友に零して
嘆きの夜明け団はサン・リオール教会本部を表におくことで、教団の存在を隠していた。そのため、教会の敷地は広いと思われがちだが、一般人が入ることが出来る範囲は教会の中だけに限られている。
教団の本部が置かれている場所は高い壁と不可視魔法によって、外部から見られないように魔法が施されていた。
保有する敷地は教団が作られた当初から変わっておらず、敷地内には教団関係者の寮や食堂、訓練場、大図書館、そしてそれぞれの課が置かれている四階建ての建物が建っている。
その中の三階部分の一部屋に「呪術課」は入っていた。
「ただいま帰りましたっ!」
もう、二十三時過ぎだというのに扉を大きく開け放ち、アリノアは怒りの形相で呪術課へと入る。
「んぁ~……。うるさいなぁ……せっかく寝ていたのに」
そう言って、ソファから顔をひょっこりと出してきたのは同じ呪術課所属でもあり、親友のクレア・ラクーザだ。呪術専門の情報通であり、様々な魔法を駆使して情報収集を行っている。
「寝るなら自室で寝なさいよ。今日の仕事はもう無いでしょう?」
アリノアは呆れ顔で自分の机へと座る。クレアは背が低く、顔も可愛いがあまり身の回りのことに関心がないのか、髪の毛がぼさぼさになってしまっている。
口の端の涎を袖口で拭きつつ、クレアは起き上がった。
彼女が買い置きしている紙製の容器に入ったオレンジジュースを机の引き出しから取り出しつつ、アリノアにもお茶を淹れてくれるのか紅茶の準備を始めたようだ。
「書類整理をしていたら、いつの間にか寝ていたんだ。課長は二十一時ごろに退勤したよ。報告書なら明日までだってさ」
はい、と言って目の前に紅茶が淹れられたカップを置いて、クレアはアリノアの隣である自分の席へと座る。
「ありがとう。はぁー……。今日は疲れたわ。結局、呪魔には逃げられちゃって、全部は倒せなかったのよねぇ……」
紅茶の華やかな香りが体内に沁みていく。ほっと息を吐きつつ、カップを傾けていると隣に座ったクレアがこちらをじっと見て来た。
「……な、何?」
「いや。何かあったな、と思って」
アリノアはぎくりと肩を小さく震わせる。
そうだった。この親友は人一倍、勘が鋭いのだ。これは変に白を切るよりも、はっきりと言っておいた方がいいだろう。
「実は……」
仕方なくアリノアは今日の任務中に起きたことを全て話すことにした。
教室でエリティオスに会ったこと、呪魔が現れたため魔法を使ったところを見られたこと、自分が魔法使いであると知られたこと、そしてエリティオスが見える人だった、ということを全て包み隠さずに伝えた。
念のために校舎の外までエリティオスを見送ったが、おかげで任務は予定の時間よりも遅くなったし、もう一体の呪魔は結局、見つけられなかったと溜息を吐きつつ愚痴のようなことまで話してしまうのはクレアが長年の親友でもあるからだろう。
その間、クレアは軽く頷きながら相槌を打ちつつ、紙製の容器に入ったオレンジジュースを飲み続けていた。
「そういうわけなのよ。まぁ、王族なら教団の存在は元から知っていると思うし、王宮にも魔法使いがいるから、その辺りはまぁ……秘密にしておいてくれると思うけど……」
「思うけど?」
「あいつ、私の手を取って……く、口付けしてから友達になってほしい、なんて言ったのよ!? どう思う!?」
怒りでつい机を拳で叩くアリノアに対し、クレアはそれまで閉じていた口を開いて大笑いし始めた。
「ぷふっ……! なってやればいいじゃないか、お友達に」
「あなたねぇ……。他人事だからって……」
「まぁ、この国の王子だからな。媚を売りたい奴ばかりなんだろう、近づいてくる奴は。……そんな時にアリノアみたいなのがいれば、仲良くなりたいと思うんじゃないか?」
「私みたいなのって、どういうことよ」
「そのままの意味だよ。……後先考えずに面倒ごとに首を突っ込み、魔法の力加減を忘れて、たまに周囲と物を壊し過ぎるアリノアのことさ」
「ちょっと、それ……。私の良い所、全然ないじゃない……」
まだ笑っているクレアを細目で睨み、アリノアは溜息を吐く。
「でも一応、サリチェ課長にも報告しておいたほうがいいわよね。……処罰がどうなるか分からないけれど」
「そうだね。……さてと、お互いに残り仕事をさっさと終わらせて、寝ますか」
「ええ」
返事をしつつ、今日の任務の出来事を書くために空白の報告書へと手を伸ばす。任務内容を書きつつ、一度手を止めた。
あのままエリティオスが教室に残っていて、自分が今日、任務のために学園に来ていなかったら――。
彼は呪魔と鉢合わせしていたかもしれない。そう考えるとエリティオスは中々、幸運の持ち主だ。
だが、思うのだ。もし今日、自分がエリティオスと会っていなければ、彼はきっと一度も自分に話しかけることはなかったのではと何となくそう思った。
一緒のクラスになって、まだそれほど時間は経っていない。エリティオスは他の生徒から話しかけられることはあっても、自分から話しかけるようなことはあまりなかったように記憶している。
用心深いのか、他人に心を許していないのか、それとも別の理由があるのかは分からない。
……考えても仕方ないわね。
とりあえず今日のことは明日、課長のサリチェに報告しよう。仕留め損ねた呪魔についても、今後対策を練るしかないとアリノアは軽く首を振り、万年筆を走らせた。