序章『軍令』
民国泰元から吹き荒び日没海を越えて皇国に冬を齎した。澄山脈を介して都に流れる寒気の季節風は皇国国民の息を白色に染め、学校帰りの軍学生や仕事終わりに愛馬を使う大人達を足早にさせた。ふと長く続く道に等間隔で並べられた黒の棒先を見上げる。
近年、皇国政府が力を入れてきた道路整備の目視できる成果である魔石灯だ。魔石灯は従来のガス灯を過去のものにするほど利便性に長け、ガス燃焼時に発生する臭いもない。
数百年前では想像もできない世界だ。
魔石灯の光はまるで並木道を彷彿とさせ。なぜ故か心が落ち着く。降りそうで降らない夜の曇り空も相まっていい。
揺らめくこともない魔石の光が一瞬揺らぎ、目の前に白い何かが上から落ちてきた。
――雪が降ってきたのか。誰もがその結論に至った。
走りだす輩もいれば一つだけの朱色の番傘を開け肩寄せ合い傘の中に入る御夫婦もいる。
曇り空のずっと向こうの空はまだ黒く明日も寒くなると誰かが言った。
季節はまだ一二月。皇国の冬は冷たくなりそうであった。
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宛
《皇国》皇軍省海軍兵部
海軍特科魔術大尉
菅野 村正
特秘 軍令
貴殿に特級任務を課す
民国に行き、同行者一名と共に動向を調べよ
現地での交戦はやむなしとする
特秘軍令として貴殿に
特務魔道具『祢々切丸』の貸し出しを許可する
紛失又は破損は認められない
命と同等、其れ以上と肝に銘じよ
(軍令の文末に加筆された覚え書き)
“菅野 この軍令に皇室が関わっているらしい
気をつけろ 三枝”
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皇暦一一〇八年 睦月 一の日 午前零零時零参分 皇国 宮処伊勢叢雲 高御座
「天佑ヲ保全シ、万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本皇国皇帝ハ、忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス。
朕茲ニ泰元国ニ対シテ戦ヲ宣ス。朕ガ百僚有司ハ、宜ク朕ガ意ヲ体シ、陸上ニ海面ニ、国ニ対シテ交戦ノ事ニ従イ、以テ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スベシ。苟モ国際法ニ戻ラザル限リ、各々機能ニ応ジテ、一切ノ手段ヲ尽スニ於テ、必ズ遺漏ナカランコトヲ期セヨ」
†
私は彼を訪ねて古ぼけた事務所を訪ねました。
一歩進むだけで埃が舞う御世辞に事務所と呼べるものではありません。
傾いた扉を開けると机に足を乗せた行儀の悪い男が部屋におりました。
視界を廻し、行儀の悪い男しか、おりませんので彼の在宅を確認します。
男は両足でバツ印を作りこう言いました。
「彼なら今日は居ないぜ、多分、有給とって頭ん中の阿呆と新婚旅行でもしてんじゃねぇのか?」
この時の私は彼の生き方がひどくうらやましくも思えました。なんと人目を気にせぬ男なのかと。
菅野 一真 「守護者の末路」 皇暦九九二年 初版のみ記された序章一部抜粋