新しい繋がり
夜会の翌日、学園は休みだったため、アリノアは報告がてら呪術課へと朝一番に訪れていた。
クレアも他の団員も出勤してはいないようだが、課長室の部屋に在席中と書かれた板が下げられているため、サリチェは出勤しているようだ。
アリノアは一度息を深く吐いてから、課長室の扉を数回叩いた。部屋の中から、声が聞こえたため、取っ手を握ってゆっくりと開く。
「おはようございます、サリチェ課長」
「お、早いな。おはよう」
サリチェが椅子に深々と腰掛けつつ、コーヒーを片手に何かの資料を読んでいた。
「昨日は大変だったらしいな?」
「……どうしてそれを」
今から昨晩の任務についての報告をしようとしていたのに、とアリノアが怪訝な顔をするとサリチェは低く笑って、コーヒーのカップを机へと置いた。
「エリティオス王子が身に着けていた首飾り、あるんだろう?」
「え? あ、はい」
アリノアは報告書と一緒に提出しようと思っていたエリティオスの首飾りを取り出す。しかし、取り出してから、一つだけ何かの違和感に気付いた。
半分に砕けた雫型の青い石。そこに文字が彫られていることに気付いたからだ。
「この文字って……」
アリノアがぱっと顔を上げるとサリチェが気付いたかと言わんばかりに、わざとらしく肩を竦めて見せる。
「これってサリチェ課長が魔具や呪具を作る時にいつも名前の代わりに彫っている印ですよね?」
魔具や呪具を作る際には、その作成者が誰なのか分かるように最後に名前の一文字か、もしくは本人を表す印を入れる者が多い。
特にサリチェが作成した魔具や呪具を多く見てきているアリノアは首飾りの石に彫られている文字を見慣れているほどだ。
「……ずっと疑問に思っていたんですけれど、そろそろ答えを教えてくれても良いのでは?」
拗ねるように唇を尖らせるアリノアにサリチェは苦笑しながら頷いた。アリノアから欠片となった石の首飾りを受け取ると、彼女はどこか懐かしそうにそれを眺める。
「お察しの通り、この魔具を作ったのは私なんだ」
「やっぱり……」
「まさか、これを壊して解決させるとはな……」
「すみません……」
壊してはまずかったかとアリノアが恐る恐るサリチェの表情を窺うと彼女は面白そうに笑っているだけだった。
「なに、驚いただけだ。……お前がいたからこそ、エリティオス王子も自分にかけた呪いを受け止めることが出来たんだろうな」
細められる瞳は欠片となった石へと注がれていた。まるで、エリティオスのもう一人の母親のようにさえ思える表情にアリノアは言葉を静かに飲み込んだ。
「今から話すことを知っている人間は少ない。多分、クレアなら情報収集の段階で承知しているだろうが……」
「もちろん、他言はしませんよ。エリティオス王子に関わることなら」
気を引き締めた表情で答えるアリノアを見て、サリチェは薄く笑った。
「……エリティオス王子は……というよりも、王子の母親は私の従姉妹なんだ」
「え……」
自分は今、どのような表情をしているのか分からなかった。聞いた言葉を聞き返しそうになってしまい、アリノアは言葉を飲み込んだ。
「私の従姉妹と言っても、父方の従姉妹でな。魔力はもちろん無い。彼女の子ども達──つまりは王子達だが、彼らにも会ったことはあるぞ」
「そ、そうなんですね……」
まさかの事実に上手く返事が出来ないアリノアは言葉を選んで答えるしかなかった。
「……私が教団の魔法使いで、特に呪術に関わっていると知った王子の母は私に魔除けの魔具を作ってもらえないかと頼んできた。……一度、顔を会わせた方がいいだろうと思い王宮へと赴いたがその際、エリティオス王子が魔物や呪魔が見える人間だと知った」
「……」
サリチェは指先で、石の欠片を摘まんで転がしていく。
「エリティオス王子が自分自身を呪っていると知ったのもその時だ。すでに彼のすぐ傍には核を持った呪魔が形成されていた。……自分で自分を呪う。解くのは難しいと最初から分かっていた」
吐かれた溜息はどのような意味を含んでいるのか読み取れなかった。ただ、サリチェは彼女なりにエリティオスのことを心配していたことが穏やかに伝わって来る。
「私は呪魔がエリティオス王子の身に及ばないようにと魔除けの首飾りを渡したが、それだけでは意味がないと分かっていた。……呪魔を斬って祓っても彼自身が自分を呪えば再び呪魔が作られるだけだったからだ」
確かに昨晩、アリノアがエリティオスの呪魔を斬ってもすぐに修復されてしまい、攻撃に意味がなかったことを思い出す。
サリチェも自分と同じようにエリティオスの呪魔を祓おうとしていたらしい。
「自分自身を呪ったことで生まれた呪魔を消すためには、呪った自分を認めて受け入れるしか方法はない。だが、現状のエリティオス王子には心の余裕がなく、日々だけが過ぎた」
そして、と言いかけてサリチェはそこでやっと表情を和らげる。
「王子の前に、お前が現れた」
「え? 私、ですか?」
どうしてそこで自分なのだろうと首を傾げる。
「物事に深く関心を持たなかったあのエリティオス王子が強く関心を示したのがお前だった。……初めて、王子と会話した夜に魔法使いだと知られただろう?」
「……そうですね」
「実はあの夜、王子から直接、私に連絡が来たんだ」
「はっ?」
思いっ切り眉を寄せて、アリノアはどういうことかと表情で表現するとサリチェは悪気がないと言うように口元を少し緩ませるだけだった。
「アリノア・ローレンスという人物について教えて欲しいと来たから、私の直属の部下だと伝えた。お前に強い興味を持った上に、更に仲良くなりたいなんて言い出したから、さすがの私も驚いたぞ」
「なっ……」
あの王子は一体、サリチェと何を話したのか気になったアリノアは隠すことなく顔を顰める。
「だが、私は好機だと思ったんだ。……強く興味を持ったアリノアなら、エリティオス王子の心を動かすことが出来るんじゃないかと思って……お前を王子の護衛にすることにした。まぁ、お前を利用するような形を取ったことは謝らせてもらうよ」
「それは別に構わないんですけど……」
上手く乗せられなくても、恐らくエリティオスのことなので、お構いなしに自分に近づいて来ていただろうと想像出来る。
しかし、そこで自分がどこかうぬぼれているように感じたアリノアは気まずくなって顔を逸らした。
「……あの、サリチェ課長」
「何だ」
「エリティオス王子の呪魔は完全に消えました。……彼は全てを受け入れたんです」
「……そうか」
「多分、もう……。彼なら大丈夫です。どんな言葉も視線も感情も……全てを受け止められると思います」
静かに言葉を呟くと、サリチェが安堵するように優しい笑みを浮かべていた。
「私からもお礼を言わせてくれ。……エリティオス王子を重荷から救ってくれて、ありがとう」
「っ……。いえ、私は……」
自分はただ、今のままのエリティオスを受け入れただけに過ぎない。お礼を言われるほどのことはしていないはずだ。
だが、そこで昨晩のことを思い出したアリノアは出来るだけ表に感情が出ないように努めつつ、真顔を装った。サリチェに昨晩、エリティオスと口付けを交わしたなどとてもじゃないが言えるわけがない。
「……それで、アリノアはどうする」
「え? どうするって……」
思わず、胸の奥が大きく脈を打つ。まさか、昨日のことをエリティオスから聞いているのかと身構えるとサリチェは特に表情を変えることなく言葉を続けた。
「この先、エリティオス王子を警護するという話だ」
「あぁ、そっちですか……」
昨日のことを聞かれているわけではないと内心は安堵しつつもアリノアは仕事をする際の表情へと戻る。
「……必要なら、私はずっとエリティオス王子の傍でお守りするつもりです」
「ほう?」
意外だと言うような視線でサリチェは口で弧を描く。
「あの王子、正直に言って危なっかしいんです。私がしっかりと見ておかないと……。その割には私が小さな怪我をするだけで血相を変えて心配するし」
唇を尖らせながらアリノアがそう言うとサリチェは面白いものを聞いたような声を上げる。
「ははっ……。そうか、エリティオス王子はアリノアには壁がないんだな」
「……最初から壁なんて見えませんでしたよ」
溜息を吐きつつ、最初に出会った頃を思い出す。
「こっちは引いているのに、遠慮せずに押してくるんです。まさか、あれほど押しが強い人だとは思っていませんでした」
エリティオスの押しが強いのは確かなのだが、自分が彼に対してすぐに折れてしまうことにも原因はあると思う。
だが、強要ではないのに拒否が出来ないのは、エリティオスだからこそだ。
「……ふっ」
「あ、サリチェ課長、笑いましたね? もうっ……」
「いや、仲が良さそうで何よりだと思ったんだ。……これでやっと安心出来るよ」
表情を緩めているサリチェはエリティオスの保護者の一人のように見えた。彼女もずっと心配してきたため、解決して喜ばしいと思っているのだろう。
……思えば、サリチェ課長でさえ、下手に手を出せない案件だったのよね。
昨晩見た呪魔は自分が今まで見た中で一番大きい姿をしていた。下手に突いていれば、自らも呪魔に取り込まれかねなかっただろう。
何事もなく無事に済んだのはエリティオスのおかげと言っても過言ではないはずだ。
「……とりあえず、これで昨日の任務の報告は終わりです」
「うむ。ご苦労だったな」
心底、労ってくれているのかサリチェが穏やかに目を細めて自分を見ている。
「では、失礼致します」
アリノアが頭を下げて、サリチェへ背を向けた時だ。
「──アリノア、本当にありがとうな」
二度目のお礼が後ろから聞こえ、アリノアは少しだけ後ろを振り返り、小さく笑いながら頷き返した。 サリチェも抱えていた案件が無事に終わり、肩の荷が下りたのだろうか。慈母のように見える表情は優しいものだった。
アリノアは扉を開けてから、課長室から静かに出て行く。
今は誰もいないため、その場で佇んでいても咎める者も不審に思う者も誰もいない。大仕事が終わったという解放感が胸の中に残っている。
確かにエリティオスの呪魔の件は終わったが、それでもまだ終わっていないことだってある。
いや、始まったというべきかと思ったが、何となく照れてしまう自分がいるのでそれ以上は考えないことにした。
「……ふぅ」
ゆっくりと溜息を吐いてからアリノアは顏を上げ、そして人知れず笑みを浮かべるのであった。




