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瞼をとじていても暖かな明るい太陽の光は視界に入ってきて、それによってクロハは目をうっすらと開けた。頭がガンガンして痛み、正直体を起こして元気に動くことは無理そうだ。
気怠そうに右腕をあげて自分の顔の上で掌を裏表くるくる回したり、開いたり閉じたりしてみる。あのとき伸ばした手は、キヨラに届いていたのだろうか。
ため息をついて力無く元の位置に腕を落とした。落ちた衝撃は柔らかな布で相殺され、どうやら自分は布団のようなものに寝かされていることに気がつく。とはいっても、頭をピクリとも動かせないから視覚的な保証はどこにもないのだが。
「おや。お目覚めのようだね、苦労人」
頭上で聞こえた声質の柔らかな青年の声。声変わりをしきっていないようなまだ少しだけ大人になりきれていないような声だった。
「どなたでしょうか…」
かすれ声でクロハは声を出した。声の主は少しだけ笑ってひょっこりとクロハの視界に顔を見せた。
「やはり声が出ぬなあ。どれ、水を飲め」
青年の群青の癖のある髪の毛が波打ち、不規則に太陽を浴びて煌めく。彼の着る見覚えのない不思議な紫の衣服が良く似合っていた。ただ、一番気になったのは目の部分で、薄汚れた布を目に当てて縛り、隠している。その布の端が首を横切り肩から垂れて流れている。
青年はそっとクロハの頭を起こさせ、自分の膝に乗せると薄く、広い朱と漆の入れ物で水を飲ませた。水がクロハの口の中に染み込み、渇きが少しだけ潤うが、口元の筋肉があまり動かずに唇の横から水が一筋こぼれてしまう。青年は空いた片手の親指でその水を拭い、クロハに水を含ませるのをやめた。そしてまたクロハをそっと布団の上に寝かせるとクロハの髪の毛を力を込めずに優しく撫でた。
「小生のことなどどうでもよい。今はそなたの回復を優先せねば」
頭を撫でられ、クロハは若干眠気を覚える。太陽の暖かな熱気に酔ったように瞼が重く垂れ下がっていき、青年の声を最後に聞きながら眠りについた。
「おやすみ」
∞∞∞∞∞
次に目を覚ましたのはあれからどれだけの時間が経った頃だろうか。不意に醒めた眠気の余韻を体に感じながらゆっくり体を起こした。
頭痛を絶え間なく感じ、やるせない体のだるさが酷く不快だったが、ぼぅっとした黒の瞳で横に顔を向けた。
「ここは……」
そこは不思議な、見たこともないような空間だった。
目の前は木製の戸が開放的に開かれており、その前の下には木の細長い板の床が横にのびて、先が外に繋がって広がっている。布団が敷かれた床は、今まで見てきたようなツルツルとしたものではなく、恐らく植物と思われるものを編み込まれて作られた、一定の大きさの長方形の板を所狭しとはめ込まれて作られた、まるでパズルのような床だった。
自分の足が空気を感じていることから、なにも履いていないことが分かる。それだけではなく、自分が身にまとう服も見たことが無く、真っ白な布を切ったり縫ったりして作ったような、一見簡易そうな服を着ていることがなんだか不思議に思えて、怪訝そうな目でクロハは腕と手を見つめていた。
「ク、ロハ…さん……?」
不意に少女の声が自分の名を呟いた。その声に反応してクロハはそちらを向いた。
そこには、綺麗な蒼や翠の淡い布で作られた自分と同じ様な服を身にまとうキヨラがいた。
「…キヨラ」
クロハが少しせき込みながら少女を呼ぶと、少女は嬉しそうに頬を赤らめながら、海の瞳から大粒の雫を垂れ流してクロハに飛びついた。
「クロハさんっ……生きててよかったですぅぅ」
「そんな、大袈裟な」
「なんて事言うんです、あれから三日ですよ?大袈裟なんかじゃありません……」
「これ、キヨラ殿。クロハ殿は病み上がりなのです。容易に飛び付いて、悪化させたりしたらどうするおつもりで?」
青年のけたけたと軽快に笑う声にキヨラはぱっと飛びつくのを止めて恥ずかしそうにクロハの布団の横に座った。
クロハは青年の方を向いて小さく頭を下げた。
「介抱感謝致します」
「気になどせずともよい。お陰で面白いものを見たからな」
「面白いもの…?」
青年はクロハの前に腰掛けると長い袖で口元をそっと隠しながら言った。
「滝を越えて来るとは…。度胸があるというか、肝が座っているというか…とにかくそなたはうつけ者よ」
「うつけ者…?」
「馬鹿者という意味さ」
青年のとても可笑しそうに長い服の袖で口元を隠しながら笑う雰囲気が今まで会ってきたような人物たちとまるで違いすぎたために、クロハは目をパチパチとさせて呆気にとられてしまった。
そこで、青年がふと思い出したように呟いた。
「おおそうだ。紹介がまだであったな」
青年はそのままの体勢で、両手を握って拳にすると、その拳を自分の膝の前に置いて軽く頭を下げた。
「小生は姓を黒川、名を二吉と申し上げる」
二吉、と名乗るその青年はそれを言い終わると頭を上げて口角を上げ、ニッと笑った。
「よ、よろしくお願いします……」
「小生のことは二吉でよい。黒川の、と呼ばれるのも慣れてはいるが、それでは味気なかろ」
「……えぇ、そうですね」
クロハは深く考えることをやめた。
「ところで、ここは闇の村で合っているんですか?」
「正確には、闇の村東派だな。小生の祖父の頃からこの村は東西二つに分かれ、それぞれで争うようになってしまった。その東側がここ」
「では西側は?」
「ここを西にずっと行くと、東西を分かつ塔がある。そこが境界だ。そしてそこが我ら闇の村の原点闇の精霊の祠…」
二吉の笑う顔は、気がつけば暗く斜め下を向き、静かに笑う口元は寂しさを感じさせた。
「小生には夢があってな、いつか東西の村人同士を元の仲に戻したいのだ。この世生をうけて産まれて、その時から変わらないことだが、だからこそ小生は何とかしたい」
二吉は座り方を変えて膝を折るように座り、両手の指先をそっと膝の前に添えて深く深く頭を下げた。額はその両手の指先に当たる。
「押し付けてしまうようだが、協力して欲しい。頼み申し上げる」
クロハは声を出さない。沈黙に冷や汗を二吉はながし、キヨラもどうするのかと不安げに、そして何か言い足そうにクロハと二吉を交互に見る。
「そんなの………」
クロハがようやく言葉を発した。
「断れないじゃありませんか」
二吉は嬉しそうに頭を上げて半分を隠した顔をクロハに見せた。
「こんなに介抱してもらっておいて、命の恩人の頼みを無碍にするなんて失礼ですから」
キヨラが喜びを隠せないようでにこやかに笑った。
「幸い時間もあります。それまではお手伝いしましょう」
「感謝至極に存じ上げる」
二吉は再び頭を垂れ、感謝の言葉を伝えた。堅苦しい、聞き慣れぬ言葉の言い方に、若干可笑しそうにキヨラは笑い、クロハと視線を合わせた。
「すまぬな。他の者たちにも堅いとよく注意を受けるのだがこればっかりは小生の性分でなぁ」
二吉は顔を上げてまた恥ずかしさの入り混じる笑みを浮かべた。
その時だった。
「二吉様っ!」
可愛らしい少女の声が鋭く二吉の名を呼んだ。
それからとたとたとた、と細かい足音がなると開かれた扉の右側から幼げのある顔の少女が青みがかった腰まである黒髪を揺らして姿を見せた。酷く焦っているようで、少し息が切れている。
そんな少女の方を向きながら二吉はやれやれとでもいうように小さな溜め息をついた。
「これ。廊下をはしるなどはしたない。一体どうしたのだ」
「あぅ、申し訳ございません。その、ついにこの近辺にもアレが出たそうなのです…」
「アレ?」
少女は小さく頷いた。
「“紅の人斬り”が…」
新しい登場人物が出ましたね!!
二吉さんはこの作品を書き始めたときからずっと出すのを心待ちにしていたキャラなんです。
みなさん、是非二吉のことは「にきっちゃん」と呼んであげて下さい(笑)