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後ろで轟々と流れる滝の音を聞きながら、キヨラは滝の向こうの明かりを頼りに周りをぐるりと見渡す。
「こんな所に洞窟が……」
「ビンゴですね」
洞窟の奥の暗闇をじっと見つめながらクロハが言った。まるでその先は重力を無視した穴のようなもので、キヨラはひどく恐ろしく感じた。
それに気がついたか否か、クロハはキヨラを励ますかのように肩を軽くたたいた。
「とにかく進みましょう。ここまで来たら後には引けないですよ」
キヨラは先程の恐怖が段々薄れていくのを感じながら嬉しそうに笑った。
「はい!」
奥に進む度、静寂さが高まり、定期的な水の雫が地へと垂れていく音が洞窟の中で反響して響きわたり、緊迫した二人の感情を逆撫でしていく。
そんな中で二人は緊張故か、言葉を発することもなく黙々と歩いている、そんなときだった。
ぐぎゅるるるる…。
明らかに場違いな音。呆気に取られたキヨラの顔が歪み、小さく吹き出した。
「ぷっ……」
「失礼ですね。先程から何も食べていないんですから仕方ないじゃないですか」
「それにしてもですよっ…。緊張が一気に緩んじゃいました」
「そうは言っても、そろそろ、限界が…」
キヨラは肩からぶら下げていた袋を少し探った。曖昧な記憶だが、食料が余っていた覚えがあったのだ。
「えっと、確かここに…」
袋の中から、昼間に採った果物を取り出すと、クロハへ向けて差しだそうとした時だった。
『キィキィィー!!』
謎の鳴き声と同時にキヨラの持つ果物の感触が消えてしまった。キヨラはその生物を目で追うと、それは黒い翼を持った生き物で、果物を手にぶら下げながら飛んでいくのが見えた。
「あっ、ま、待って!」
キヨラが思わずその生物を追いかけようと足を踏み出した。クロハがキヨラの声に反応して後ろを振り返った瞬間、クロハの顔が強張り、キヨラに向けて手を伸ばした。
「キヨラ!」
その手がキヨラの腕をつかむと同時に、キヨラの体が宙に浮いた。謎の浮遊感を心に感じながら、キヨラはようやく自分が落下をしていることに気がつく。
クロハを道連れにしながら。
「ク、ロハ…さん」
薄れる意識の最後、クロハの必死そうな表情を見て、キヨラは不可思議な満足感で心を満たしながら目を瞑った。
∞∞∞∞∞
ぴちょん。
水がキヨラの頬を濡らし、その滴はキヨラの肌に溶けるように吸い込まれて消えていく。その微かな感触に、キヨラは目を開けた。
「………ここ…」
真っ暗闇で何も見えない。確かに分かるのは、ここはまだ洞窟の中で、自分は奇跡的に垂れた水を使って体の傷を癒したということだ。
小さくほっと安堵したのも束の間、クロハの存在を思い出して消すことのできない痛覚に体を貫かれながらも少し体を起こすと、自分を包む何かに気がついた。
「え………………………」
それは暖かさの消えかけた柔らかい人の腕とボロボロの布。
「嘘、嘘ですよね……?」
軽くその腕を揺するが、その人物は動かない。キヨラはひどく焦りながら手元を探る。
「く、クロハさん……?」
その人物の名を呼びかける。だが、答えは返ってくることはなかった。それがキヨラにさらなる不安と恐怖を煽った。冷や汗を顔にも背中にも伝わせ、体がどんどん冷えていくのを感じた。それはそれは事実的な意味でも感覚的な意味でも。
「わ、私のせいだ……。私が、私が追いかけなければ…」
ボロボロとこぼれる涙を拭いながら呟く。その声からは絶望の色がみえていた。そのとき、
ぐぎゅるるるる……。
キヨラは呆気にとられて呆然と今の音を聞いていた。緊張感のない、先程聞いたばかりの音。クロハの腹の音は、彼女に安心感と安らぎを与えた。
キヨラは大きく長いため息をついて少しだけ笑ってまた涙をこぼした。
「よかった……」
安堵と同時にはっとする。このままクロハをこの状態にさせておくことがどれほど危険なのか。クロハは自分のために身を挺して守ってくれたのだ。
「今度は、私が助けます!」
キヨラはすぐそばの水だまりに手を伸ばし、勢いよく水に手を浸けると、再び体を液状化して暗い闇の中に紛れていった。
∞∞∞∞∞
暗闇は、嫌いだった。
今まで独りだったせいだろうか。
でも、クロハさんと少し旅をして、独りじゃない夜を知って、私はようやく人に近づけた気がするの。
暗闇を避けてたかつての日々は、毎日が暗闇だったから。
あの日から過ごしてきた幾度の夜には、常に側にクロハさんがいてくれて、きっと、もう独りぼっちの夜には戻れないんだろう。
洞窟を私は進んでる。
道の先を見通すことはできないけど、今の私は水だから、体を変えてどこまでも行ける。水さえあれば。
ふと、私は止まった。
感覚的に、何か恐ろしいものが近付いてくるような、そんな冷ややかな緊迫感。そして、そのものが見えてきた。
緋の二つの光…。
生唾を飲み込んで、その何かの存在を感じつつ止まっていた。
大丈夫。私は今水だから、誰にも気付かれることはない。だからせめてどういうものなのかを見届けたかった。
そのはずだったのに……。
「 」
私は全力で駆け抜けた。
ダメだ。
これに関わってはいけない。
私は先程さっきのものに言われた言葉の恐怖に心を支配されながら急いで出口へと向かった。
安易な好奇心は身を滅ぼす。
私はそれを今痛感していた。
確かに私をしっかりと見据えたあの二つの緋が頭から離れなかった。
お一人かい?お嬢さん
私の姿が、見えていた。
夜はお好きですか?
何も見えない闇は、相手も見えないから安心できるのであって、自分には見えないのに相手には見えているとしたら……。
人は他者より優位に立つことで安心できる生き物ですから、劣位に立った途端に余裕を無くします。
なんて真面目なこと言い出して自分が一番戸惑ってます。トマトってます。
まぁそんなわけで、キヨラは無事洞窟出られるのでしょうか。クロハはどうなるのか。緋の光は何なのか。次回ご期待ください。