流れ叫ぶもの
一方、攻撃を免れたエリティオスは腰を抜かしたのかその場に、座り込んでしまっている。
アリノアは短剣に魔力を込めて、エリティオスへと攻撃の手を伸ばす呪魔に向けて呪文を吐いた。
「――烈火の刃!」
短剣の刃から瞬時に炎が形成され、零れ落ちるように炎が纏わりついていく。
「はぁぁっ!」
アリノアは炎を纏った短剣を強く握りしめ、伸びたままの呪魔の尾を叩き斬った。分厚いものを斬る感覚が手に重く伝わっていく。
「っ――!」
呪魔の叫び声のようなものが耳の奥へと突き刺してくるのを無視して、アリノアは再び叫んだ。
「ノティル、回収!」
ノティルが自らの身体で押し留めていた尾をそのまま体内に含むべく、口をぽかりと開けて斬られた尾を凄まじい勢いで吸い込んでいった。
だが、まだ気が休まるわけではない。アリノアはすぐに身体の向きを変えて、腰を抜かしているエリティオスを守るように呪魔へと立ち塞がった。
「うーん。味としては塩っぽい感じかな。恨みも含んでいるけれど、それ以上に悲しみが深いね、この呪魔は」
ノティルがのん気に味の批評をしているが、アリノアはそれを無視して再び呪魔を睨む。尾を叩き斬られた呪魔は瞳を細めながら、切断された尾の部分をゆっくりと再生していく。
「きりがないわ……」
「直接、攻撃出来ればいいんだけれどねぇ。何しろ取り込まれていると本人に当たるかもしれないから、面倒で仕方がないよ」
「分かっているわよ、そんなことは」
ノティルに返事をしつつ、アリノアは再び短剣を構える。どうにか、呪魔の中からジュリアを引っ張り出すことが出来ればいいのだが、迂闊に近付けば自分も呪魔の中へと取り込まれかねない。
……傷を一つ付けられただけで、感情が入って来るんだもの。あの呪魔を受け入れるには相当、容量が大きい心が無ければ無理よ。
そう、言うならば全てを許す程の広い心を持った聖女のような人物でなければ受け止めきれないだろう。
もちろん、そのような人物など中々いないのだが。
「アリノア、来るよ!」
もう一度、エリティオスに向けて攻撃をするつもりなのか、蛇型の呪魔が尾を鋭いものへと変化させて襲ってくる。
「ノティル! 捕獲!」
「はいよ!」
先程と同じようにノティルがアリノアの影から飛び出していく。対象を見据え、間合いを捉えたと思った瞬間、伸びてきていた呪魔の尾がそこで突然二手に分かれたのである。
「っ!?」
ノティルも同様に驚いたようだが、それでも一本の尾だけはしっかりと動かないように身体を使って巻き付いていく。
「アリノアっ」
しかし、残りの一本には影が届かなかったようで、二又に分かれた一本がエリティオスへと向かっていた。
「このっ……」
腰を抜かしたまま動けなくなっているエリティオスの前へとアリノアは地を強く蹴って、手を伸ばす。エリティオスを自らの背で庇いつつ、アリノアは分かれた尾と対峙した。
しかし、持っていた短剣の刃が間に合わず、自身の右横腹をかすめていく。
「っ……!」
服と共に切り裂かれたのは皮膚だった。直接見なくても、横腹に傷が入ったということは分かっていた。
だが、ここで引けば後ろに控えているエリティオスに攻撃がいくことは想像しなくても理解していた。
アリノアは短剣で横腹をかすめた呪魔の尾に向けて、刃を素早く振り下げた。斬りつけた刃によって呪魔の尾はその場にぽとりと落ちて動かないものとなる。
「っ――!」
本体の呪魔が叫び声を上げて、痛みに萎縮したのか伸ばしていた尾を素早く自分の元へと戻していく。
しかし、横腹に傷が入ったことで、アリノアの身体には呪魔の意識が滑り込むように流れ込んで来ていた。
……これは。
アリノアはその場に膝を立てるように座り込む。
「アリノア!」
背後からエリティオスの声が聞こえたが、それさえも遠く感じた。
呪魔が自分の皮膚に触れた瞬間、流れて来たのは記憶と感情だった。昨日見たよりも、それは鮮明で、そして――吐き気がするほど窮屈な世界だった。
・・・・・・・・・・・
脳内に響き、再生されていくのは恐らく、この呪魔を作ったジュリアの記憶だろう。
顔は良く見えないが知らない男から罵声を浴びせられる記憶ばかりだ。頭へと叩き込んでいるのは羅列する数字と文字ばかりで、それを見ては鉛筆で別のノートへと文字を書いていく。
ふっと、違う場面へと移り替わると、今度は鮮やかな音色が聞こえて来た。指で押さえているのは白と黒の鍵盤。
楽しく音楽を奏でていても、誰かが自分に向けて強く叱責する。その度に心臓の奥を細い針で突かれるような感覚へと陥る。
また場面が変わり、今度は少しだけ身長が高くなっているジュリアが鏡に映って見えた。しかし、その表情は暗いままだ。
ジュリアをよく罵っていた男が、今度は彼女に一冊の封筒を渡す。その中に入っていたのは今よりも少し幼いエリティオスの写真だった。
だが、記憶の中でその写真は一気に黒く塗りつぶされたものとなる。男が再びジュリアに向けて何かを叫んだ。
しかし、その言葉に対してジュリアはどうすることも出来ないまま、彼女の感情を更なる深みへと落としこんでは土を被せるように埋めていく。
……あぁ、そうか。彼女は……。
鏡に映るジュリアは涙を零していないが、それでも心に刻んだ感情は涙で溢れていた。
否定されたのは存在意義。
エリティオスの王子妃候補としてただひたすらに英才教育を施される毎日。誰も自分を認めはしない。ただ、高見に登れと罵倒するように命令するだけ。
流れて来た感情に思わず目を背けたくなったが、それでもアリノアは見続けた。呪魔を作った彼女の心の奥底に、狂わせる程に心を落とし込んだ何か決定的な出来事があると思ったからだ。
そして、見つけた。視界に映ったのは――笑顔のエリティオスだった。




