笑顔の理由
屋上への扉に手をかけて、ゆっくりと開くとそこには眩しいものを見るような表情で空を見上げているエリティオスがいた。
扉が軋んだ音が響いたため、エリティオスはすぐにアリノアが来たことに気付き、振り返る。
「わざわざ来てもらってごめんね?」
「別に構わないけれど……」
アリノアは扉を閉めてからエリティオスが待っている場所まで歩いて行く。
魔具はもうないが、エリティオスから呪魔の気配は感じられない。呪魔に関しては本当に大丈夫なようだが、このような人気が無い場所に自分を呼び出した理由は何だろうかと小さく首を傾げる。
「それで私に話って何かしら?」
屋上には自分達以外の姿はないし、ノティルを事前に呼んでみたが影の中で眠っているらしく、返事はなかった。
「アリノアにお願いがあるんだ」
「お願い?」
今度は一体何のお願いだろうかと思わず呟くと、エリティオスがアリノアの右手をそっと掴んできたのだ。
「──僕の恋人になってくれないかな」
「……は」
何を言ったのか分からなかったアリノアはその場で固まってしまう。いや、しっかりと耳の奥に言葉は入って来てはいるが意味を理解するまでに時間がかかってしまったのだ。
「なっ……!? はっ? えっ?」
ゆっくりと言葉の意味を理解したアリノアは瞬時に顏を紅潮させていく。
「もちろん、本気だよ。本当はもっと早くに申し込むつもりだったのだけれど、待たせて悪かったね」
エリティオスは握ったアリノアの手に軽く口付けて来る。
「ひゃ……」
恥ずかしさで叫びそうになったアリノアは必死に自我を保ち、そしてエリティオスを軽く睨んだ。彼は涼しい顔でアリノアの様子を見ているだけだ。
「それで、返事は聞かせてもらえるかな?」
アリノアの赤面に遠慮することなく、エリティオスは笑顔で問いかけてくる。
「……本気で私のことが好きなの? ……それは世間一般に言う恋人のことなのよね?」
こういう状況でも頭はしっかりと働いてくれるらしく、アリノアは赤面のままエリティオスへと問いかける。
知識としては「恋人」がどういうものなのか理解はしているが、照れてしまった感情により、目の前のエリティオスと自分が恋人になるという事を想像出来ないでいた。
「そうだよ? ……それに君も僕のことが好きなら、特に問題はないんじゃないかな」
「なっ……」
思わず絶句してしまうアリノアに対して、エリティオスは何でもなさそうに言葉を続ける。
「この前、言っていたじゃないか。僕が好きだって」
先日の夜会の日のことを思い出してしまうアリノアは握られている手を何とか振り解こうと揺らしたが、強く握られているため振り解くことは出来なかった。
それどころか、逆にエリティオスの身体へと引き寄せられてしまう。もはや、どうすればいいのか分からなくなってしまったアリノアは身を縮めたまま、エリティオスの顔を見上げた。
「……初めて、欲しいと思ったんだ」
そこには縋るように熱を帯びた碧い瞳が自分の姿を映していた。
「君が欲しい。アリノア・ローレンスの全てが欲しいんだ」
持っていたはずの鞄をその場に落としてしまう。引き寄せられた腕の中にアリノアは抗うことなく、飲み込まれた。
「もっと色んな君を知りたいし、感じたい。こういう感情を抱くのも君が初めてなんだ。だから、どうか……僕の恋人になってくれないか」
自分へと近付いてくる顔は逃がさないと訴えているように見える。
……逃げるなんて。
そんなこと、彼と最初に会った日から出来ないと知っている。アリノアは恥ずかしさによって潤んでしまった瞳でエリティオスを見上げる。
「……私を恋人にして、あなたの株が下がっても知らないわよ」
「むしろ、こんなに美人で優しくて、思いやりがある上に僕の事を心から好きだと言ってくれる人が恋人だなんて喜ばしいことだと思うけれどね」
「……」
やはり、どんな反論も彼の笑顔で揉み消されてしまいそうだ。
「……物好き」
何度目か分からない言葉を口にするとエリティオスは嬉しそうに頬を緩めた。
恐らく、これは返事をしなくても自分が恋人になって欲しいという申し出を承知していると分かっているはずだ。だから、彼は零れてしまいそうな程の笑顔で自分を見ているのだ。
引き寄せられた腕に少しだけ力が入り、エリティオスの顔が近づいて来る。アリノアは薄く目を瞑って、その瞬間を待った。
優しくなぞるようにお互いの唇が触れ、思わず身体が小さく震えてしまう。慣れることのない感触なのに、心地良さを感じるのは何故だろう。
ふっと息を漏らして、アリノアは少しだけ顎を引いた。頬を赤らめたまま、潤んだ瞳でもう止めるようにと訴えかけると、目の前のエリティオスは口付けが中断されたことを物足りなく感じているのか、少々不満そうだ。
「……ひ、人目がある場所でするものじゃないわっ」
残念がるエリティオスに対して浮かんだ罪悪感から、生まれた言い訳はそれだけだった。
「それなら、続きは僕の部屋でするかい?」
「なっ……」
「僕としてはもう少し、アリノアと親密になりたいなぁなんて……」
エリティオスが言葉を続ける前にアリノアは彼の胸板に手を強く添えてから引き離した。
「もうっ、からかわないで!」
「いや、本気だよ?」
距離を取ったアリノアはコンクリートの床の上に落としてしまった鞄を拾い上げてから、向き直る。
「……帰るわよ、エル」
頬を赤らめたまま、アリノアがぶっきら棒にそう呟くとエリティオスはぱっと花が咲いたような笑みを浮かべて、左手を差し出してくる。手を繋ぎたいということらしい。
「……少しだけだからね」
人前ではもちろん出来ない。それを承知してくれているのか、エリティオスは和やかに微笑んだ。
アリノアは自分の右手をそっとエリティオスの左手へと添える。自分よりも少しだけ大きく細い手の温度は温かかった。
「ねえ、アリノア。良かったら今度、君の休みに合わせてどこかへ遊びに行かないか?」
ゆっくりと隣を歩みつつ、エリティオスはアリノアの様子を窺ってくる。
伝わって来る手の温度に集中していたアリノアはぱっとすぐに顔を上げたことを後悔する。そこには満面の笑みを浮かべたエリティオスがいたからだ。
恐らく、拒否権がないであろう有無を言わせぬ笑顔にアリノアはたじろぐ。
「もちろん、護衛は無しの二人きりだよ」
エリティオスのことなので、護衛が付いて来ても上手いこと逃げて、撒きそうな気はする。アリノアは仕方ないと言わんばかりに肩を竦めて、頷いた。
「それなら、アップルパイの店にでも連れて行ってあげるわ。あなたもきっと、びっくりするくらいに美味しい店なの」
「いいね。楽しみにしておくよ」
顔を見合わせて、アリノア達はお互いに小さく笑い合った。
この先、エリティオスも自分もたくさんの言葉、感情、視線をその身に感じながら生きていくのだろう。想像以上の苦しみや辛い事も待っているかもしれない。
それでも、きっと前へ進んでいけると思えるのは自分がどんな状況でも、エリティオスの傍に居たいと思ってしまったからだ。
エリティオスが自分のことが欲しい、もっと知りたいと言ったように、アリノアも同じように思ってしまったのは彼には秘密である。
……面倒なことは嫌いだったはずなのにね。
どうやら変わってしまったのはエリティオスだけではなく、自分も同じらしい。
アリノアはエリティオスに気付かれないように、綻んでしまう笑みを隠した。知られたら、きっと何を笑っているのかと理由を聞かれるに違いない。
涼しい秋風が二人の間を緩やかに吹き抜けていく。それでも、新しく繋いだ手の温度は柔らかな温かさで満たされていた。
「呪魔狩りと夜凪の王子」完
おかげ様で「呪魔狩りと夜凪の王子」、これにて完結となります。
読んで下さった方々、最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。積極的なエリティオスを書くのが、凄く楽しかったです。
言葉というものは、何気ないものとして扱われていますが、それでも誰かを簡単に傷付けることも出来れば、救うことも出来る──そんなお話を書きたかったのです。
アリノア達のお話はこれでお終いとなっておりますが、彼女達がいる世界の約百年前の物語「真紅の破壊者と黒の咎人」や更に数百年前の物語「黎明の魔女」もございますので、もし興味がある方は読んでいただければ嬉しい限りです。
長文となりましたが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
また、次の機会に皆さまのお目にかかれるように更に精進して執筆を続けたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
読んで下さり、ありがとうございました!!
伊月ともや




