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その日の午後。施設から出て村の中心部を臨むクロハと、横で船の船長と会話をしているイクリの姿があった。それは、クロハが村の中心部へ観光に行きたいとバイブレーダーを鳴らしたからであった。若干仕事に乗り始めていたイクリにとっては、それを中断させられるというなんともはた迷惑な呼び出しだったのだったが、ムラサメによって仕事部屋からつまみ出されてしまい、現在の状況に至る。
「クロハサン。はい、これ乗船許可証ッス。これがないと帰って来れないんでなくしちゃダメッスよ」
イクリからクロハへ手渡された切符は、風に拭かれてどこかに飛んでしまわないようしっかりとしたプラスチックの造りとなっていて、それは切符というよりかはカードと呼ぶにふさわしかった。
「分かりました。因みに、イクリさんはなくていいんですか?」
「ん?あー、俺ッスか。ここの職員はこの首に下げた名札が許可証の代わりッス。ただ、一般の方と同じように乗船記録は残るッスけどね」
そして、イクリはクロハに船に乗るよう促した。
船はそこから村の中心部へ繋がっている。水路のようにウキが浮かべられ、それに沿って船が進むことになっている。船は一度に多数の人が乗れるよう中型の遊覧船で、天蓋がついているだけのとても見晴らしのよい船であった。
そこにクロハとイクリが乗って、ようやく船が動き始める。その船には二人以外誰も乗ってはいなかった。イクリ曰く、この船には一般人の殆どが乗ることはないそうで、基本的にルンペンの送迎、イクリたちのように部署で働く者たちが村の中心部へ向かうためのものらしい。
船から見える景色は、どこまでも続く水平線の上に大きく佇む街がよく映え、美しかった。昼の太陽の日差しが水を照らして反射させることできらきらと光り輝かせている。
「随分水の色が澄んでいますね。キヨラの所でも思いましたが、水の中の魚がしっかりと目視できます」
「そりゃまぁ、水に対しての意識の高さはどの村よりも優れていると自負してるッスから」
かなりうれしそうに胸を張るイクリをクロハは無表情のまま見つめていた。
船はそんな二人を乗せて進む。
∞∞∞∞∞
「イクリさん、次こっちのお店行きましょう」
「ハァ!?あんたこれでもう15件目うぇ……」
水の村はそれなりに美味しい料理店やスイーツ店が多い。それ故にクロハは現在目をきらきらと輝かせて、イクリを連れ回しながら店を次々と回っていった。
「アンタどんだけ食うつもりッスか!」
「宿代がかなり浮いたので、折角だから食べ物に回すことにしたんです。それにしても美味しいですね、この串肉。もう10本追加で」
その言葉にイクリはぎょっとする。流石にそれはない。ありえない。とクロハの肩を揺さぶった。
「いやいやいやいやいやいや!!もう十分に食べたじゃないッスか!他へ行きましょって!さっきから食べ物しか食べてないッスよ!」
クロハはずるずると無理矢理イクリに引きずられてその店を後にした。
∞∞∞∞∞
村中に入り組んだ水路を沢山のゴンドラと呼ばれる細長い船が行き来する。時々水路を横断ためのアーチ型の橋が架かり、その上を老若男女が楽しそうに行き交い、その下をゴンドラがすいすいと過ぎ去っていく。これのすごいところは、ゴンドラやそれを漕ぐ人(大抵は立って漕ぐ)が引っかからないようにするための高さを考えてあるところであり、そのおかげでどのゴンドラも余裕を持ってくぐることが出来る。
そんなゴンドラに食べ物を抱えて食べるクロハと、クロハ程ではないが幾つか食べ物を持つイクリが乗っていた。
「水路を船に乗って進むなんて村は初めてです。本当に面白いですね」
「そうでしょうね。村という物は本来陸の上にあるものッスから、こういう水の上に浮かんでいたり、移動方法が船である村はここぐらいのもんじゃないッスか?」
そう会話をしているだけでも、横を走る少年がクロハ達へ嬉しそうに手を振る。イクリはいつものにこにこ顔で少年へ手を振りかえした。それをクロハがじっと見ていると、それに気が付いたイクリがおかしそうに笑う。
「どーしたんスか。アンタも笑いながら手を振ればいーんスよ」
クロハはにっと白い歯を見せて笑うイクリから思わず視線を逸らす。
「僕は、笑顔とは無縁なもので」
「なーに言ってんスか。表情筋をちょっとばかし上に上げるだけッス。それに、アンタだって一度や二度は笑ったこともあるでしょうに」
「………僕はいいんです。これで」
クロハはイクリの方など見向きもせずに、ゴンドラから手を出して水の中に手を入れる。ひんやりとした水が、じんわりとクロハの体温を下げていく。それがどうにも心地よく感じた。
「この村はね、笑顔の村ッスよ。ここから道を行く人に手を振れば振り返し、挨拶をすればこだまのように返って来て、時には話だってしちゃうッス。皆笑顔で、ね」
イクリはクロハの方を向き、にこやかに笑った。クロハは手を水の中に浸けたまま、今度はしっかりとイクリの方を見て言う。
「………シミズさんとムラサメさんはまるで笑顔を感じないですけど」
「あはは。あの二人は別ッス。それに、あの二人には他人には話せない何かしらの使命を持っている気がするんス。余裕が未だに持てないんスよ、その使命を全うすることに必死で」
そして、イクリもクロハの真似をして水の中に手をつっこみ、小さく呟く。
「やりたいことがあるのは、俺も…………」
イクリは水から手を出して軽く手を振って水を切った後、クロハに尋ねる。
「さて、次はどこ行くッスか?」
「何かおすすめは?」
食べ物を口にほおばりながら逆にイクリに尋ね返すクロハに若干苛立ちを覚えるイクリであった。
「そッスね~……。そういえば、この村は音楽も盛んなんスよ。音楽の村程じゃないッスけど、なかなか上手だと思うんスよね。どうッスか?」
「音楽ですか……」
「音楽とは無縁そうな顔してるッスよね!」
「いちいち失礼ですよね、あなた。これでも音楽の村には行ったことありますよ。ルンペンですから」
イクリがとても驚いたような顔を見せる。クロハの顔は布で見えないし、表情もないが、雰囲気が心なしかムッとしている。
「そこの村で大体の楽器の吹き方を教えてもらいましたし、飽きるほど音楽を聞きましたから」
「へぇ!ってことは音楽に関わったことがあるってことだ!はい決定!行きましょ」
「突然すぎません?まるで食べ物なんかもう見たくな………」
「そんな訳ないッスよー!」
クロハの言葉に被せるようにして言うイクリは、クロハの言っていたとおり、もう食べ物なんか見たくなかったのであった。
∞∞∞∞∞
しばらくして、大きな大きな建物の前に二人はたどり着く。そこはイクリ曰く“大聖堂”であり、この村で数少ない楽団が活動している場であった。
それに、もうすでにそこからヴァイオリンなどの弦楽器の音や木管楽器の優しい音色、そして時折金管楽器の軽快な音楽が漏れ出している。
「演奏、もう始まってるッスね。こっそり入っちゃいましょ」
大聖堂の重い扉をゆっくり開くと、広い部屋に細長い大理石の椅子がきれいに並べられており、一番奥にパイプオルガン、そして美しいガラスで作られたステンドグラスが設置されていて、射し込む光を青に染めながら神々しく輝いていた。
パイプオルガンの前に楽団が綺麗に並びながら演奏をしている。周りの人々は静かにその音楽に耳を傾けながら椅子に座っていた。二人はこっそりと一番近くにあった椅子に座る。
管弦楽器の音は実に約一年ぶりに聞いたと、珍しくクロハも懐かしく感じていた。あの頃は、旅に出始めたばかりで右も左も分からないような、そんな頃だったとか、あそこで随分世話になったあの少女は今どうしているのかとか、そんなことがクロハの脳裏をふとよぎる。今思えば、初めて訪れた村があそこでよかったと心底思う。運命という物は本当に不思議なものだ。ここで再び音楽と相見えることにことになるなんて、きっとあの頃は思いも付かなかっただろう。そんな今までのすべてが今という現在に直結していることが、運命と呼ばずになんと呼ぼうか。
はっと我に返ると演奏が一曲終わってしまっていた。すると、イクリがそっと聞いてくる。
「どっスか?ウチの演奏」
「ウチのって……別にアナタが作ったわけでもないのに…」
「まーいいじゃないスか。で、どーなんスか」
「そうですね……。とてもお上手だと思いますよ?ただ、やっぱりあそこの村には足元にも及びませんね」
感想を聞いたくせにイクリは不服そうにため息を付いた。
「ため息なんてつかないでくださいよ。下手だとは言って無いじゃないですか」
「そースけどっ!」
「さ、それよりそろそろ帰りましょうかね。もう十分、満足しました」
クロハの雰囲気が少しだけ優しくなる。それを感じ取ったようであるイクリが気付いてクロハの方をふと向き、目をパチパチとさせた。
「なんか……吹っ切れたみたいな顔してるッスね」
「そんな訳ありませんよ」
否定するクロハを見て、少し笑いながらイクリは正面に向きなおし、ステンドグラスを見上げる。
「あそこのステンドグラス、実はある物語が描かれてるんスよ。中央の少年に、見覚えないッスか?」
クロハもつられて見上げると、イクリに言われるまでは気が付かなかったステンドグラスの模様を見た。
そこの中央に少年が手を胸の位置でくんで祈りを捧げたような絵がある。その少年の髪の色は白で目の色は他のどのガラスよりも深く鮮やかな蒼色。そう、彼はキヨラと似た姿をしているのだった。
「あれは…?」
「この村で最初の水の呪い子、シグレ。ムラサメ先輩のご先祖様ッス」
クロハは少し驚いたようにぱっとイクリを横目でみる。イクリはステンドグラスから視線を外さずに会話を続けた。
「この村では自分の名前は基本的にカタカナで書くんスけど、ちゃんとその名前には漢字があるようにする風習があって、そしてなおかつ、家系によって代々引き継ぐ漢字を一文字名前の中に入れる必要があるんス」
「例えば、イクリさんであれば……」
「俺は海石。代々海の家系ッス。ムラサメ先輩は村雨で雨。シミズ先輩は紫水で純粋な水を受け継ぐ家系ッス」
「時雨で雨の家系、ということですね」
ここでようやくイクリがクロハの方を向いた。
「流石、勘が鋭いッスね。キヨラちゃんはというと、清良と書くんス。恐らく清という漢字を受け継いでいる家系だと思われますが、未だに親は発見されるに至っていないッス」
「シグレという少年も、あそこで監禁されていたのでしょうか」
「いや……」
イクリは首を振る。
「彼は水の精霊の移し身とされて奉られていたんス。最初はね…」
最初は…、とクロハはイクリの言葉を反復し、言葉を続ける。
「ということは、最終的には…?」
「彼は何故か雨乞いをして二週間雨を降らせ続け、村人の怒りを買って殺されたッス。でも、彼を殺したせいで、この村の水はすべて干上がり、一度この村は死んだ」
「そして、キヨラのような人々が生まれた、ということですか」
「そうッス。どうやら水の呪い子がいればこの村の水は尽きることはないので、村人たちはこれを利用して、彼女たちをあそこに」
「ならばきっと…」
クロハは小さく鼻で笑う。
「水の呪い子として産まれた彼等は水を干上がらせる以上の不満があることでしょうね。それに、シグレという少年も…殺されるなんて、たまったものじゃなかったことでしょう」
「でも、彼も彼ッスよ。何故雨を降らせたのか、今も謎です。少なくとも、それがなければ現在という不幸も存在し得なかった筈ッス」
クロハはこの話を聞きながらこう思う。
この村は水の村でも、笑顔の村でもない。
悲劇の村だと。
∞∞∞∞∞
帰り道。太陽が傾きはじめ、直に空を朱に染め上げていくだろう。二人はゴンドラに乗りながら、今日のことについてを話していた。いい雰囲気で今日という日が終わる。それをクロハも、イクリもそう感じていた。
だが、それは唐突に終わりを告げる。
「イクリさん。先ほどから騒がしいようですが、どうしたのでしょう?」
「さぁ?俺にもさっぱりッス。でもこの騒ぎ方は……」
「?」
イクリが不自然さに少し感づき始めたとき、一人の青年が二人が向かう方とは逆へ向かって走っていく。イクリはその青年にあわてて声をかけた。
「ちよ、あの!何があったんスか!」
青年はイクリに気付いて駆け足をしながら止まる。彼は興奮気味に言った。
「あっちで水の呪い子が“穢れ流し”をしているらしい!」
そう告げると、また青年はそちらへ走っていってしまった。青年が消えてからクロハは穢れ流しについて問おうとイクリを向いたとき、イクリの表情は驚きに満ちていた。
「これは……少々まずいッス…。アンタ、見に行く勇気は持ち合わせてるッスか?」
「…………はい」
水の呪い子という単語を耳にするだけでキヨラが関係していると即座に感づく。勘の良いクロハならば、こんなことはすぐに分かるはずだ。だから、イクリは尋ねたのである。だが、クロハは肯定した。
クロハの返答を聞き、イクリは頷いてからゴンドラを漕いでいた人物に話しかける。
「すいませんが、ゴンドラを戻してくださいッス。広場まで」
∞∞∞∞∞
広場というのは、ゴンドラがいくつも止められている広い水路のことで、別の水路へ行くための分岐点にもなっている。さらに、その広場の周りにきちんとした歩道もあるため、通行人などもちらほらと伺えた。
そんな場所も、今は沢山の人が詰めかけているせいで船を広場内に入れることはおろか、歩道にも人だけで埋め尽くされてしまっている。おかけで二人はどうすることもできずに船の上で立ち往生してしまっていた。
「うーん…。これは中には入れなさそうっスね。こうなると、どこからか道を探さないと…ってアンタどこ見てるんスか」
クロハは建物の屋根をじっと見つめている。イクリは嫌な予感がとてもしていた。そこで、クロハが口を開く。
「あの、家の屋根って登っても怒られませんか?」
イクリは嫌な予感が的中したと心底そう思った。だが、渋々と返事を返す。
「まーいーんじゃないスか。何かあれば俺が怒られてやるッスよ」
「決まりですね」
クロハはイクリの方を向き、彼の金色の目を見つめた。クロハの瞳は自信に満ちている気がした。
クロハはイクリの手を取ると歩道に跳び、路地裏へ入り込んで外階段を駆け上がり、カンカンと金属の音がリズムよく鳴るのが滑稽だった。一番上まであがると、今度はクロハは手すりに足をかけて勢いよく屋根によじ登った。その華麗な動きにイクリは圧倒されてポカンとしていたが、クロハが屋根の上からいつもより大きな声でイクリを呼んだ。
「イクリさん!早く!」
「あぁ、ハイハイ。今行きますて」
∞∞∞∞∞
そこから見える光景は、たくさんの人々に囲まれた小さな船の上に一人の人影が見える。特徴的な真っ白な髪の少女…つまりはキヨラだ。
それに、キヨラにむけて時々石や花瓶や瓦などが投げられる。それが稀にキヨラに当たるが、彼女は何も声を漏らさずにただただ俯くだけであった。
「これは一体…?」
「これはッスねぇ……」
イクリが息を切らしながらクロハの横にいた。
「穢れ流しと言われる、キヨラちゃんに、対して、自分の穢れを預け、彼女を水に流すことで、自分の罪を、許してもらうという、伝統的行事、ッス……」
イクリはそれから何も言わずにキヨラの方を差した。どうやら、だまって見てろ、という意味のようで、クロハは視線をイクリから外して広場の方へ移動させた。
しばらくすると、キヨラに対して投げられる物の量が格段に上がり、石の雨が降り注ぐ。それが止んだとき、キヨラは透明な水を頭からだらだらと流しながら座り込んでいた。そこへ、一隻のボートが近づく。その上には衛兵の恐らく男がおり、その男はキヨラの乗るボートに乗ると、腰から下げた剣をスラリと抜く。そしてそのまま、標準をキヨラに合わせ、勢い良く振り下ろした。
ちょっと長くなってしまいましたー。
そのせいで最後の方若干テキトーになってます。そう、疲れたんです(;-_-)=3(飽きたとも言う)
いつも話を書くとき、話の筋を大まかに決め、ここからここまでを一つの話にしようとしてから書くようにしてます。
だからなのでしょうが、一話一話書きながら内容を増やしているので量が違っちゃんうですよね。
という執筆工程の暴露でした、っていう…。
そしてじらすかのようなこの話の切り方!これはちゃんと計画のうちですので、長くなったから二分割してしまえ!っていう訳じゃないです(笑)
そう言うわけで、続きはまた来月ですね。
よろしくお願いします!