彼女は変わり者(2)
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―――結局のところ僕にとって彩月さんは超人でもなんでもない、桜の木の前に佇む、触れれば消えてしまいそうな華奢な女の子なのだった。
僕ら一年生が入学して2ヶ月ほど。それぞれ学校生活になれ、気の合った友達も決め、各々適当なグループに所属してなんとなく楽しくやっているようすではあった。
部活動も体験入部期間も過ぎみんな正式に部活動なんかに所属している。僕は科学部に所属しており、正悟は剣道部にいる。僕は科学部で何をしているのかといわれればなぜか畑仕事。昔はパソコンでゲームをしていたというのだからおかしな話である。
そんな6月の梅雨の日。連日続く雨は県境を流れる巨大な河川の水量を増加させ、それでもなお振り続けていた。
町の中のいたるところにある小川もそろそろ限界を迎えようとしており、古い町並を残す川沿いでは氾濫が起きているという話だった。
天気予報では大雨洪水警報が出されているが、休校になるような話ではないのでみんな憂鬱そうに学校に登校していた。
そして僕もその例にもれず登校を済ませ机の上に突っ伏していたのだった。
「で、飽きもせずにかれこれ1ヶ月近くアタックを続けている訳だが、なんら成果を得られずにこうしてのびている訳?」
そんな僕の様子を口元をにやけて見ている生徒は友人の正悟だった。部活動の朝練習は雨の影響で中止になっていた。
「うーん、自分なりに色々試してはいるんだけれどね。なんていうかうんともすんともいわないから。なかなかに困っているよ」
「傍から見ていると全く困っちゃいねーように見えるけどよ」
机に肘をつき、顎に手を当てた正悟は口元を吊り上げていった。
さて、傍から僕の様子を見て楽しんでいる厭味な友人は置いといて、ここ最近何に努力をしているかといわれれば当然彼女のことだった。
彼女とは山田彩月さんのことである。
春先にあの川に浮いていた変人、ヤマダタロウと一緒にこの町にやってきた彼女はひょんなことから僕らの通う学校に転校してきた。
いや、詳しく調べたら転校かどうかも怪しいところなのだけれども、兎に角彼女は僕らのクラスメイトになった。
しかし、とうの彩月さんはといえばそんな気はないらしい。転校初日、彼女が僕たちに言ったことは、気にしないで、だった。勿論、僕らもそんなこと話半分で聞いていて彼女と親しくなろうとしたが、どうやら彩月さんの言うことは本心であったらしく、尽く対話の戸を閉め切る彼女に対して彼らも会話することを諦めていった。
「ここの連中も他の連中ももういないものと思っているのに、ただ一人諦め悪く関わり続けているあずま君は気が長いねぇ。いったい何をしているんだよ」
皮肉っぽく笑って正悟はいった。
「別に、何も。ただ話をしているだけ」
「そのただ話しているだけの内容を知りたいんだよ」
内容といってもなぁ、思い返してもたいしたことないし。
「まぁ、一週間ぐらいは遠巻きに彼女のようすを見ていたよ。それでもすれ違ったりしたら挨拶していたけどね。その後、人数も減ってきたしよく天気の話とかテレビの話とか、好きな漫画とか小説とか映画とかドラマとかそこらへん。いつも朝早いねとか話しかけたよ。まぁ、結果はいつも通りだけどね」
「……最近いつも登校早いと思ったらそういう」
呆れたように正悟は細い目で見ていた。まぁ、その成果も出ていないんだけど。
チラッと後ろを振り返る。
窓辺の一番後ろの席。そこに彩月さんはいる。
いつも退屈そうに窓の外を眺めている彼女。いったい何を考えているのか。
初め、彼女はここにいる必要はないといった。自分は完璧だから、と。確かに、彩月さんにしてみれば一般的な学校教育なんて当然のことなんだろう。彼女は平然と高校の問題を解き、教科書を丸暗記し、それ以上に詳しい情報を持ちえている。
料理はできる、おそらく裁縫もできるだろう。絵も歌も運動も完璧だ。
まさしく天才。国が国なら飛び級して博士号なんかもとっているのかもしれない。というか、この国で重要視されていないのが不思議なくらいだ。
けど、なぜか知れないけれど彼女はこの学校に通い続けいる。
「けど、何で彩月さんはこの学校に来ているんだろうね」
「ああ、そりゃお前中坊の年だからだろう。俺もお前もアイツも」
さも当然のように正悟はいった。
「それはね、正しいよ。正悟のいっていることは。でもさ、彼女ここで勉強する意味ないよね」
「天才だし。実際学校の勉強なんざクソくらいにしか思ってねーよ。それにうちの国飛び級制度なんてないし。金もねーんじゃねぇ、ほら、親があの変人だろう。生活能力皆無そうじゃん」
極彩色の服を着たロンゲの男の姿が頭をよぎった。
「だからあれだけ色々出来るようになったとも考えられそうだけどね。なんていうのかな、反面教師?」
だろうなぁ、と正悟は溢す。
「俺だったら反抗期が3年早く来そうだけどな、あんなのが親だったらまず間違いなくぐれるぜ」
確かに、僕は頷いた。
「気軽に相談とかは出来そうな人じゃないけどね。でも、あのヤマダさん。正直な話経済とか法律とかそういうの超越してそうだよね」
とてもじゃないが真っ当なことが出来る人のようには思えない。大体、普通の人は小川で浮いていない。
「まぁ、なんとなく何でもやりそうな人物ではあるが」
「実はあの人も天才なんじゃない。この親にしてこの子ありみたいな」
大いにありえそうな話だ。天才はこちらが理解できない、到達できないからこその天才なのである。いや、一歩間違えれば狂人だけど。
「天才と馬鹿は紙一重というしな」
おんなじことを思ってか、正悟はそんなことをいった。
「天才といってもどんな天才だろうね。万能、って感じの天才とは程遠そうだし」
「一点特化じゃね。科学者みたいな。あの自由度と常識のなさ、そんな感じじゃね?」
あー、なんとなく納得できる答えだ。知っている、得意なことは物凄くて後は駄目な感じ。あのヤマダさんのイメージにぴったりだった。
「……まぁ、でも。結局何なんだろうねヤマダタロウさんと彩月さんって」
「そうだなぁ……、いや、ちょっと待て」
そういうと正悟は何か考え始めた。手で口を押さえているがその口元は悪そうな笑みを湛えていた。
ホームルームの始業のチャイムが鳴る。
「なぁ、今日の放課後お前暇か?」
何か思いついたのか、心底悪い笑みを浮かべて正悟はいった。
「……ま、まぁ特に何もないけど」
わかった、と正悟。嫌な予感しかしない。
教室の前のドアが開き担任の先生が入ってくる。一斉に生徒が自席に戻っていく。
「とりあえず放課後な。待ってろよ」
そういうと彼は意味深な笑みを浮かべて前を向いた。