正式任務
それまではあまり喋ったことのないエリティオスと仲の良いふりをするのは、思っていたよりも大変だった。
そもそも話しかける話題がない。エリティオスは積極的にアリノアに話しかけてくれるがあまり面白く返事を返すことも出来ずにいた。任務以外で男子と話す機会がないため、慣れていないのだ。
そう思いつつも、あっという間に時間だけは過ぎ、下校の時間になってしまった。今のところ、女生徒に目立った動きはないし、呪魔も見られない。
だが、おまじないが流行っているというのは何となく感じ取れた。こっそりと聞き耳を立てているとおまじない、リボンといった言葉が聞き取れたからだ。
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いつもなら、クレアと一緒に帰るところだが今日は違った。
「そういうわけで、二人で帰ってくれ」
帰りの準備を整えたクレアはそう言い残したあと、颯爽と教室から去っていった。
「……は?」
状況を理解出来ていないアリノアはクレアが去っていった方向を呆然と見るしかない。
「そういうわけらしいから、僕と一緒に帰ろうか、アリノア」
「……帰ると言ってもあなたは学生寮に住んでいるから、ここから数分もかからないじゃない。それに私が帰る方向とは真逆だし」
「うん。だから、昇降口のところまで」
にこにこと楽しそうに笑っている彼の申し出は何となく断りにくかった。
「……仕方ないわね」
これも作戦のうちだ。女生徒の気をエリティオスから自分の方へと向けさせるのが目的なのだから。
一緒に並んで帰るのが珍しいのか、それとも羨ましいのか妬ましいのか分からないが、エリティオスと並んで歩くアリノアに様々な意味合いを含めた視線を通り過ぎていく女生徒達が向けてきていた。
……なるほどね。
ちらりと女生徒の顔を見ると、嫌なものを見たという顔をしていた。そんなにエリティオスが好きならば積極的に話しかけて、告白でもすればいいのにとさえ思う。
しかし、相手が王子という立場であるため、軽率な行動は取りにくいといったところだろう。その一方でエリティオスはずっとにこにこと笑ったままだ。
「……そんなに何が楽しいの?」
周りに聞こえないくらいの声量でそっと訊ねてみる。
「え? それは楽しいよ。だって、今までこんな風に学生らしいことをしたことがなかったからね」
そう言って年頃の少年のような笑みを見せるエリティオスにアリノアは一瞬だけ、たじろいでしまった。
何でもないことを嬉しい、楽しいと思う彼の気持ちは偽りではないのだろう。
……ちょっと、この間抜けにも見える表情を守りたいって思ってしまったじゃない。
自分自身を責めるように心の中で溜息を吐く。
教室から昇降口へと出るまで十分もかかっていないというのに、エリティオスの笑顔は崩れない。それどころか、特に話しかける話題がない自分に話題を振ってくれる。
……確かにいい人だけれどね。
エリティオスの話に相槌をうちつつ、会話をしているとあっという間に門のところまで来てしまった。
「おや、もう終わりか」
残念そうに彼は肩を竦める。
「それじゃあ、アリノア。またね」
「え? あ、また明日……」
流れるような勢いに押されて、アリノアは思わず手を振り返す。
どうやら、今日はここまでのようだ。それもそうだろう。彼が住んでいるのは学園の敷地内の学生寮で、自分とは違う方向に帰り道があるのだから。
……でも、何だか妙なのよね。
腑に落ちないくらいに自然な別れだったからだ。アリノアは首を傾げつつもエリティオスとは反対の方向へと足を進める。
だが、その後ろ姿を見られていることに、気付いてはいなかった。
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制服から普段着へと着替え終わったアリノアはいつものように呪術課へと向かう。部活には入っていないため、夕方からがアリノアにとって本格的な出勤だ。
呪術課の人間は出払っているのか、誰もいない。だが、奥の課長室から話し声は聞こえるため、二人以上の人間がいるはずだとアリノアはそちらへと向かった。
木製の扉を数度叩いてから、中へ入るとサリチェと一緒にクレアもいた。
「お、ちょうど良かった。今から正式に任務を言い渡そうと思っていたんだ」
「もしかして、エリティオス王子のことですか?」
アリノアはソファに座っているクレアの隣へと遠慮なく腰かける。
「そうだ。お前にはしばらく、セントリア学園の呪魔退治とエリティオス王子の警護を任せたいんだ」
「それは……構わないんですけど。でも、王子に対する女生徒達からのおまじないと言いますか、呪術的アプローチはいつ終わりを告げるか分かりませんよ?」
「終わりなら、ある。……エリティオス王子が学園を卒業する時だ」
「それってあと二年も一緒に過ごせということですか!?」
有り得ないと言わんばかりにアリノアは露骨に嫌そうな顔をしてみせる。
「仕方ないだろう。本来なら、王子には護衛が付くはずだったが普通の生活を送りたいと強く望んでいるため、彼の生活に王宮の者は一切干渉しないようにしているんだ。もちろん、王宮魔法使いも」
「……やけに詳しいですね、課長」
「まぁ、ちょっとな」
曖昧に返事を濁して、彼女は屈託なく笑う。イグノラント王家に関する情報も王宮に関する情報も、教団の方には渡されないようになっている。
つまり、この任務は課長を通しての個人の依頼ということだろうか。
……もしかすると、課長の知り合いが王宮にいるのかしら。
だが、聞くのは野暮だろう。アリノアは任務なら仕方ないと改めて、確認するように頷いた。
「……それじゃあ、今日の夜も校内の見回りをしてきますので」
「うむ。一度に二つの任務を掛け持ちさせることになるが他の奴らが帰ってきたら、セントリア学園の見回りも交代させるから」
「それよりもおまじないや呪いが流行らなければ、こんな面倒なことを毎日する必要はないんだけどね」
隣のクレアが仕方ないというように苦笑する。
ここ最近、セントリア学園内では呪魔がずっと出没しているのだ。ただでさえ少ない呪術課の人員をそちらにばかり割かれるので他の仕事にも少し滞りが出始めているところだ。
そんな時に王子の警護をしろというのだから不思議なものだ。
「忙しいのも今だけだ。すぐに暇になるさ」
「そうですかね……」
そうだといいのだが。にやにやと面白そうに笑っているクレアの頭を一発軽く叩いてから、アリノアは立ち上がる。
「蛇型の呪魔についておさらいしてきます」
「おう、頼んだぞー」
「気を抜くなよ、アリノア」
アリノアは軽くサリチェに頭を下げつつ、課長室から出る。クレアはまだサリチェと話すことがあるのか、会話を再開したようだ。
「……さて、準備しますか」
出来るなら蛇型を見つけて、今度こそ倒したいがあの呪魔はエリティオスに反応するため、彼がいないと見つけることは出来ないだろう。
だが、それでもやることに変わりはない。出来る限りの呪魔を倒さなければ、『見える』エリティオスに強く影響を与えてしまう。それだけはどうにか避けたいのだ。
アリノアは腰に下げた短剣にそっと手を触れ、何かを決意したように再び顔を上げる。
「よしっ、やりますか」
とりあえず過去の報告書から、蛇型の呪魔の特徴を見直そうとアリノアは綺麗に整頓されている棚に収めてある書類の束へと手を伸ばした。




