夜再び
夜の二十時半頃、夕食を食べ終えたアリノアがそろそろセントリア学園の見回りに行こうかと支度をしていた時だった。
クレアがにやにやとしながら近付いて来たため、何か嫌な予感がしたアリノアは引き気味に後ろへと下がった。
「さっき、サリチェ課長のところに電話が来たんだけれどね」
「……誰から」
何となく聞かなくても分かっているが、アリノアは眉を深く寄せながらクレアに恐る恐る訊ねてみる。
「とある人がアリノアを学園の校門前で待っているらしい」
「……はぁっ!?」
思わず素の声で叫んでしまったアリノアに対して、目の前のクレアは笑いを隠しきれていないようだ。
「そういうことだ。ちなみにサリチェ課長は溜息を吐きながらお守は任せたと言っていた」
「そんなっ……。面倒だわ」
クレアの言っている人物がすでに誰の事なのか分かっているアリノアは盛大に溜息を吐きつつ、当人ではないが代わりにクレアを睨んでおいた。
「それじゃあ、頼むぞ~。私は他にも調べる事があるから」
「あっ、ちょっと、クレアっ……」
アリノアの呼びかけを軽く無視するようにクレアはさっさと呪術課へと戻ってしまう。
その後ろ姿を少々恨めしい目で見送りつつ、誰もいない廊下で一人、深い溜息を吐くしかなかった。
・・・・・・・・・・
「アリノアー。今日は校庭に着地するってことでいいんだよね?」
昨日と同じ大鷲の姿のノティルが下から訊ねてくる。今日も同じようにノティルから運んでもらっていたアリノアは溜息交じりに返事をした。
「そうよ。……あー、もうっ! あの王子様は一体何を考えているのよっ!」
「まぁ、まぁ~」
「ノティルはのん気でいいわね。……もし、怪我でもさせてしまったら、大変じゃない」
冷たい風が強く身体に吹き付ける。今日はちゃんと上着を着ているので寒くはなかった。
「……とりあえず、話し合ってみたら? ほら、あそこにいるみたいだし」
ノティルが見てごらんと言った方向に目をやる。門の内側、校舎側にエリティオスが立っている姿が見えた。
学生寮に住んでいるなら外出する時間の門限があるはずだ。もしかすると窓からこっそりと抜け出してきたのかもしれない。
一国の王子だと言うのに何と無茶なことをするのかとアリノアは何度目か分からない溜息を吐いた。
校庭の上へとノティルは着地し、その上に乗っていたアリノアもすぐに降りる。そして、責め立てるようにエリティオスの目の前へと立った。
「ちょっと! 夜の学校は危ないって言ったでしょう!? 昨日だって危ない目にあったのに、どうして来るのよ!」
「やぁ、こんばんは、アリノア。夕方ぶりだね」
だが、言葉を捲くし立てる剣幕のアリノアに対し、彼は極めて穏やかに挨拶してくる。
「大体、夜の学校に忍び込むのが校則で禁止されているのは、夜には魔物の類のものが出るからよ。危険だって分からないの?」
「それはもちろん承知しているよ。でも、今日のお昼の話を聞く限り、例の蛇型の呪魔ってやつは僕がいた方が出てきやすいと思って」
「それは……」
そうかもしれないと言いたかったが、確証があるわけではない。それよりも高いのは危険性の方だ。
呪魔に対して素人でもあり、見える彼が闇の深くなる夜の時間帯の校内を歩けばどのような影響を受けるかはっきりと分からないため、同行の許可など出るわけがない。
「あのね……。任務に一般人を巻き込んではいけないって規則があるの。だから……」
「自分のことは自分で何とかするよ。それに僕は君に付いてきたというよりも、また机の中に忘れ物をしたから取りに行くだけだし」
絶対に嘘だと言いたいが彼ならやりかねない。
「教室まで付いてきてくれるかな? アリノア」
「……」
つまり、夕方にエリティオスに別れの挨拶をした時から、彼は自分に付いてくる気、満々だったのだ。
騙されたというよりも彼の術中にはまったと言った方がいいだろう。どうせ、一人で行かせるわけにはいかない。アリノアはわざとらしく深い溜息を吐いた。
「分かったわよ。……でも、呪魔が出た時は大人しくしていてよね。手を出そうとしたりしないこと。……いいわね?」
「もちろんだ」
彼は策が上手くいったことを喜んでいるのか、満面の笑みを見せる。
「……ノティルも、私の援護をするよりも優先して、彼のことを守ってあげて」
「了解~。アリノアも色々大変だねぇ」
子猫の姿へと変化しつつ、ノティルはひょいっとアリノアの肩へと乗った。
「やぁ、初めまして。昨日も会ったよね」
エリティオスは臆することなく、ノティルに挨拶を述べる。
「僕はエリティオス。君は?」
「ノティル。アリノアの契約影魔だよ。つまりは魔物だけどね。でも、本当に見えるんだ。魔力は無いのに……」
どこか感心するような口ぶりでノティルはエリティオスをまじまじと見る。
「あぁ、使い魔か。なるほど」
「そうそう」
和やかに会話を始める二人に対して、アリノアは大きく咳払いする。
「ほら、そろそろ校内に入るわよ!」
「……もう、アリノアは短気だなぁ。せっかくエリティオスと話していたのに」
「任務で来ているんだから、文句を言わない!」
早口で言葉を返し、アリノア一人で昇降口に向かって歩いていく。その歩調に合わせるようにエリティオスも歩き始めた。
「でも、昨日はよく校舎の中に入られたわね。いつも鍵が閉まっているのに」
「実は僕、開錠術が使えるんだ」
そう言って彼は、上着のポケットから一本のヘアピンを取り出す。
「昔、これで色んなものを開けまくっていたら、怒られたなぁ……」
「それは怒られるでしょうよ。……開錠術は泥棒の得意技術の一つだもの」
王子であるエリティオスが、開錠術が得意だと知ったら一体どれだけの女生徒ががっかりするだろうか。
いや、もしかすると逆に想像と現実の差異に驚きつつも、素敵だと言って喜ぶかもしれない。
「でも、今日は必要ないわね。私が開けてあげるわ」
「本当かい? 僕、アリノアが魔法を使う姿を見るのが好きなんだ。昨日も呪魔を倒す姿に惚れ惚れしちゃったよ」
「……よくもまぁ、そういうことをすらすらと言えるわね」
呆れつつもアリノアは腰から短剣を引き抜く。剣先を鍵穴へと向けて、呪文を唱えた。
「――扉よ、解き放て」
すぐに金属音が掠れる音が聞こえ、開錠したことを確認して昇降口の扉を開く。
「鮮やかな手捌きだね」
「それは、どうも」
扉を開けて、二人は滑り込むように校舎の中へと入った。もちろん、誰もいないであろう校舎の中は薄暗く、静かである。
「足元、気を付けて」
「大丈夫だよ。これでも夜目は利く方だから」
何故、夜目が利くのかは聞かないでおこう。アリノアはとりあえず、自分達の教室を目指す事にした。




