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夕食をいただき、その後も村の話をしていたのだが、キヨラは眠気に耐えきれず、クロハが気が付けば、彼女は眠りについてしまっていた。
クロハはキヨラの肩に自分のコートをそっとかける。その時、ふと、クロハが笑ったような気がした。
だが、不意にかつん、と音がする。それは窓から聞こえたようだった。ばっとクロハはそちらを見て、しばらく考え込むようにそちらの方をじっと見つめていると、再びかつん、という奇妙な音が鳴った。クロハはそっとドアに近づき、少しずつ開く。
外には真っ暗な暗闇が広がっていて、中は電気が通っているとは言え窓は木で出来た外側の窓によって光が漏れることを防いでしまっている。クロハがドアを開けたことで、ようやく外に光が射し込んだ。
そのままドアを開いていくと、目の前に誰か立っていることが分かった。ドアをすべて開いたとき、その人物の姿がはっきりと分かる。
「………あなたは、一体…?」
その人物は、闇にとけ込めるよう全てを真っ黒な服で身を包んでいて、顔には誰か分からないようにするためか、ガスマスクを被っていた。
『オマエはダレだ』
不自然な機械音の声。
「…僕はクロハというルンペンです。あなたは誰ですか」
その人物はその問いには答えずに勝手に話を進めていく。
『カノジョはヒトり。ヤサシくシテほしイ。コレ、カノジョにワタす』
すっとその人物は白い布のかけられた籠を手渡してきた。クロハは警戒をしながらその籠を受け取り、布を少し上げて中を確認する。
中には美味しそうな果実や肉、卵など、食材が入っていた。
『コンシュウのぶんワタす。ワタシのこトハ、ワタシとオマエのヒミツダ』
「…?どういうことでしょうか。つまりあなたにはキヨラ、または村の方々に自らの正体を秘密にする必要があるってことですよね」
『ミズのノロいゴはアわれダ。オマエがスクえ。タのんだゾ』
「“みずののろいご”…?キヨラのことですか?」
たくさんの疑問をクロハに与えたというのに、その人物は何も言わずに身を引き返してゆく。とっさに追おうとしたクロハははっとして立ち止まる。こんな場所で道を間違えたら最後、二度と戻ってこれないことを悟ったからだ。そう考えたときには、先ほどの人物の姿はもう、闇にとけ込んでしまったかのように無くなっていた。
∞∞∞∞∞
翌朝のことである。
「せ、折角お話をして下さったというのに寝てしまってすみませんでした…。いつもはここら辺が暗くなったら直ぐに寝てしまうので、あんなに遅くまで起きていることなんて初めてでして……。本当にごめんなさい」
キヨラはクロハに朝食を差し出しながら言う。恥ずかしいのか、俯いていても頬がほんのり赤く染まっていることが分かる。
「別に、そんなこと気になんてしませんよ。むしろ僕が謝るべきですよね。長々と話し込んでしまったようですみません」
クロハはパンを手に取りながら言う。そして、それをかじりながらふと昨夜のことを思い出す。
夜に現れた謎の人物、そいつが言った“みずののろいご”とやら、キヨラを救えという一言。本来であればそんなことを気に止めなどせずにさっさと村を出て行ってしまいたいのだが、クロハにはひとつだけ、心当たりがあった。
「“みずののろいご”……」
復唱するようにクロハが小さく口にしたとき、パリーンという何かが割れる音。はっと顔を上げると、キヨラが真っ青な顔で手に持っていた皿を床に落としていた。そして、急にガタガタと震えだし、腰を抜かす。
「なぜ、あなたがそれを知っているの…?」
「え………?」
「あなたは村の人間じゃないんでしょう?なのに何でそれを…!」
そして、ふっと思い付いたような顔をする。
「あなたは、もしかして村から派遣されてきた執行者…?また私を殺したいの?」
「また…?キヨラ、あなたは……」
キヨラは我を失って床に割れた皿を拳で叩く。
「もういいじゃないっ!!いっそ殺せばいいじゃないっ!!どうしてそこまでして私をっ……」
その時だった。クロハはキヨラの腕をつかんで床を殴ることを止めさせ、もう片方の手で彼女の頬を優しく撫でた。キヨラの涙のたまった海のような瞳が、クロハの顔を映す。
「落ち着いて下さい。僕は村の人間ではありません。先程の言葉は、そのー……、ここにくる前、噂を耳にしただけです」
「それは…本当ですか?本当に、村の人間じゃないんですね?」
「我が故郷の証、印に誓って、僕は村の人間じゃないです」
ですので……とクロハは言葉を続ける。
「この皿をどうにかしましょう」
∞∞∞∞∞
皿の破片を箒で掃きながら、キヨラがまた俯きながら言う。今度は、全てに絶望したかのような顔だった。
「見苦しい所をおみせしました。そして、バレてしまいましたね。私が、化け物だっていうこと」
「それは……、ここに溜まった水が関係したりしますか?」
その問いに、キヨラは小さく頷いた。
「そうですね。驚くかもしれないですが、私の血は、水なんです」
「…?」
「私は陸で血を流すと、無色透明な液体が流れ落ちるんです。でも、その血を水の中に落としたとき、本来の姿である赤い血に変化します。今、クロハさんが雑巾で私の血を拭いて下さってますが、それを川の中に浸けてみて下さい」
クロハはチラリと拭いた面だけ濡れた雑巾を見てから、横に流れる川に浸けた。
「これは、血……」
雑巾からは先程とは違う、人間らしい赤い血が川に流されていく。
「人の体の約60%は水だと言われていますが、私は98%が水です。これはクラゲと呼ばれる海の生き物の96%をも上回ります」
いつ近づいたのか、横にいるキヨラが水でびっしょりと濡れた手を水の中に浸ける。水の中で赤い血がさらさらと下流の方へ流されていく。
だが、変化はそれだけではなかった。キヨラは手を水から取り出し、クロハへ見せる。
「見て下さい。それに加え、私の体はどんなに怪我をしようとも水に漬けるだけで元に戻ってしまう、自己再生能力が備わっています」
キヨラの手は、先ほど起きたトラブルを微塵も彷彿とさせないきれいな手に戻っていた。
驚きで何も言えずにいるクロハを見て、キヨラは苦笑した。
「何も言わずにいて、すみませんでした…。言ったら、また嫌われちゃうと思って…」
「………そうですか。みずののろいご、というのは、これが理由だったんですね」
「はい。この村で一人は生まれる、水に呪われた忌み子。それが私です。本当は、あなたのような方を見つけたらすぐさま村に連絡を入れろと教えられていたんですが、誰かと話したくて」
キヨラはまた、すみませんでしたと呟いてクロハに頭を下げた。
「今から村に連絡を送ります。直ぐに村から衛兵が派遣されてくるでしょう」
キヨラはそういって棚にあるビンを水路に投げ込む。ビンはプカプカと浮きながら水に押し流され、下流へと進んでいった。
ビンが目を凝らしても見えなくなった頃、クロハはキヨラに尋ねてみる。
「もしかして、あなたの体質に精霊が関わっていたりしてますか?」
「え……?なぜ、そう思うんです?」
クロハを見つめ返すキヨラをじっと見ながら、彼は思う。
(彼女がここで無理に知る必要はどこにもない。ましてや自分の過去をここで無闇に晒してしまうのは危険すぎだな……)
「いえ。忘れて下さい」
「………?」
クロハはキヨラから視線を外した。
∞∞∞∞∞
しばらくして、キヨラの家のドアをコンコンと叩く者が来た。
「はい」
キヨラがそれに気づいて返事をすると、深緑色の制服を着た男たちが三名ほどドアを開けて部屋に入る。
「此方はどうやらここら辺を迷った方で、クロハさんと言うようです」
「初めまして。クロハと言います。キヨラさんに空腹で死にかけていたところを助けていただきました」
コートと布を着直したクロハが彼らに一礼をする。すると、男たちはお互いで顔を見合わせ、リーダー格と思われる男がキヨラに近づき、勢いよく平手打ちをした。高い破裂音と共にキヨラが床に崩れる。
「以前から言っていることだが、ルンペンが来てしまったならば早く連絡をよこすように言ったはずだ。それなのに、お前は彼を介抱して連絡を怠り、それに加えて料理を振る舞ったのか」
キヨラは小さくはい、と呟く。
「立て。その状態で発言をする事を許した覚えはないぞ」
その言葉を聞いて、キヨラはゆっくり立ち上がった。頬は叩かれたせいで赤く腫れ上がり、口角は切れて水が垂れている。
「待って下さい。彼女にはなんの罪もないですよ」
「あなたは黙っていて下さい、クロハ殿。私達水の村の住人と、これとの問題です。あなたには関係ない」
それを聞いたクロハはどうやら気分を害したようで、珍しく不服そうな顔を見せながら布を鼻がすっぽり隠れるぐらい上に上げて黙り込んだ。
「後で覚悟しておけ、呪い子」
「……………はい」
今にも途切れてしまいそうな細い声。昨日とは全然違う、弱い少女がそこにいた。
「さて、クロハ殿。行きましょうか」
クロハは何も言わずに小さく頷いた。
ようやく一歩進んだ感じですね。
次回は村の中心に舞台が移ります。一応キヨラは出て来ない予定です。そして、登場人物がそれなりに増える予定です。




