呪を持つ者
「おはよう、アリノア」
昨日と同じような爽やかな笑みでエリティオスが朝の挨拶をしてくる。
「……おはよう」
昨日の今日で、少しはしおらしくなるかと思っていたが、そうはならなかったらしい。
「昨日はあれから大丈夫だった?」
周りに聞こえないように配慮してか、小声で聞いてくれるのは良い判断だ。
しかし、その分、声が聞こえるようにと彼が距離を詰めてくるものだから、女生徒達の熱く鋭い視線がずきずきと突き刺さって来る。
「あの後に異変はなかったわ。……あなたは大丈夫なの?」
「僕? 大丈夫だよ」
「そう、ならいいわ」
「そういう君こそ、昨日の腕の怪我はどうなんだい?」
「平気よ。医務室ですぐに治してもらったもの」
「へぇ……。凄いんだね、魔法って」
「……凄いものばかりじゃないわ。一歩間違えれば、危険なんだから」
小声でエリティオスと話していると、真後ろからいつもの気だるげな挨拶が聞こえた。
「おはよー、二人とも」
「おはよう、クレア」
「やぁ、おはよう」
「ふぁ~。……眠い」
きちんとしていれば、それなりの美少女であるクレアは面倒で疲れるからと、全く気取らない性格なのはいいが、少しは身だしなみを良くしてほしいと常々思っている。
「もう、また寝坊したの?」
「ううん。今日はいま流行りのおまじないについて調べて来た」
そこで、アリノアはぴたりと動きを止める。その表情は任務時と同じ、真剣そのものだ。
「最近の若い子は恋のおまじないに感化され過ぎですなぁ」
クレアはひょいっと鞄から紙の束を取り出し、団扇代わりに自分に向けて仰ぎ始める。
「二人とも、昼休みにいつもの場所に集合で。その時に報告するよ」
「……あぁ、なるほどね。分かったわ」
ここでは話せない、機密情報もあるのだろう。アリノアはすぐに頷く。
だが、ふっと誰かからの視線に気付いたアリノアは教室の入口の方へと振り返った。
「ん?」
そこには誰もいない。気のせいだったのだろうか。本当に一瞬だけだったが、呪魔のような気配も感じ取れた。
「どうしたんだい、アリノア」
「え? あ、ううん。何でもないわ。それよりも、そろそろ家庭科室に行かないと授業に遅れるわよ」
首を振って答えつつ、持ってきていたエプロンと教科書を取り出す。今日は一限目から家庭科の授業だ。確かお菓子を作ると聞いている。
「そうだった。ふっふっふ……涎が出るな……」
まだ、作ってもいない時点でクレアの目は輝き始める。
「はいはい、行くわよ。ほら、あなたも準備なさい」
「あ、そうだ。アリノア、良ければ一緒の班にならないかい? 確か四人一組で調理実習をするんだろう?」
「……男子の班に入れてもらいなさいよ」
いつもはクレアと二人、どこか余った班に入れてもらっているが、どうやら今回は上手くいきそうにはないようだ。
「いいじゃないか。な、クレア」
「そうだな。エリティオスが作った物を一割寄こすというのであれば、その案に乗ってやろう」
「よし、決定だね」
クレアはお菓子で買収されたようだ。
「……もう、ほら二人とも、遅れるわよ」
アリノアは溜息を吐きつつも後ろを少し振り返る。今日はどんなお菓子を作るのだろうかとエリティオスとクレアが楽しそうに話していた。
「アリノアも作ったお菓子を交換しないか?」
「は? まぁ、いいけど」
「アリノアの作ったやつは美味いぞ。まるで懐かしい母の味を食べているような気分になる」
クレアが腕を組みつつ、にやりと笑う。
「へぇ、それは興味あるなぁ」
「……皆で一緒に作るんだから、味は変わらないでしょう」
ふっと、横から追い越すように女生徒が通ろうとしたため、アリノアは肩が当たらないようにすっと避けた。
しかし、その瞬間、追い越していった女生徒の肩に蛇が乗っているように見えたのだ。
「っ!」
アリノアは素早く身構える。
「アリノア」
小さな声が耳元で聞こえた。どうやらノティルが影を細く伸ばして、アリノアの声に聞こえるように話しかけているらしい。
「今、いたよ。間違いない。蛇型だった」
「やっぱり……。じゃあ、今の女生徒が……」
「……アリノア、感じたか?」
後ろにいたクレアも少し戸惑うような表情で今、通り過ぎていった女生徒を見ていた。
「感じたわ。あれは、完成体……完全に呪いを完成させた呪魔に間違いないわ」
「気配も昨日のやつと同じだったよ。……今はもう、気配はないけど」
そう言ったあと、ノティルはすぐにアリノアの影の中へと戻っていった。
ざわめく生徒達の中に先程の女生徒は姿を消したため、いつの間にか見えなくなっていた。
「どうしたんだい、二人とも」
目を丸くして、エリティオスは二人を見ている。どうやら、彼は先程の女生徒を見ていなかったようだ。
「あなたにはまた後で話すわ。……クレア、さっきの女生徒について調べてもらえる?」
「了解。お昼までには仕上げるよ」
クレアの情報網は広い。それはまるで糸を伸ばし続ける蜘蛛のようだ。言葉と魔法を駆使しつつクレアの情報収集は確信かつ、信ぴょう性のあるものへと変わっていく。
そこで、予鈴を告げる鐘が鳴る。
「あっ、急がないと……」
三人は時間を確認しつつ、結局早足で教室に向かうしかなかった。




