば、すぐにいいえと答えているため、今のところ被害は出ていない。
「何か、いま世間で話題になっているらしいぞ。髪の毛を使って、相手を呪う時にそれに炭を水で溶かしたものを塗って黒髪にして飾るらしい。しばらくすると、相手に多大なる影響が出るでしょう、だってさ」
楽しげに話しているが、内容は呪いについてである。
アリノアは溜息を吐きつつ、昨日完成した報告書を提出する。
「あの……昨日の任務のことなんですけれど……」
「ああ、確か任務先でエリティオス王子と鉢合わせしたんだって?」
「うっ……。ご存知でしたか」
「さっきまでクレアがそこに寝ていたからな。その時に聞いた」
「……」
どうやらクレアは昨日、今日の分の書類整理を終わらせてから寝ると言っていたが、そのまま課のソファで寝てしまったらしい。
「まぁ、王族なら問題ないだろう。一般人なら、危なかったけどな。今後も十分、気を付けろよ」
「つまり……お咎めはないってこと、ですか?」
恐る恐る顔を窺うと、にやりとサリチェは笑った。
「何だ、罰して欲しかったのか?」
「いえいえっ! 滅相もございません!」
右手を必死に横に振ると、サリチェは面白かったのか苦笑している。
「冗談だ。まぁ、王子にはアリノアからちゃんと説明しておけよ? 面倒だからって放置しておくと、更に面倒になるからな」
「……はい」
項垂れながらも返事をして、アリノアはそのまま呪術課を出た。
どうやら、またあの王子と話さなければならないようだ。正直に言って、あの手の種類の男性は苦手だ。一緒にいると、あっという間に相手の速度に巻き込まれそうだからである。
「……アリノアー」
ひょいっと影から猫姿のノティルが出てくる。
「あら、おはよう」
「おはよー。課長さんに怒られずに済んで良かったね」
「聞いていたの? ……まぁ、でも何だか憂鬱なのよねぇ」
「ああ、昨日のこと? 王子様、優しそうな人だったし、話したらきっと分かってくれるよ」
のんびりと欠伸をしながら答えるノティルを羨ましげにアリノアは横目で見つつ、わざとらしく肩を竦める。
「……使い魔はいいわねぇ。人間関係が無くって」
「何をぉ! 僕らだって上級使い魔、下級使い魔って、格付けがあったりするから、色々と大変なんだぞ! 先輩の使い魔には非礼がないようにしなきゃいけないし」
小さな右手を前に上げつつ、抗議の声を上げるノティルを見て、アリノアは苦笑する。どの世界でも人付き合いは面倒らしい。
……これ以上、面倒にならないといいけど。
だが、アリノアの憂いは誰にも届かなかった。