正しい世界の壊し方
俺の仕事は人を不幸にさせること。偽善者ぶるヒーローなんざとは全く違ったものだ。皆が恨む悪者だからな。幸せそうな人がいれば忍び寄って困らせて、悲鳴を堪能する。時々泣き出す人もいる。だけども俺はあの泣き顔だけはどうも耐えられない。だから泣かないように困らせているのだけど、そうすると悲鳴までも聞けなくなってしまった。どうにかして泣き顔だけを見なくする方法はないのだろうか。もしくは泣き顔すらも楽しめるような、そんな性格に変える方法でもいい。
今日はあんまり幸せそうなカップルがいたから行く道を鉄筋で封鎖した。回り道しないといけない分長い時間一緒に居られるね、と笑い合っていた。そうじゃない。あと某所の建物を爆破した。さぞかし困るだろうと思っていたら、犯罪者集団が集まって騙しの作戦を立てている真っ最中だったらしい。悪者が悪者を処分してどうする。いや、確かに狼狽える様子もつんざく悲鳴も聞けたからいいのだけども……うーん、まぁいいか。
最近いつもこんな感じで、悪者のはずなのにガキの嫌がらせじみた行動をしたり悪者を処分したりと、失敗を繰り返すうちにつけられたあだ名は、ヘタレ悪者ヒーロー。悪者なのかヒーローなのかわけ分かんねぇし、そもそも俺はヘタレじゃない!
今日平和ぼけた小さな村に悪戯をしようと行ったら小さな娘に会った。子供なんざ色んな所で見るから珍しくとも何ともないのだけど、最近では一番印象に残っている。
この娘はゲームやらパソコンやらが普及した世の中で、一人木陰の下で本を読んでいた。脚を投げ出し、黒の髪の毛を耳に引っ掛けて穏やかな横顔を見せる彼女が居る風景は、ぶち壊したくなるほど長閑だった。俺が近付くと、彼女はすっと顔を上げて優しげに人懐こく微笑んだ。
「こんにちは」と、あんまり綺麗な声で言われ、俺は一瞬怯んで挨拶をし返した。怯んでいる場合じゃない、と思って平穏を壊す作戦を実行しようとしたが、また彼女の声に阻止された。「この辺りの人じゃないでしょう? どこから来たのですか、観光?」と嬉しそうに笑いながら彼女は俺にいくつも質問を投げかける。彼女は自分が勢いよく質問責めしていることに気が付いたのか、ハッとして頬を赤らめ俯いた。「ごめんなさい、知らない人と話すことが好きで」なんて言って、照れ笑いを浮かべながら俺を見上げた。別に構わない、と笑ってやると、照れた笑顔は一瞬にして明るく、安心したようなものになった。
また彼女に会った。今日は、都会の広い図書館に居た。俺がそんな所にいた理由? 土砂降りの雨で充分不幸なのだから上乗せなんていらないだろ。あと、あんなバカみたいな雨の中、人を不幸にするために街中国中をうろつくだなんて面倒過ぎる。ヒーローと違って俺は別に呼ばれることなんてないし、適当でいいんだよ。
一つの本棚で背表紙を眺めていると、隣で必死に背伸びしているあの娘が居た。その一生懸命なのが面白くて、思わずふっと笑った。そして彼女の視線の席にある一冊の本を手に取った。難しそうな本だな、と言うと、彼女はきょとんとした後、穏やかなあの笑顔を見せて首を横に振った。「そんなことないですよ。暗くて悲しい本なんだけど、何だかとても好きなんです」と教えてくれた。ふぅん、と生返事をすると彼女は嬉しそうに、静かだけどもキラキラ弾んだ声で「読んでみてください! オススメです」と自慢げに言われた。
結局言われた通り、その本を借りて一晩で読み通した。確かに、ひどく悲しい話だ。幼少期から茨の道を歩んできた少女の救われない話。どこかで聞いた覚えがあるのだけどもいつだっけ、どこでだっけ。
あぁしまった、また彼女に宣戦布告するのをすっかり忘れていた。いつもあいつといると自分の仕事も忘れて楽しんでしまう。ただの人間だったら手放しで楽しめるのにな。
彼女はいつだって幸せそうだった。だから壊してやろうと意気込んで会うのだけどもしょっちゅう毒を抜かれてしまう。他の奴だったらそんなことにはならないのだけど。男だろうが女だろうが、子供だろうが身内でも。特に身内には何にも容赦しない。偽善者は嫌いなんだ。
彼女はまた木陰にいた。静かで穏やかすぎる小さな村。今日は楽譜を柔らかい草の上に置いてギターを弾いている。俺の足音に気が付いたのか、彼女はふと顔を上げた。
「上手だな。習っているのか」
「はい。えっと……あの、友人に」
照れたように笑う。あぁ、知ってるよ。好きな人だろう、あの切実で優しくて穏やかな男。彼女はいつも、大抵その男を好きになる。すごいよな、彼女の居る世界をどれだけ見てもほとんどそうなるのだから。
笑って、じゃあな、と手を振って背を向ける。……きっとこいつの好きな人を殺したら、死ぬほど不幸になるのだろうけども、なんでか出来ない。初めてだ、人間とかヒーローとかになって、守ってやりたいと思ったのは。
だけどもそんなことを思っても仕方がない。いくらヘタレだの悪者失格だの言われても、一応は悪者なのだから。あいつを不幸にできない腹いせに、地面を蹴りながら歩いて行った。
俺は久々に部屋に入る。あちこちで借りている狭苦しいマンション何かではなく、俺とクソ兄貴の部屋。
部屋を覆うキラキラ光る石みたいなもの。何か数が減っている気がする。もしかしてアイツ、また投げ捨てたのか。ヒーローのくせにやることがクズい。
あの子が幸せになったいくつもの世界を、壊れ物のようにそっと手に取る。アイツの手に渡ってしまわないようにしなければならない。窓を大きく開けると、キラキラと輝く空間が上に広がっていた。そしてそれらを上に向かって散らばせる。それらは明るく光りながら空へと吸いこまれていった。
部屋の真ん中に一つ石のようなものが現れた。透き通った海色の小さく綺麗なそれを手に取る。
「今度は必ず墜とすからな」
最早何度目か忘れた言葉を投げかけ、俺はその新しく出来た世界に足を踏み入れた。




