表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/45

月明りの下で


 だが、物事というのは上手く行かない方が多い。


「ねぇ、呪魔の反応はあった?」


 アリノアは足元をとことこと歩いているノティルに声をかける。色んな動物に変化出来るノティルだが、気に入っているのか普段は猫の姿へと変化している。


「うーん……。最近は校舎内の空気が淀んでいるから、分かりづらいんだよねぇ。何か建物全体から気配が感じるよ」


「えぇ……?」


 つまり歩き回って、自分の目で確認してから倒すしかない。


 魔法使いが魔力を探知できるように一応、呪魔の気配も読み取ることは出来るがそれはある程度の近い距離でなければ察知できない。

 そのため広範囲に呪魔の気配を察知することが出来る使い魔のノティルに地道に探してもらうしかないのだ。


 だが、この学園の校舎は広い。何せ小中高一貫校であるため、校舎の棟がそれぞれ分かれており、廊下は長い上に階数も四階まである。それを一つずつ見なければならないのは、中々骨が折れるだろう。


「今日は日をまたぐ前に任務が終わると思っていたけど、時間がかかりそうね」


「そうだね。……あ、一体発見! このまま真っすぐだよ、アリノア!」


「分かったわ」


 ぎゅっと短剣を握りしめて、アリノアは足音と息を殺しつつ廊下を歩く。

 奥からやってくる生ぬるいようで冷たい空気がぶわりと身体を包み込んできた。


「……」


 アリノアの青い瞳に映るのは影よりも、闇よりも濃く黒いものだった。はっきりとした形を成しておらず、形を作ってはすぐに溶けたように液体状に戻る。


「……まだ、呪いの意志がはっきりと定まっていないようね」


 呪いをかけている本人がその呪いに対して迷いを持っている時、呪魔は形を成さない。核がはっきりと決まっていない分、倒しやすいが見た目はあまり気分が良いものではない。


 廊下を這いずるように移動している呪魔はこちらに気付いていないようだ。形は定まっていないが、それなりに大きさはあるため、一度自分の短剣で斬った方が良いだろう。


「いくわよ、ノティル」


「了解っ!」


 アリノアはすっと短剣を顔の前へと持ってきて、呪文を唱え始める。


「――我、その意志を断ち切るもの。邪なる心を塞ぐもの。この刃は神の雷となり、今ここに、汝を滅する力よ……宿れ!」


 短剣が淡く輝きだしたと同時に、こちらの気配に気付いた呪魔がゆっくりと振り返る。

 形ははっきりとしなくても、呪う対象を見極めるための目はしっかりと付いていたようだ。視点の定まっていない目玉がきょろきょろと動き、アリノアの姿を捉える。


 呪魔が動き出す前にアリノアは床を蹴るように跳び、短剣で真っすぐ呪魔の身体を貫いた。形なきものの動きがぴたりと止まり、瞬間、水飛沫(みずしぶき)のように弾け飛ぶ。


「ノティル、回収!」


「はいよー!」


 ノティルは猫の姿から小象へとすぐさま変化した。長い鼻を揺らしつつ、飛沫を上げた呪魔を一欠けらも残すことなく吸い込んで、自身の身体の中へと収めていく。


 散らばっていた呪魔はあっというまにノティルに食べられ、そこには最初から何もなかったように綺麗になった。


「ぷっはー……。うーん、妬みの味だね。あんまり美味しくないー」


 呪いの味が分かるのか、ノティルは口の中をもぐもぐとさせつつ、猫の姿へと戻る。


「いつも思うけど、妬みとか恨みの味って、どんな味なのよ……」


「そうだなぁ……。人間にとっては気分が悪くなるような味だね。僕は食べられないことはないけど、味によってはねばねばしている感じだから、あんまり美味しくないものも多いんだ」


 ちなみにノティルは呪魔も食べるし、小さな魔物も食べられるが、普段お腹が空いている時などは人間の食べ物を与えているため、各方面の食材に対しては食通なのだ。


「呪魔の気配は消えていない?」


「まだまだだねー。無限沸きってわけじゃないけど……」


 ノティルはすっと子犬に変化しつつ、鼻で匂いを嗅いでいるようだ。


「仕方ないわ。とりあえず、見て回りましょう」


 何となくだが小等部よりも、今いる高等部の棟に呪魔は多くいるような気がしていた。人の感情というものは、年を取るごとに複雑なものへと変わっていくはずだ。


 言葉さえも人は(じゅ)にしてしまう。魔力を持った者が意味を強く含めた言葉を発せば、その通りになってしまう時もあるのだ。恐らくそれは、昔も今も変わってはいないのだろう。


 人は言葉に命を宿す。

 それが独り歩きしてしまった時が一番、危険なのだ。


「この前、学年が上がって、クラス替えもあったから、まだ生徒の気持ちが落ち着いていないせいもあるのかもね」


「ああ、なるほどー。それは確かにあり得るね。クラス替えってだけで、一喜一憂(いっきいちゆう)する人もいるみたいだからねぇ」


 おっとりと他人事のように話しているノティルにアリノアは小さく溜息を吐く。


「そうなのよ。しかも、今の私のクラスに第二王子が入ってきてね」


「第二王子って……。え、イグノラント王家の? 確か……エリティオス殿下?」


「影魔なのに詳しいわね」


「そりゃあ、君の影に入っていれば勝手に情報が入って来るもの。でも、王子がご学友になるってこと? それは初耳だなぁ」


 影魔であるノティルはアリノアの影の中に入って、影の役割をしている時もあれば、アリノアから細く影を伸ばして野良猫のふりをして散歩をしたり、昼寝をしていたりする時もあるため、人間よりも自由な生活を送っている。


「そうよ。第二王子が強く希望されたらしいわ。普通の学生として日常を送り、目を肥やし、勉学に精を出したいって」


「うわぁ。それはまた大胆だねぇ。でも、大変じゃないのかい? 警備とか厳しくなるんだろう?」


「王子自身は特に警備は必要ない、そのままで良いって強く言ったらしいわ」


「へぇ。物好きな王子様だねぇ」


「でも、そんなに珍しいことじゃないわよ。この国だけじゃなくって、他の国でも王族が一般人と同じように学校に通って、同じように遊んだりもしているんですって」


「ふーん」


 さほど、人間世界の王族の話に興味はないのか、ノティルは欠伸(あくび)を噛み締めていた。


「まぁ、そういうわけで私のクラスの女子共は王子を見て、黄色い声を上げているからうるさくて仕方ないのよ」


「ははーん。皆、王子妃狙いか」


「ご明察。あら、もう私のクラスまで来ちゃったわね」


 灯りがない廊下を歩くのは怖くはないが、さすがに夜の校舎に忍び込むというのは別の意味で緊張している。

 他の生徒は夕方の十九時の時点で、そして教師達は二十時の時点で皆、家へと帰っているはずだ。


 だが、たまに肝試しなどで校舎にこっそり居残っている生徒がいるのだ。そんな生徒にばったりと会って、何をしているのかと聞かれれば、呪魔を倒しているなど答えるわけにはいかない。せいぜい、忘れものを取りに来たと言い返すしかないだろう。



 そう思っていた時、自分の教室内から物音が聞こえ、思わず短剣を素早く身構える。


「……ノティル」


 小声で足元にいるノティルに声をかけると、小さく溜息を吐かれた。


「……うーん。人間か呪魔か判別付きにくいなぁ。君の教室、他の教室に比べて、一番空気が重いもの」


「はぁ……仕方ないわね」


 アリノアは右手に短剣を構えつつ扉をそっと開く。しかし、校舎自体が古いためか、たて付けが悪い扉は鈍い音を立ててしまった。


「――誰かいるのか?」


 すぐに中から声がした。低い男の声だ。

 つまり、人間が中にいるらしい。


 呪魔ではないのは残念だが、それよりも先程自分が考えていたことが現実となったことにアリノアは慌てふためく。見つかれば自分の方が何をしているのかと問われそうだ。


 近付いてくる足音よりも早く、アリノアは短剣を鞘へと戻した。ぴたりと止まった足音と同時に扉が大きく開け放たれる。


「っ……」


 声を出す暇さえもなかった。

 廊下の窓の外から差し込んでくる月の光が二人の姿を照らす。


「……君は……アリノア・ローレンス?」


 小さい頃、あまり重要ではないことを言葉にするとその通りになってしまうよと、祖母に言い聞かされていたことを思い出し、数分前の自分は何てことを言ったのだと深く後悔している。


 目の前にいるのは先程、ノティルと話していたエリティオス第二王子だったのだ。

 金髪に碧眼。イグノラント王家に生まれてくる王族は大体、同じような容姿らしく彼もそうだった。


「……こんばんは。エリティオス王子」


「ここは学園内だ。王子は止めてくれといつも言っているじゃないか」


 そんなことよりもアリノアはここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。ノティルは空気を読んでくれたのか、自分の影の中へと戻っていてくれている。


「それにしても、こんな時間にどうしたんだい?」


「それはこちらの台詞です。何故、あなたが夜の学園に来ているのですか」


「何故ってそれは……。明日提出の宿題のノートを机の中に忘れてしまってね。取りに来たんだよ」


 確かに今日は数学の宿題が三ページ分程、出ている。


 律儀なのか真面目なのか、それとも少し天然なのか。この王子とは同じクラスになって二週間程になるが、私用であまり話した事がなかったため、どのような性格なのか分からずにいた。


「そんなの明日の朝に早く教室に来て、宿題を終わらせればいいじゃないですか」


 溜息交じりにアリノアが吐き捨てるとエリティオスはくるんと目を丸くした。


「ああ、そうか! その手があったね。それなら、明日にすれば良かったよ」


「……」


 どうやら、後者の天然に彼は当てはまるようだ。だが、ころころと変わる表情はそこらにいる少年と変わりはない。アリノアは気の抜けた溜息を吐いて、改めてエリティオスの方を見る。


「それで用事は終わったんですか? 遅い時間にこんな場所に来るなら、付き人くらいは連れて来ているのでしょう?」


「え? いや、連れてきていないけど」


「は……」


「言っていなかったっけ? 今、僕は学生寮で一人暮らしをしているんだ」


 エリティオスの言う通り、このセントリア学園の敷地内にこの学園に通う学生専用の寮がある。まさかそこに王子が住んでいるとは思っていなかったアリノアは頭を抱えて深く溜息を吐いた。


「危なくないの、それ……。あなた、この国の王子様なんでしょう? それを突然、一人暮らしだなんて……」


 物好きにも程がある。今までお世話されて生きて来た人間が突然、自分の身の回りのことを自分で全てやらなければならないのはかなり大変なはずだ。


「ああ、大丈夫だよ。管理人がしっかりいる学生寮だから。両親も承諾しているし」


 そういう問題ではないと思うが。

 何度目か分からない溜息を吐きつつ、アリノアは踵を返す。


「まぁ、いいわ。とりあえず、昇降口まで送って行ってあげる」


「送るって……君が僕を送るってことかい?」


「そうよ。文句は聞かないわ。いいから、付いてきて頂戴」


「……普通は男が女性を送ると思うんだけどな」


 仕方ないと言わんばかりに彼は肩を竦めて、アリノアの後を付いてくる。横に並んで歩きつつも、アリノアは周りに呪魔がいないか確認しながら廊下を歩いた。


「夜の学校は危険なのよ。あなたみたいな生徒や肝試しにくる生徒がたまにいるけど、何かあったら遅いんだから。これからは絶対に夜の学校に来ては駄目よ」


 アリノアの子どもを叱りつけるような口調にエリティオスは小さく噴き出した。


「君だって、そうじゃないか。こんな遅い時間に女生徒が夜の学校を歩くなんて、危ないだろう」


「……私はいいのよ」


「……ふーん」


 すると突然、窓からの光がすっと遮られる。


 右側から伸ばされたエリティオスの手が壁沿いに歩いていたアリノアのすぐ隣にあった壁にぴったりと添えられる。

 まるで先に進めないように通行止めされているようだ。


「何を……」


 何をするのか、と言う前に近づいてきたのはエリティオスの顔だった。


 その差は十センチ程の近距離。

 息をすれば顔にかかるくらいの、本当に近い距離だったのだ。


「っ……」


 何故かエリティオスの顔が突然、真顔になり、雰囲気も別人のようにさえ見える。エリティオスの様子に戸惑ったアリノアは思わず、数歩後ろへと下がってしまった。


 だが、下がった先にあるのは壁だった。壁に押し付けてしまった自分の背は動くことが出来ず、目の前に迫って来るエリティオスの視線から逸らすことさえも許されないように思えた。


 徐々に近づいてくるエリティオスの顔から逃げるようにアリノアは最後の力を振り絞り、目を瞑る。

 肩口に何かの気配がしたと思えば、耳元でそっと吐息のように言葉を吐かれる。


「……君は女の子だ。夜の校内で二人きりの状況になったら、男は何をするか分からないよ?」


「っ……!」


 痺れるような声にアリノアは途端に動けなくなる。

 今まで様々な魔法と武術を鍛えてきたというのに、いざという時に動かないのであれば意味がないではないかと目を瞑りながら自分自身を叱責する。


 ……ノティルを……。


 影からノティルを呼び出そうとした時、頬に柔らかいものが触れた気がした。恐る恐る目を見開くと、何とエリティオスが自分の頬に口付けしているではないか。


「ひゃっ……」


 初めてのことに思わず気の抜けた叫び声を上げると、近くにあった気配がすぐに消える。


「……ふふっ。――ほらね。そういう事があるかもしれないから、君もあまり危ない事はしない方がいいよ」


 目の前には口元を手で隠しながら笑っているエリティオスがいた。その表情はとても楽しそう、というよりも愉快そうだった。


「なっ……」


「何と言うか、君はそっちの方面は駄目みたいだね。世の中には狼よりも怖い皮を被った奴がたくさんいるから気を付けた方がいいよ」


 笑いを何とか抑えつつ、エリティオスはすっとアリノアの近くから三歩程、大きく離れた。


「……私をからかったの?」


 瞳に大粒の涙を溜めつつ、思い切り低い声でエリティオスを睨むと、彼はわざらしくおどけて見せた。


「僕も忠告してあげただけだよ」


 手をひらひらと振りながら彼は先に歩き始める。


「……」


 何が王子だ。

 こちらは相手の身を心配してやっているというのに、これでは損した気分ではないか。


 アリノアはふくれっ面になり一度、右足を思いっきり床に打ち付けるように鳴らした。前方ではエリティオスが面白いものを見る様な表情で笑いを殺している。


「送ってくれるんだろう? 行くよ」


「……」


 その言葉を軽く無視しつつ、アリノアは盛大に溜息を吐いて、重くなった足で歩き始めた。


   


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ