“彼女”?それとも“カノジョ”?(5)
その後、正悟が何かしようという気配はなかった。なんとなく状況を愉しんでいる様子だったが、それ以上はないかする気配はなかった。
帰宅後も期待は高まり少し落ち着きがなかったんだと思う。母はなんかいいことがあったか、なんでもないと答えたが、父はなんとなく察したのか母がいないときに野口を十人ほど手渡した。
その後も浮ついた気持ちで過ごして、眠れたんだか眠れなかったんだか分からない状況で当日を迎えた。
約束の時間よりも5分くらい早めに僕は辿りついた。店の前には彼女はまだおらず、落ち着かない僕は店内に入り小説を眺めていた。
新刊、既存の小説、新書、ハードカバー。別に欲しいものはないんだけれど、なんとなく本を眺めていると落ち着く。
本の並んでいる棚を右へ左へ移動しながらいろんなタイトルの本を見ていると、ふと隣に来た人にぶつかりそうになった。
慌てて避ける。
「あ、御免なさい。ちょっと余所見していて」
咄嗟に謝った。
「本当よね。時間には来ていたみたいだけど、こんなところで時間潰して約束の時間過ぎてさ」
そう不満げに漏らす人は彩月さんだった。気付けば時間は約束の時間から10分ほど過ぎていた。
「あ、うわ、ごめん」
さらに平謝り。
「本当よね。私と本どっちが大事なのかしら」
目を細めて言う彩月さん。バツが悪い。
しかし、気まずくはあるんだけどそれ以上に気になるのは彩月さんの格好だ。彼女は普段の制服姿ではなかった。
デニムのショートパンツ、黒いタイツ。半袖のシャツにノースリーブのパーカーを羽織っていた。
今までのイメージとは真逆のボーイッシュな雰囲気の格好だった。ただ、その姿は今の彼女に似合っており、その飾らない姿に思わず見惚れていた。
「何か私おかしいかしら?」
茫然とする僕に彩月さんが聞く。
「いや、別に、そういう訳、じゃないけど」
しどろもどろだよ、僕。
「じゃあ、何を思っていたの」
意地悪そうに彼女が言った。
「なんていうか、私服を見たの初めてだから」
「おかしい?」
「ううん。似合っているよ。可愛い」
僕の言葉を聞いて面食らったような表情を見せる彩月さん。
「そう」
僕から視線を外し、指を組んで恥ずかしそうにしている。
うわ、何だろうこの反応。凄くずるい。そして、そんな反応をされるとこっちも気恥ずかしい。
なんとなくばつが悪くて思わず頭を掻いた。
初々しい沈黙が続く。
「そ、それじゃあ行こうか彩月さん」
そういってて彼女の手を掴んで歩き出す。
あ、とか細くもらした彼女が歩き出す。
「うん」
短く言って手を引くまま彼女は僕の後をついてきた。
祭りの会場は戸田屋から市民体育館へ真っ直ぐ向かい、そこから市街全体が会場だった。市民体育館から駅に向かう道は既にどこも封鎖されており、封鎖された先では歴史の人物や動物を模した人形が乗せられた山車が曳き廻されていた。
「知識では知っていたけれど、本当に皆人力で引いたりしているんだ」
山車の全長は人形を含めて7メートル、重量はおよそ3~4トン。山車の木製の後輪と山車の間に“てこ”と呼ばれる4メートルほどの木の棒を挿して舵を取りながら進んでいく。その動力はモーターなど使わず全て人力。進行方向へ繋いだ縄を引っ張り、また、後ろの担ぎ手が背中で山車を押して進んでいく。
また、山車が動いている間乗っている下座がお囃子を演奏している。
「喧嘩祭りのような派手さはないけど、軋みを上げて進む大きな山車はそれだけで圧巻でしょ」
「そうね」
山車が町を練り歩く様を僕等は並んで見上げていた。
祭りのメインは勿論山車やお囃子だけれども、直接参加しない僕等は出ている屋台を巡る楽しみもあった。
チョコバナナや焼きそば。お好み焼き、タコ焼きカキ氷にくじ引きに射的にヨーヨーすくい。閉鎖された道路では道に沿って様々な出店が立ち並ぶ。
勿論、普通に考えたら少し高いんだけれどもそこはお祭り。なんとなくその場の空気に呑まれてついつい買ってしまうのが心情だ。
始めはどこに行こうかといろんな出店を見ていると、今年は定番にまぎれた中に変わったものを見つけた。
「珍しい。ホットドッグの屋台なんてあるんだ」
生きてきて初めて見た屋台だった。今でこそケバブはいろんなところで見るようになったけれど、ホットドッグは始めてだった。そのうちにホットドッグもいろんなところに現れるようになるのだろうか。
「行ってみない。僕始めてみたんだ、ホットドッグの屋台って」
出店を指差しながら彩月さんに言うと、彼女は心底うんざりしたような表情をしていた。
「……あいつ、ここ数日やたら朝が早いと思ったらそういうことだったの」
心底呆れたようにはく彼女。彩月さんがあいつ、と呼ぶ人間は一人しか思いつかない。
そして案の定、ホットドッグを仕込んでいる店員はちょっと近付きになりたくない様相をしていた。
白いタオルを頭に巻き、白いシャツにベージュのハーフパンツと比較的普通の格好。
しかし、それに合わせているエプロンはどこで売っているのかムンクの『叫び』がプリントされている。顔は覗えない。何せヒーロー物のお面を被っているからだ。ほら、日曜7時半ごろにやっているバイクに乗ってない方のヒーローの赤い奴。
身長も190センチくらいと日本人離れしており、腰まで伸びた黄色味がかったブラウンの髪を後ろで束ねている。
完全に外国人な風貌の、しかし日本人だと名乗るヤマダタロウさんだった。
で、その変人がこちらに気付いた。
「やぁ、少年。日本のお祭りも中々楽しいな」
人ごみの中、こちらに聞こえるように大きな声で叫んだ。ていうか、あなた日本人じゃないんですか?
周囲目が集まる。一度僕等を見てヤマダさんを見てから、もう一度奇異な目で僕等を見てから、周りの人たちは気にせずに歩き出した。
呼ばれたからには行かないといけないと思うけれど、彩月さんは物凄くいやそうな表情を浮かべていた。
「……どうする?」
彩月さんに聞く。彼女は難しい顔をした後手で顔を押さえてため息一つつくと、いい加減諦めたように歩き出した。僕もそれについて歩いていく。
「アナタ、何しているの?」
店の前に辿り着いた彩月さんの第一声がそれだった。
「何って見て分からないかい? 出店してるの」
意外に馬鹿だね、と事も無げに言ってのけるヤマダさん。瞬間、真横で殺気を感じた。
と、足元に違和感を感じた。大きな毛の固まりをこすりつけたような感じ。
見てみれば、野良とは思えないセミロングヘアーのロシアンブルーのネコが僕の足に身体を擦りつけていた。
「ああ、それネベロングっていう種類の猫。内の新しい奴。名前はチャシャっていうんだ」
ヤマダさんがいった。というか、ネコとか飼っているんだ。
「アナタ、自分の立場分かってるの?」
飄々としているヤマダさんに苛立たしそうに彼女は言った。チャシャは僕の足から離れてヤマダさんの出店の裏に行く。
「それを言うなら君もそうなんだが、まぁ、ずっと引きこもっているよりかは健全だろう」
そういってヤマダさんは笑った。それを聞いて彼女は不快そうに眉をひそめた。仲がいいんだか悪いんだか、良く分からない距離感だ。
ところで。
「何でホットドッグなんですか?」
思わず聞いた。
「いいじゃないか、ホットドッグ。ほんとはBBQの屋台を出したかったが如何せん準備が間に合わなかったからね」
そういうと彼はホットドッグ用のパンズを取り出すとキャベツを敷き、その上に鉄板で焼いていたソーセージを挟んで、粒マスタードとオニオンソースをかけた。ヤマダさんはそれを紙に包み、僕に差し出した。
「どうぞ。君は無料でいいよ」
「ありがとうございます」
手渡されたホットドッグは普段食べるものよりも大きかった。貰ったホットドッグをその場で齧ってみる。
「あ、おいしい」
だろう、と自信満々にヤマダさんは言った。
「ソーセージも市販で売っているようなものじゃないし、このキャベツも普通のものかと思ったけど、違うんですね」
「知らないかい、ザワークラウトっていうんだ。キャベツを塩と香辛料を入れて醗酵させるんだ。白ワインなんかもいれるよ」
全部手作りさ、とヤマダさん。
「ホットドッグってケチャップとマスタードってイメージがあったんですけど、それだけじゃないんですね」
貰ったホットドッグを齧りながら言った。店先にはカキ氷のシロップみたいに、“ニューヨーク”とか“シアトル”とか“シカゴ”とか書かれている。
「地域色さ。同じ食べ物でもいろんな食べ方あるでしょ、日本だって」
そういわれてみればお雑煮をとっても白味噌だとかしょうゆだとかあんこが入っているとか地域で違う。出汁だって関西、関東で違うしね。
というか。
「料理できたんですねぇ、ヤマダさん」
「何か凄く失敬な事言われている気がする。私のは趣味よ趣味」
趣味でも十分凄いような気がするなぁ、と思いながらまたホットドッグを齧った。
「まぁ、私はここでずっとホットドッグ焼いているから何か困ったことがあったらくるといい。ついでに店の宣伝をしてくれると助かるな。主に女の子に」
その言葉にちょっと目が丸くなった。
「……なんだい少年、その人を食ったような表情は」
「やっぱりヤマダさんも男ですねぇ」
「……? どういう意味だい?」
「いや、男よりも女に来て欲しいというんだから」
なんというか、そういうの全く興味なさそうに見えるし。
「ああ、いやね。別に来る人を選ぶわけじゃないんだけど、如何せん冒険精神むき出しの男子高校生が来てからというもの、思った以上に評判になっているらしくてね。さっきから男しかやってこなくて、しかもスポーツ系の子達ばっかで流石に辟易しているところなんだ」
バッド持った子が大半、と肩を竦めた。
「だからいい加減男は見飽きたんだ」
「良かったじゃない。繁盛しているみたいで」
棘々しい口調で彩月さんは言った。
「なんだい、皮肉を言うようになったのかい?」
仮面の奥の表情は読み取れないが、雰囲気からヤマダさんは楽しそうにしている。その様子を見て彩月さんはさらに露骨に不機嫌になった。
「行きましょう、越智君。こんな奴といっしょにいても不快なだけだわ」
そういって彼女は僕の袖を掴んで引っ張る。
「あ、ちょっと彩月さん」
「構わないよ、少年。楽しんでくるといい」
そういってヤマダさんは手を振る。と、何か思い出したようにぴたっと止まる。
「ところで少年、この町は外国人に人気があるのかい?」
唐突にヤマダさんは切り出した。
「どうでしょう。僕の知っている外国人はスリランカの人たちだけど、アレは人気とかそういうのじゃないし。マイナーな場所といえばマイナーな場所だし。そういえば外国人が最近よくいますね」
「まぁ、そうだよね」
その反応は失礼だと思う。
「いや、うちの彼女は容姿端麗だろう。外国人ってそういうの目聡いから話掛けられたら困るなぁって思って。ほら、テレビに出るにも親の許可は必要だと思うし」
勝手は困る、と彼は肩を竦めた。
「大丈夫じゃないですか、彩月さん英語できるじゃないですか」
でしょ、と彩月さんを見た。しかし、彼女は僕の言葉は耳に入ってそうになく、怒りとも不快とも違う、敵愾心剥き出しの視線でヤマダさんの事を睨んでいた。
「だったらアナタがそういう外国人を見たら注意しなさいよ。むしろ、アナタのほうが悪目立ちしているでしょ」
否定は出来ないね、とヤマダさんはいった。
「しかしね、話の種になりそうなコイツしかいないんだ」
そういってヤマダさんはしゃがみ込むと、隠れていたチャシャを腕に抱いて立ち上がった。
「だったらその子だけでどうにかしなさい」
「難しい話だね。ま、でも頑張ってみよう」
そういうと彼はチャシャに顔を埋めるように近づけ小声で何か話しかけたと思うと、そのままチャシャを手放した。
地面に飛び降りたチャシャはそのまま人ごみに消えてゆく。
「それじゃあ、面倒臭いのは大人に任せて、君達は気兼ねなく遊んでくるといい」
そういってヤマダさんは手を振る。しかし、今の会話から面倒臭い相手は外国人で、その人たちと知り合いといった感じだ。
「それじゃあ、その言葉に甘えるからしっかりやって」
そういって彩月さんはヤマダさんから視線を外した。
僕の腕を引っ張り人ごみに入っていく。
「了解。少年、彼女を頼んだよ」
ホットドッグの屋台から遠ざかっていく途中、そう僕に言うヤマダさんの声が聞こえた。




