カノジョは変わり“モノ”?(7)
声を掛けられて立ち止まる僕ら。視線の先、ダイヤモンドの真ん中に立つ沢渡先輩は不愉快そうに僕らの事を睨んでいる。
歓声から一点、野球場の空気は険悪だった。
「それで、俺はどっちが投げたか聞いているんだよ」
横柄な態度で先輩は聞く。
「越智君、彼は何であんなに不機嫌なの?」
そんな先輩を無視して彩月さんが聞いた。そりゃ貴方の所為ですよ。
「エースと言われている以上自分に近い球を投げる人は許せないんじゃないかな?」
まがりにもこの学校の野球部を背負っているのだから、あっさりとあんな凄い球投げられたら誰でも神経質になるだろう。
それを聞いた彼女は視線を沢渡先輩に移して、
「プライドとかそういうの? 別に熱心に取り組んでいる訳でもないのに」
なんてつぶやいた。
「で、どっちなんだ?」
苛立たしそうに沢渡先輩は言った。
さて困ったことに先輩はどうしてもどっちが投げたかはっきりさせたいらしい。彩月さんは取り合うつもりもないだろうし、偶然投げたらそうなりましたなんて通じそうもない。そもそも、そんなこと言ったらもっと怒りそう。
こっちとしては穏便に済ませたいんだけど、向こうが穏やかじゃないどうしたものかと思っていると、意外にも彩月さんが手を挙げた。
そして、手を挙げた彩月さんを見て、沢渡先輩は露骨に不快な表情を見せた。
「何、お前達ふざけてんの?」
マジでキレる5秒前っといった風。どっちがと聞きつつ先輩はどうやら僕が投げたと思っていたらしい。そこに彩月さんが素直に手を挙げたもんだからからかわれていると思ったのだろう。それとも、馬鹿にされていると思ったのか。
けど、それは暗に女はあんな球を投げれないと思っている裏返しなのだろう。
そんな沢渡先輩の反応に彩月さんは、正直に言ったのに、と言いたげな雰囲気で不思議そうに首を傾げた。そして、徐に彼女は野球場のベンチの方に歩いていった。
その行動に苛立っていた沢渡先輩も彼女の自由な行動に呆気にとられていた。他の部員はその様子を不安そうに伺い、何故か柳沢先輩だけ少し楽しんでいる気があった。
ホームベースの後ろを通り立ち尽くす一年生達の間を抜けて彩月さんは野球部のベンチへとやってきた。そこにはグローブやらバッドやヘルメットやらが置いてあり、彼女はボールの入っているかごに手を突っ込んで一個だけ掴んで持ち上げた。それを先輩にかざして見せた。
「な、何だよ」
若干気圧される沢渡先輩。間もなくボールを引っ込めたと思うと、彼女は先輩に対して横向きにたった。次いで、ボールを持っている手と反対の足が浮く。
前への踏み込み。その動作に合わせての上半身の捻り。連動するように腕がむちのようにしなったような動きをし、そしてボールがその指から離れた。そして、白球は先ほどよりも速く沢渡先輩目掛けて飛んだ。
「……はぁッ!?」
思わず目をむく沢渡先輩。予想外の出来事で反応できなかったのか、沢渡先輩は咄嗟に地面に倒れこんだ。その上をボールは過ぎ、先輩のいた真後ろの柳沢先輩目掛けて飛んでいく。
「いや、俺は無関係でしょ!」
反射的に柳沢先輩はボールをグローブでとった。パシン、と大きな乾いた音が響いた。
尻餅をついたままの先輩は首だけ振り返ってその様子をみて唖然としていた。他の生徒も立ち尽くしてみている。ボールをとった柳沢先輩の顔が若干引き攣っている。
ただ一人しれっと佇む彩月さん。この場で誰も及ばない球を投げていたのは彼女だった。
そんな彩月さん。先ほどの球は自分が投げたと証明したからといわんばかりに野球場からさろうとする。
「ちょ、ちょっと待てよ」
地面に倒れ込んでいた先輩が慌てて立ち上がり彼女を止める。
彩月さんは立ち止まり先輩を見る。いつも通りの無表情だが、心なしか不愉快そうにも見えなくもない。
「お前が投げたってことは分かった。確かにすげー球だな。けどな、俺のほうが凄いけどな」
佇むエースはそんな空威張りをする。誰がどう見て彩月さんのほうが凄かった。
ただ、そう認めないのはエース故のプライドか。
「だから、俺と勝負しろ」
何でそうなるかなぁ。
突然の沢渡先輩の提案にきょとんとする野球部員。正直にいえば僕もどう反応すれば言いか困ったもので、当事者の彩月さんは相変らず何を考えているか分からない表情。しかし、この場で唯一楽しそうにしているのが柳沢先輩だった。
「勝負つったってどうするんだよ。ピッチャー同士が投げ合ったって勝負になんねーんじゃねーの?」
余計な事を言わないでください。悪い笑みを浮かべた柳沢先輩はそんな事をいった。
勝負しろといったものの沢渡先輩も無計画だったのか、少し悩んでいた。
それはそうだろう。何せ既に勝負は付いているようなものなのだから。
「だったらバッティングセンターと同じ要領でいいだろう」
「同じ要領?」
「そう。沢渡、お前ピッチャーなんだからさ。打撃投手みたいな感じで、お前が投げて彼女が打てばいい。見たところ彼女は投げるのは得意そうだけど、だからといって打てるわけじゃないだろう?」
なんて煽る柳沢先輩。成程、と頷く沢渡先輩。なにやら勝負の趣旨が変わっているようにも思えなくもないのだが、どうやらそれでやる気らしい。
だが、果たして彼女が投げられるだけで打てないなんて事はあるのだろうか?
「その条件で文句ないか?」
ピッチャーとしての自負もあるのだろうが、やる気になった沢渡先輩は彩月さんに尋ねた。
彼女はその返事とばかりに近くに置いてあったバットを拾うと、そのままバッターボックスに立った。そして、構える。その姿は野球選手というよりかは、ルールを知らない女子高生がなんとなく格好だけでバットを構えているといった感じだ。
もはや流れについていけない野球部員は茫然とその成り行きを見守るしかなく、同じように所在無くただ見ているだけの僕を柳沢先輩は手招きする。
どうしようかと少し迷ったけれど、どうしようもないのでとりあえず先輩のところへ向かった。
「さて、俺たちはここで見守ろうじゃないか」
実に愉しそうに柳沢先輩が言う。
「何であんな煽るような事を言ったんですか?」
「え、だって愉しそうだったろう」
なんか、この人も大概だなぁ。
「そんな理由で煽るの止めてくれません」
「ふーん。それって彼女を心配して? 格好いいじゃん」
「……別にそういうわけじゃないですけれど」
「別にそういうわけじゃなくてもそういうことって答えるところだろ、今の」
柳沢先輩はニタニタとした笑みを浮かべた。
一方でダイヤモンドの中では柳沢先輩にお膳立てされた沢渡先輩と彩月さんの勝負が始まっており、一球目は両者とも様子見なのかボールカウント。
「まぁ、楽しそうは本心だけれどもさ」
ああ、本心なんだ。
「それよりまぁ、沢渡にいい薬になるんじゃないかなって」
「いい薬って、それってどういう意味です? というか、そんなことさせないでください」
2球目。ゆったりと左へ曲がるカーブ。彩月さんはそれを見送る。ボールに入ったと思ったけれどストライクだったらしい。
「仕様がないだろう。所詮は片田舎の野球部。確かに野球好きが集まっているが実力があるかはどうかは別で、確かにこのチームの中じゃ沢渡がトップクラスだからな。だからアイツよりも強い奴はいないの。
それで彼女。今年のうちの学校のスポーツテストの記録尽く更新したって話だし。何よりあの球。アレなら間違いなくうちの誰も勝てないからねぇ」
3球目。インローを狙ったボールが下がり、ボールカウントに。これでワンストライク、ツーボール。その間彩月さんはまったくバットを振ろうとはせずに構えたままでいる。
「だったらなんでバッターやらせたんですか。そもそも、それだったら投手勝負だったじゃないですか」
「そりゃそうなんだけどもね。ほら、なんか彼女いけそうじゃん」
「……いけそうって」
といいつつも僕もなんだかそんな感じはする。
「大体、薬ってどういう意味ですか」
しかし、僕らの皮算用とは裏腹に4球目のボールを見逃す彩月さん。ストライクゾーンを狙ったインコースの球だった。
カウントはツーストライク、ツーボール。
「ほら、ウチの野球部って少し空気悪いじゃん。大体沢渡の所為何だけど。ウチのエースピッチャー。他と比べりゃたいしたことはないんだけど、まぁここでは凄いからさ。それで天狗になっちゃってね。練習はあんまりしないしけどやたら傲慢で偉そう。その癖負けたら他人の所為だときてるからね。昔はもうちっと違ったんだが、何処で変わったもんだか。
中途半端な腕だから案外打たれたりして、そういうときに限って調子悪いと始まるからねぇ」
「それで、ずぶの素人に打たれれば言い訳できない、と」
そゆこと、と柳沢先輩はいった。
そして、5球目。投球では脅威と感じていた様子の沢渡先輩だったが、どうやらバッティングはたいした事はないと感じたのか、捻りのないど真ん中狙いのストレート。
実は彩月さんバッティングは苦手なんじゃないかと僕も思っていると、そこで唐突な快音。5球目にして初めて振るった彩月さんの振ったバットはボールを真芯で捉え、空高く打ち上げた。
「うん、女にしておくには実に惜しい」
満足げに頷く柳沢先輩。一方ダイヤモンドの真ん中で唖然としている沢渡先輩。
ボールは僕らの遥か頭上を超えて、野球場はおろかグラウンドを通り越し、挙句に技術棟と校舎の間を通り抜けて自転車置き場の方へ消えていった。
「……よ、容赦ない」
思わず僕は溢した。
投球にしても打撃にしても沢渡先輩の完全な敗北は決まってしまったのである。
ボールの軌道を放心したままの状態で沢渡先輩は追っていた。他の部員たちはこの結果に対してどういう反応を示したらいいか迷いあぐねいていた。
そんな場をやることが終わったといわんばかりに彩月さんは立ち去っていく。
「も、もう一度。もう一度勝負だ」
我に返った沢渡先輩が彩月さんに言うが、彼女は先輩に一瞥くれると興味なさそうに立ち去ってしまう。まるで、何度やっても同じだというように。
「悪かったな。それじゃあな。たぶん、彼女がお前のこと待ってるから」
そういって柳沢先輩は僕の背中を押す。
「いいんですか、行っちゃって」
なんていうか、物凄く場の空気が悪い。
「いいのいいの。ここからはウチの問題だし」
なんて全ての元凶っぽい人が笑う。
「行きましょう、越智君」
野球場からでた彩月さんが僕に声を掛けた。
いいのかなぁ、と思いながらチラッと野球場を見る。
茫然自失と佇むエース。どうすればいいか困っている野球部員。さぁ練習と声を掛ける柳沢先輩。
そんな混沌とした様子を眺め、我関せずといった彩月さんを追い、逃げるように僕は野球場を後にした。




