裏疑う誘い
ジュリアの呪魔を消し去ってから一週間程経った頃、クレアのばら撒いた嘘の情報が影響しているのか、大きい呪魔の出現は極端な程に減っていた。
嘘の情報を流した対象の女生徒達は自らおまじないを解呪したらしく、おかげでいらぬ手間が省けたようだとクレアが黒い笑みを浮かべて笑っていたのは女生徒達には秘密である。
そんなことがあっても、エリティオスの周りは急激に何かが変わるわけではない。好意を持った女生徒が近づいてくることもあるが、彼はその好意をちゃんと受け取りつつも返事をしているようだ。
もちろん、その告白現場にアリノアがいるわけではないので、あとから情報通のクレアに事後報告として聞くだけである。
その一方でジュリアの方はというと、先日の件でかなり吹っ切れたようで、廊下ですれ違ったりした際はエリティオスと一緒に居ても和やかに挨拶をしてくれている。
だが、まだ留学したいという彼女の願いは遠い先のようだと日常の会話の中で聞いたが、諦めるつもりはないらしく、今は説得中の父親と喧嘩の状態が続いているらしい。
相変わらず、エリティオスと仲が良いふりをしなければならないアリノアは女生徒達からの恨みがましい視線に耐えつつも、それまでと差異のない日常を送っていた。
しかし、そう思っていたのはどうやらアリノアだけらしい。
「そういえば明日から、学生寮で食事を作ってくれる人がお休みを取るらしいんだよね」
お昼ご飯にサンドウィッチを食べていたエリティオスが唐突に話題を振って来たのだ。
「あぁ、学生寮は食堂も付いているんだったな」
情報通ゆえ、クレアは学生寮のことも知っているらしく、パンを頬張りながら頷き返した。
「うん。だから、暫くの間は外食か自炊しなければいけなくて」
「ふむ、大変だな。……なぁ、アリノア」
「……どうして私に話を振るのよ」
何となく嫌な予感がしていたアリノアは出来るだけ黙って話を聞いていたのだが、クレアがわざとらしくアリノアに話題を振って来る。
「アリノアは料理が上手いからな。よく自分で弁当を作って来るし」
「……」
アリノアは何が言いたいのかと問いかけるようにクレアを軽く睨むと、彼女は喉を鳴らすように低く笑った。
「せっかくだから、アリノアがエリティオスに料理を作ってやったらどうだ?」
「はぁ?」
間抜けな声を上げつつ、アリノアは拒否の反応を表情全体で表した。
「クレアは話が早くて助かるよ。さすがだね」
隣に座っているエリティオスはクレアを見て、にこりと笑いかけている。どうやら、クレアを使って自分の要望を提示したかったらしい。
「どうして私がしなきゃいけないのよ。学生寮で一人暮らしをしているなら、料理くらい自分で作れるようになればいいじゃない」
「そうは言っても、エリティオスは料理初心者だ。知識はあってもやり方が分からなければ、出来ないだろう。……なぁ、エリティオス」
「そうだね」
最早、この二人は結託していると言っても良いだろう。特にクレアの場合は面白がって、自分とエリティオスの関係をもっと親密にさせたいのか、お節介を焼いているようにしか思えなかった。
「良ければ、この機会にアリノアから料理を教えてもらいたいんだ」
「……」
不審なものを見るような瞳でアリノアがエリティオスを見つめ返すと、彼はおどけた表情で肩を竦める。
「料理が出来ないのは本当だよ? 洗濯と掃除は出来るようになったけれど」
別にエリティオスの言葉を疑っているわけではないが、この申し出に何か裏があるように思えて仕方がなかった。
「……駄目かな?」
少し上目遣いでエリティオスがアリノアの顔を覗き込みながら、返事を待っている。
彼はこの子犬のような頼りない表情で一体、どれくらいの人の感情を揺らしてきたのだろうか。
「……はぁー。もう、分かったわよ」
本当はこの申し出を出された時から抗えないことは目に見えていた。自分は流されやすい人間ではないが、エリティオスの言葉についつい従ってしまうのだ。
「本当かい? いやぁ、助かるよ。食材だけは用意しておくからさ」
「はは、良かったなぁ、エリティオス。アリノアの料理は美味しいぞ」
演技のように見えるクレアの発言に対して、アリノアは肘で彼女の横腹を軽く突いた。このくらいしても、怒られはしないだろう。
「ちょうど明日、学校が休みだから僕の部屋に来てくれると嬉しいな」
「……何号室なの」
出来るだけ、他の生徒の目に入らないようにしなければならない。こっそりと行くのはまるで任務のようだが、自分なら手馴れている。
「二一〇号室。二階の一番端の部屋だよ」
「……持って行くものは特にないの?」
「うん。料理の器具なら揃っているんだけどね。使い方が分からなくって」
エリティオスはにこにこと嬉しそうに笑っているが、やる気だけはあるらしい。アリノアは何度目か分からない溜息を吐いて、エリティオスの申し出を受けることにした。




