酷なる空間
王宮がかなり広いのは分かっているが、その中で最も広い大広間が目に映り、アリノアは思わず息をするのを忘れかけていた。
「アリノア?」
数歩前に進んだエリティオスがこちらを振り返る。
「……いえ、何でもないです」
今は公共の場であるため、口調には気を付けなければならない。アリノアは口を一文字に結び直してから、歩を進めた。
数えるのを止めたくなる程のシャンデリアが天井を飾り、大広間全体は昼間以上に明るかった。
夜会というだけあって、多くの卓の上に今まで一度も見た事のないような豪勢な料理が並んでいる。壁側には音楽を演奏している楽団のような人達が席を並べて、楽器を弾いていた。
そして、何よりも驚くのは夜会に出席している人間の人数だ。数えきれない程の人間が着飾っているため、例えるなら宝石の塊を見せつけられているようなものだ。
「……」
どうやら、この場には年を召した人間だけではなく、年頃の令嬢や子息も多く見受けられる。一種の社交場のようになっているのかもしれないが、今日は正式な第一王子の誕生を祝う夜会である。
それ故、突出した衣装を着ている者は多くは見られなかった。
外交の場でもあるらしく、イグノラントの言葉ではない言語も耳に入って来る。
……それにしても、視線が気になるわね。
エリティオスの後ろを毅然とした態度で歩きつつもアリノアは人知れず溜息を吐いていた。
自分のような小娘が何故、第二王子の後ろを付いて行くように歩いているのか不思議でたまらないのだろう。
「――おお、エリティオス王子。お久しぶりでございます」
恰幅の良い、燕尾服を着た中年の男性がにこやかな笑顔を浮かべてエリティオスに近づいて来る。
「こんばんは、トリドルさん。お元気そうで何よりです」
トリドルと呼ばれた男がエリティオスに向けて右手を差し出してくる。エリティオスは嫌な顔一つせずにトリドルの手を取って握手した。
一瞬だけ、トリドルの視線がアリノアの方へと向けられるもすぐに視線をエリティオスへと戻す。
「いやぁ、王子は今、セントリア学園に通っておられると聞きましたよ」
「はい。毎日、学ぶべきことが多く、充実した日々を送っております」
「おぉ、それは良いですな。……そちらのご令嬢は王子のご友人ですかな?」
やはり、そう来たかとアリノアは内心で顰め面をしつつも、想像の中の令嬢を思い描きながら、ドレスを指先で軽く摘まみつつ、柔らかな笑みを浮かべて見せた。
アリノアがあまりにも穏やかに微笑んだので、トリドルという男は意外だと思ったのか目を丸くしていた。
「……名前は控えさせて頂きますが、こちらの友人にはとても世話になっているのです。まだ不慣れな学園生活を円滑に送れているのも彼女のおかげなんですよ」
それ以上は口を挟ませないために牽制しているようにも聞こえる言葉と共に、アリノアもトリドルに向けて軽く会釈して見せた。
……本当、こういう上流階級の付き合いみたいなものは面倒だわ。
もちろん、口にも表情にも出すわけにはいかないので、どこかの令嬢を演じるしかないのだが。
「お、おぉ……それは、それは……。楽しんでおられるようで何よりですぞ」
「ええ。……それでは、また。今は兄上にご誕生のお祝いを述べに行かねばなりませんので」
エリティオスはトリドルに軽く会釈してから、その場から離れる。アリノアももう一度、トリドルに会釈し、颯爽と去った。
「……アリノア」
耳元まで影を伸ばしてきているのか、ノティルが小さく呟く。影魔は本来、普通の人や魔力を持たない人には見えない存在だ。
エリティオスのように見える人の方が稀なのだが、この大広間に影魔がはっきりと見える人はそう多くはないだろう。
「斬ってもいい?」
「……見えないようにね」
「了解」
大広間に入った瞬間から、実はかなりの呪魔の数が見えていたが、アリノアは出来るだけ取り澄ました顔をして見えないふりをしていた。
……この中で、たくさんの人達が恨み、妬み合っているのね。
埋め尽くすという程の数ではないが、数えるのが面倒なくらいにはいる。しかし、どれも核を持った呪魔ではないらしく、その場に浮遊しているだけだ。
こういう場合は大抵が、表は笑顔だが腹の底では相手を恨んでいたり、妬んでいる場合が多い。本格的な呪いではなく、言葉を発しただけで生まれた呪魔なので、狩りやすいと言えば、狩りやすいものだ。
前方から燕尾服を着た男がエリティオスに軽く会釈しながら通り過ぎる。その男の背中には黒い液体にも似た塊が張り付いていた。目だけがぎょろりと動いている。
「……ノティル」
アリノアが周りに聞こえないくらいの声量で呟いた瞬間、細く鋭い刃物のような影がアリノアの足元から出現し、通り過ぎ去った男の背中に張り付いている呪魔を真っ二つに切り裂く。
核がない呪魔だったため、ノティルが切り裂いただけで空気中に溶けるように姿を消していった。
……元々、意識なく呟いた言葉が呪魔になっていたのね。
小さな呪魔がこの場に多いのはそういうことなのだろう。誰かの思惑や欲望と言った黒い感情でこの空間は満たされている。呪魔の気配をはっきりと感じ取れるアリノアに取っては気分が悪い場所だ。
しかし、この呪魔を瞳に映すことが出来るエリティオスはどのような思いを抱きながら、広い王宮で暮らしてきたのだろうか。
瑠璃色の外套を羽織った背中をアリノアは何とも言えない表情で見つめる。
「……アリノア、あの呪魔もやっちゃうよ?」
「……ええ、お願い」
狙いを定めたノティルが再び、見えない速さで足元から矢の如く飛び出しては宙に浮いている呪魔を狩っていく。
霧散して消えていく呪魔を横目で見つつ、エリティオスの後ろを追いかける。
……こんな重苦しい空気の中に一日中いたら、気が変になりそうだわ。
そう思いつつも歩きながら一体でも多くの呪魔を狩り、手を抜かないのは目の前にいるエリティオスのためでもある。
呪魔が見える彼には、恐らくこの空気と黒く埋め尽くされる光景は酷だろう。慣れているとはいえ、空気中に漂う呪魔がエリティオスに向けられたものではないとは限らない。
だからこそ、一体でも多くの呪魔を消し去りたかった。
「……ついでに食べられたら良かったんだけどなぁ」
物足りなさそうにノティルが呟く。
「我慢しなさい。あとで呪具の解呪に行くんだから、その時に食べればいいでしょう?」
「あ、それもそうだね」
納得したのか、周囲の呪魔を狩り終えたノティルはそのままアリノアの影の中へと戻っていった。
食べることが何よりも好きなノティルにとっては、この場所は無料で食べ放題の会食のようなものだろう。もちろん、その味は呪いの味なので人間である自分は味わいたくはないものだが。




