お姫様とグリーンさん
血の表現はありませんが、軽く残酷な描写がありますので、ご注意ください。
一国の姫である私は、誰にも内緒で、夜遅くにある人にこっそり森で会っていた。十五の私よりもいくつか上だと思うけれど、その人は年齢については一度も教えてはくれなかった。
「あっ!グリーンさん!こんにちはー!」
「……パール様、また来たんですね」
グリーンさんはいつもと同じように、大きな木の隣で座っていた。
グリーンさん、というのは、私が勝手に付けた名前。髪も目も緑だったから、というのが理由だ。ちなみに私のパールという名前は、お父様が付けてくれた名前で、宝石のように綺麗で大切だから、というのが理由らしい。私もとても気に入っている。
「えへへ、また抜け出して来ちゃった。だって、早くグリーンさんに会いたかったんだもん」
「そう言ってくれるのは嬉しいんですけど、見つかったらどうするつもりなんですか?」
「大丈夫だよ!秘密の抜け穴から出て来てるもの」
「そういう問題じゃありません。一国のお姫様が誰にも知らせずに男と会ってるなんて知られたら、国中大騒ぎになりますよ?」
「もー!そんなことより、早く話そうよ!今日はグリーンさんに話したいことがいっぱいあるのに!」
「……はぁ、分かりました。話して下さい」
「やったー!」
グリーンさんと出会ったのは、一年前のこと。私が夜眠れなくて、森を散歩している時に初めて出会った。その日からほぼ毎日会いに来ているけれど、グリーンさんは本名も教えてくれない。そんなに私は信用されていないのだろうか。
「今度ね、私に弟が出来るの!名前はまだ決めてないんだけどね」
「へぇ、そうなんですか。楽しみですね」
「うん!グリーンさんは兄弟とかいないの?」
「いませんよ。人と会うのは久しぶりですしね」
「そうなの?……寂しくないの?」
「寂しくありませんよ。パール様が会いに来てくれますからね」
グリーンさんは目を細めて微笑んだ。
グリーンさんはあまり表情を変えない。いつも微笑んでくれるから私も安心して話せるけれど、泣いている所とか怒っている所とかは一度も見たことがなかった。グリーンさんから話題を出してくることもなかった。ずっと、私が話しかけているだけ。鬱陶しい、と思われているかもしれない。いやだ、そんな風に思われるのは。
「……たまには、グリーンさんの話が聞きたいな」
あまり期待せず、グリーンさんの言葉を待った。きっと、いつものようにはぐらかされて終わるだろうと思っていた。けれど、返ってきた言葉に私は驚かされた。
「……この前、ここにパール様と同じくらいの女の子が来たんです」
「え?」
私は目を丸くした。まさか、グリーンさんが話してくれるなんて思っていなかったから。
私はグリーンさんの次の言葉を待った。
「その子は僕を見た途端、驚いて逃げて行ってしまいました。……ちょっとだけ、悲しかったんです」
グリーンさんは、そう言って初めて悲しそうに目を細めた。こんな顔のグリーンさんは初めてだった。
「だから、パール様が会いに来てくれて、本当はすごく嬉しいんです。城になんか戻らないで、ずっとここに居てほしいくらいなんです」
「……私も、グリーンさんとずっとここに居たい。でも、お父様もお母様も、みんな心配するから、ダメなの。でもそのかわり、毎日来てあげるから。毎日いっぱい話そう」
「……」
グリーンさんは何も喋らない。
何も喋らないまま、時間だけが過ぎて行った。
気が付くと、空が明るくなり始めていた。
「あ……私、そろそろ帰るね。また、夜に来るよ」
「……はい。さようなら」
ただの別れの挨拶だったのに、何故かその時、無性に悲しく感じた。
私は急いで城へと帰った。入る時もまた、秘密の抜け穴から入った。秘密の抜け穴は私の部屋に繋がっているから、見つかる心配はない。
戻った時、何やら城中が騒がしかった。何かあったのだろうか。
私は、自分の部屋の扉に耳を当て、部屋の外の声を聞いた。
「……この前、ある子があの化け物に会ったって、本当なの?」
「ええ、本当らしいわ。まだしぶとく生きていやがったのね。とっくに死んでいると思っていたのに……」
「兵士たちが森へ探しに行くらしいわよ。見つけたら即殺してくれるって」
「早く見つかればいいんだけどね……」
―――――妙な胸騒ぎがした。
化け物?そんなものがいるなんて聞いたことがない。けれど、森にはグリーンさんがいる。もし兵士たちがグリーンさんを化け物と勘違いして殺してしまったら?……そんなこと、許さない。絶対にさせない。私がグリーンさんを守らなきゃ……!
私は急いでお父様の部屋に行った。
「お父様!私、お散歩に行ってまいります!」
「散歩?朝ご飯もまだだろうに」
「大丈夫です!すぐに戻ります!」
私はそれだけ言うと、すぐに城を飛び出した。
向かうはグリーンさんのいる森。
絶対に、誰にもグリーンさんは殺させない。そんなこと、私が許さない。お願い、間に合って……!
―――――森に着くと、グリーンさんはまだいつもの場所で座っていた。
「グリーンさんっ!」
私はグリーンさんに駆け寄った。良かった、まだ見つかってなかった。
「パール様?いかがなさいました?」
グリーンさんは、いつものように微笑みかけてくれる。すごく安心した。
「今ね、兵士たちが森で化け物を探しているらしいの。グリーンさんが勘違いされるんじゃないかって思って、それで……」
そう言っているうちに、グリーンさんの表情がだんだんと暗くなっていくのが分かった。そして、グリーンさんはゆっくりと立ち上がった。
「……そうですか。なら、もう一緒には居られないですね」
「え?な、何言ってるのグリーンさん?逃げるんだよ、ここから!ここに居たら見つかっちゃうかもしれないから……」
「いいんです、見つかっても。……いいえ、僕は見つからなければならないんです。パール様のためにも」
「わ、私のため?何言ってるのか分かんないよ、グリーンさん」
「……パール様はお姫様だから、知らされていないんですね。いいでしょう、話してあげます」
そう言い、グリーンさんは話し始めた。
今から二十三年前、グリーンさんは生まれた。
グリーンさんは普通の家庭に生まれ、普通の生活を送っていた。けれど、それはほんの数年の間だけだった。グリーンさんの周りにいた家族や親せきの人たちが、順番に植物に変わっていったのだ。そして、後にはグリーンさん一人だけが残った。
それはつまり、グリーンさんの近くにいるといつか植物に変わり果ててしまう、ということ。それが瞬く間に国中に広がり、ついには“化け物”だと言われるようになった。そして、グリーンさんは今までずっとこの森の木の下で隠れて暮らしていた。
「けれどある日、パール様と出会ったんです。それから毎日のように会いに来てくれて、僕は本当に嬉しかった。夢見心地だったんです」
そう言ってグリーンさんは微笑む。けれど、すぐに悲しい表情に変わった。
「……でも、やっぱりずっと一緒にはいられません。パール様が植物に変わってしまいます。……そうなってしまう前に、早く離れなければと思っていました。だから、これは本当に良い機会だと思っています」
「い、良い機会って?」
「僕が殺されれば、もうパール様が植物になってしまう心配はありません。誰も、植物なんかにならなくて済むんです」
そう言って優しく微笑んでくれた。けれど、グリーンさんは泣いていた。涙は見せていなくても分かる。
私はグリーンさんの右手を両手で優しく包み込んだ。
「大丈夫だよ、グリーンさん。グリーンさんは私が守ってあげる。絶対に殺させたりなんかしない」
「パール様……。いけません。パール様は早く城へ戻って下さい」
「戻らない。グリーンさんは悪くないもの。殺される必要なんてない」
「パール様……」
「おい、誰だ!誰かいるのか!」
―――――ドクン。
しまった、と思った。
兵士に見つかってしまったんだ。早く逃げなければ、グリーンさんが殺されてしまう。
私はグリーンさんの手を引っ張った。
「逃げよう、グリーンさん!」
「いけませんよ、パール様。手を放して、早く城へお戻りください」
「いや!いやよ!どうしてグリーンさんが殺されなきゃいけないの!グリーンさんは何も悪くないじゃない!」
ぼろぼろと涙が溢れてくる。次から次から溢れてきて、止まらない。私はグリーンさんの手を掴んだまま泣いていた。
すると、一人の兵士が叫んだ。
「パール様!?おい、パール様が捕まってるぞ!先にパール様を救助しろ!」
「!?いや、待って……!」
私はとっさにグリーンさんの前に立って両手を広げた。
「や、やめてくださいパール様!僕のことなんか放っておいて、城へ……」
「いやだって言ってるでしょ!グリーンさんが死んでしまうくらいなら、死んだ方がましだもん!」
「死んだ方がましだなんて言わないでください!」
グリーンさんが叫ぶ。グリーンさんが怒ったところは初めて見た。
私はグリーンさんの気迫に負けて黙った。
「僕は、生きていてはいけない存在なんです。でも、パール様は違う。一国の姫であるパール様が死んでいいわけがないんです。ですから、お願いです。僕のことは忘れて、城へ戻ってください。……僕の最後の願いです」
グリーンさんは、今にも泣きだしそうな顔で言う。そんな顔をされて、誰が大人しく戻るというのか。でも、グリーンさんの必死のお願いなのに、聞かないのは……。
私は、どうすればいいのか分からなくなっていた。
「パール様!そいつは危険です!早くこちらへ!」
一人の兵士が大声で叫ぶ。
でも、行ったらグリーンさんが殺されてしまう。それだけは絶対にいやだ。私が守るって決めたんだ。だから、私は……。
「……行かない。グリーンさんを殺すことだけは阻止するって決めたから」
「パ、パール様……!どうして戻ってくれないんですか……」
「死んでもいいなんて言わないよ。だから、私は死なないし、グリーンさんも死なせない。……これで、いいよね?」
私は振り返って、グリーンさんに笑いかけた。不思議と、何も怖くないと思えた。
私は兵士に向き直った。
「ごめんなさい。私はこの人が大切なの。だから、この人は殺さないでほしい。それに、この人は何も悪い人じゃないよ」
「何をおっしゃいますかパール様!そいつは何人もの国民を植物に変えた化け物で……」
「化け物だなんて言わないで!」
私は叫び、兵士を睨んだ。
グリーンさんは、私の大切な人だから。その大切な人を化け物だなんて罵らないで。グリーンさんはとってもいい人なんだよ。貴方たちは知らないだろうけど、私はグリーンさんの良いところ、いっぱい知ってるもの。殺すなんて、絶対に許さない。
「お願い、このまま帰ってください。お父様には殺した、と言っておいてかまいません。あと……私は戻らないと、伝えてください」
「な、何をおっしゃって……」
「早く!帰ってください!」
私は兵士の言葉を遮り、叫んだ。
兵士たちはそのまま、何もせずに帰っていった。兵士たちがお父様に何と伝えたのかは分からないけれど。
でも、これでグリーンさんは助かった。私は、グリーンさんを守ることが出来たんだ。
「パール様……どうして、僕のためにそこまで……」
「……良かった。殺されなくて済んだね」
私は、精一杯微笑んでみせた。
けれど、私はもう長くないと分かっていた。
「パ、パール様……!」
グリーンさんは、私の顔を見て目を見開いた。
私の頬には、小さな芽が咲いていた。
「だから言ったでしょ、私はもう城には戻らないって」
私の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。