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プロポーズ教室

本作は、麻婆さんのカレンダー小説企画(http://www7b.biglobe.ne.jp/~marboh_plus/event.html)に投稿させていただきました『1.28秒だけ待って』にゆるーく繋がりを持っていますが、特にどちらがどちらかの続編という訳ではありませんので、お気にとめることなくお読みください。

 俺は咳払いをすると、教室の扉を開けた。


「皆さん、こんにちは。全員揃っていますね。私は講師の楠木達郎です」


 教室には、様々な男女がいた。下は十代から上は四十代くらいまで。皆、この講座の受講者だ。そして俺は講師だ。


「では、プロポーズ教室、第一回を始めたいと思います」

 俺は皆を見渡す。皆、真剣な顔をして俺を見つめている。18歳の俺にとって、大半の受講者は年上になる。だが、誰の表情にも俺を馬鹿にした様子はない。

「初めに、皆さんに言っておくことがあります」

 俺は前回の講座の第一回目の授業で口にしたことを、今回も言うことにした。

「この教室に申し込んだということは、皆さんはプロポーズしたいと考えている、これは間違いないでしょう。それも、いいプロポーズをしたい、恋人に喜んでもらいたい、そしてもちろんOKの返事を聞きたい、そう思っていることでしょう」

 何人かがうんうんと頷いた。

 俺は言ってやる。

「しかし皆さんは、既にひとつ間違いを犯しています」

 教室がしんとする。俺は一呼吸置いてから続けた。


「プロポーズするのに、こんな教室に来る人はその時点でダメです」


 *


 数十秒、教室のざわめきがやむのを俺は待った。前回はここで怒って出て行った生徒がいたが、今回はいないようだ。それはそれで手応えのない。


「さて皆さん、いきなりこんなことを言われて、戸惑ったことでしょう。ならなんで教室なんて開いてるんだ、そう言いたいことでしょう。でも皆さん、考えてもみてください。学校は、勉強のできる人にとって必要な場所ですか? それとも勉強のできない人にとって必要な場所ですか? 当然、後者です。……もちろん勉強だけをする場所じゃないとか、友達づくりも必要だとか、言いたい向きもあるでしょうが。この教室も同じことです」

 最前列の男性を指さして俺は言う。

「あなた、そこのあなた、メガネの。あなたです。立ち上がって。……今時メガネとは面白いファッションですね。え? 伊達じゃない? そりゃ凄い。いえいえ、失礼しました」

 仏頂面の男はしぶしぶ立ち上がった。俺は手元の端末を見て座席位置から氏名を確認する。

「ええと、田中さんね。田中さん、プロポーズにおいて、一番伝えるべきことって、何だと思いますか?」

 男はまだ二十代そこそこ、といったところか。手元の資料を見ると初婚予定とある。しかし今の時代、二十代前半でも初婚年齢としては遅い部類だ。大半の人間は二十歳前に一度は結婚を経験する。

「えーと、とにかく「好きだ」っていう思いじゃないですか」

 俺は答えず、その隣の女性に向けて腕を伸ばす。

「あなたは? 江本さん?」

 今回の教室では、女性の受講者のほうがやや多い。六割が女性だ。ここ数十年で、女性からのプロポーズもすっかり一般的になった。

「ええと……好きだっていうだけじゃなくて……その、えっと、その、本気で……好きだっていう……」

 思わず笑ってしまった。

「ありがとう、ふたりとも。座って結構です。要するにお二方とも、好きだという思いを伝えるのが大切だと。そう仰っているわけです」

 微笑んで言葉を継ぐ。

「違います」

 俺は固まっている二人に目を向けたまま語る。

「いいですか? そんなことは、相手はもうわかっている筈です。逆にそんなことも伝わっていないのなら、プロポーズより前にすることが山ほどあります。好きだという気持ちは、プロポーズよりはるか手前で伝えるべきことです。プロポーズしようという段階なら、相手はもうあなたが好きだってことくらいわかってます」

 俺は断言する。そして今度は教室の反対側の男性に目線を向ける。日本人ではない。金髪が眩しいハンサム。名前は……。

「ラルフ。プロポーズにおいて伝えるべきことは何でしょう?」

「エット、夫婦ニナリタイトイウ、ハートデス」

「ハート。気持ちね。惜しい。でも不正解です」

 俺は改めてぐるりと教室を見渡す。

「プロポーズにおいて伝えるべきことは、いいですか皆さん。皆さんの気持ちではありません。皆さんが相手のことを好きで、結婚したいと思っている。そう言われても、相手は結婚を決断することはできません。なぜか? それは相手が結婚する気になるかどうかは、皆さんの気持ちではなく、相手の気持ちの問題だからです。だからもちろん相手の気持ちが既に決まっているならば、何も問題はありません。プロポーズなど改めてしなくともお互いに結婚することを疑っても迷ってもいないカップルもいます。そんな二人なら、プロポーズなんて何をしてもいいんです。でも多くの人間はそうではない。本当にその相手でいいのか、本当に今決めていいのか、どこまで行っても少しは迷いが残ります。何年つきあったカップルでも、それはどうしても残るものです。その最後の壁を取り払うのがプロポーズ。あなたの壁を、ではありません。相手の壁を、です。プロポーズというものは、相手の気持ちを動かすためのものです」

 俺はオーバーに両手を上げる。

「だから伝えるべきことは、相手にとってあなたが結婚すべき相手であるということ、です」

 そして上げた両手を皆へ向ける。

「他の誰でもない、あなたと結婚すべきだということ。それを示すんです。結婚は、特別なもの。特別な相手と結ばれるもの。だから、あなたが特別な人間だと示さなくてはならない。自分は大層な人間じゃない? そんなこと関係ありません。相手にとってだけでいい。相手にとって、あなたしかいないのだと、わからせる。それが、プロポーズの目的です」

 俺は手を下ろし、皆の顔を一人ひとり見ていく。

「だから、プロポーズは、特別でなければならない。いいですか? 他の人の真似ではダメなのです。みんなと同じように、ではダメなのです。私が最初に、皆さんがこの講座に来たことを間違いだと言った理由がわかりましたか? 皆さんは、私に教わった方法でプロポーズしようとしているんです。ここにいる全員が同じように教わる方法で。他の皆と同じプロポーズをするあなたを、どうしてあなたの恋人は選ぶのでしょうか。あなたの恋人が、この講座を受講した誰のプロポーズでもOKする人ならいいでしょう。でも、そんな訳がない」

 強い口調で言う。

「あなた方の恋人は、あなたからのプロポーズ「だから」受けるんです。あなたがあなただということがわかるプロポーズでなくてはならない。これを、皆さんはまず心に強く覚えておいていただきたい」

 そこまで話して、俺は黙る。皆、静かになった。俺を見つめ続ける者。天井を見る者。机に肘をつく者。腕を組む者。

 一様に、言葉を失っている。


 ……まずまずの反応だ。俺は急ににこやかな表情に切り替え、声のトーンを上げる。


「ではレッスンに入ります」


 *


「ただいま」

「おかえりー。お兄ちゃん」

「疲れた……」

 ソファに倒れこむ俺に、妹の千恵美が麦茶を持ってきた。親切なやつだ。

「あ、今日からだっけ。例のインチキ講座」

「インチキとは何だ。好評につき今回は3クラスだぞ」

「だってぇ。プロポーズ教室の講師が、彼女なんて作ったこともない童貞まっしぐらじゃん」

「今や未婚男性の98%は童貞だ。何もおかしなことじゃない」

「その代わり高校生男子の70%が結婚歴ありなのよ? お兄ちゃんみたいに18歳でまだ未婚ってのはどっちかっていうと……」

「……何だよ」

「やばい」

 俺は苦笑する。

「語彙が貧弱だな。友達を見習え」

「友達って……あの子は特別だもん。英語ペラッペラだし」

「そうか。最近来ないなそういえば」

「うん……。ていうかそんなことより、なんでプロポーズ教室なわけ? プロポーズなんてしたことない人間が何を教えるのよ?」

「阿呆。お前、プロポーズをしたことある人間がプロポーズの何を教えられると思うんだ?」

「プロポーズの経験を、でしょ」

「それだよそれ。それが一番役に立たないんだ。いいか? プロポーズってものだけはな、プロポーズした人間に教わるべきものじゃない。プロポーズされたい人間から教わるべきものなんだよ」

「……されたい人間?」

「つまり俺だ」

「いやその……何をえばってるのかわからないんだけど」

「プロポーズされたい人間はな、どんなプロポーズが嬉しいか常日頃から考えている」

「もうやめて。それ以上言われると私、お兄ちゃんとは呼びたくなくなる」

「そうか。ならやめるが、とにかくお兄ちゃんはあの講座の講師としては優秀な人材なんだ」

「でーもなー」

 千恵美は俺があの講座のバイトをしているのがどうしてそんなに気に入らないのか。

「だいたいさー、今時プロポーズなんてそんな気張ってやるもんじゃないっしょー。結婚しちゃう? オッケー、くらいのノリでしょ。ダメなら別れりゃいいんだし」

「お前みたいな考えの人間がいるから、生涯の平均結婚回数が5.6回なんていう世の中になっちまったんだ」

 当然、平均離婚回数もそれよりちょっと少ないくらいの数字になっている。

「べっつにいいじゃん。生涯一人と添い遂げるなんてほうがよっぽど不気味。不自然だよ」

「この件に関しては議論するつもりはないな。俺は生涯一夫婦派だ」

「へいへい」

「あの講座に来ているお客さんだって同じだ。ほいほいパートナーを変えるような人間じゃあない。大切に大切に生涯のパートナーを決めようとしてるんだ」

「そんなだから初婚が三十代とかいうオッソロシイことになるのよ。人生が何回もあるとか思ってるわけ?」

「結婚が何回もできると思えるほうが俺にはオッソロシイね」

「へいへい。なんだかなー。アッキもそんなこと言ってたし。お兄ちゃんアッキと気があうんじゃない」

「アッキ? ああ亜紀ちゃんか」

 千恵美の友達だ。千恵美と違って真面目そうな子だ。

「アッキと結婚しなよ、お兄ちゃん」

「悪いな。俺には好きな人がいるんだ」

「……マジ?」

 そんなに驚くことか。

「誰よ」

「秘めた恋だ。安易に口にするわけにはいかぬ」

「やばいお兄ちゃんが超気持ち悪い」

「そうか。吐くならトイレ行って吐けよ」


 *


「こんにちは。達郎君。今日も絶好調ね」

 教室を出たところで、悦子さんに会った。

「絶好調って……何がですか?」

「廊下で聞いてたの。凄いわぁ……よくもまああんなに自信満々に喋れるものね。まだ高校生なのに、末恐ろしいわ」

 悦子さんは二十代前半……だと思う。詳しい歳は聞けていないが、聞くつもりはない。

「いやもう高校は卒業しましたって。今は大学生です」

「あらそうだったっけ。大学入れたの?」

 悦子さんはいつもにこやかだが、何故かいつも俺に敵意を向けているような気がして、悲しい。

「一応入れましたよ。そんないいとこじゃないですが」

「勉強はいいの? こんなバイトばっかりして」

「夏休みだけですって。確かに3クラスも持たせて貰えるとは予想外でしたけどね」

「去年のが大好評だったからかしら。凄いわよねえ。達郎君、系列校全体でトップの成績だもの。達郎君のクラスの受講者全員がプロポーズに成功、 つまり成功率100%、顧客満足度No.1ってちょっとした伝説になっちゃったものね」

「いやまあ……ラッキーパンチですよ。1回目ですから。100%ったって母数25人ですし。記録っちゃあ、ある意味ズルです」

 受講者25人が全員プロポーズに成功。確かにあれは我が事ながら誇らしかったが、系列7校の講師の中で一番の成績だと騒がれたのは参った。別に講師の成績を競うような話でもないと思うし、正直、嬉しさよりも……。

「何よ。謙遜して厭味ったらしい。私の記録も塗り替えられちゃったってのに」

 ……そう、俺が塗り替えてしまったのは、悦子さんの記録だったのだ。年間の成功率95%、通算でも92%。悦子さんは普段はそんな数字など気にかけているようには見えないのに、俺と話をする時はやたらとこの話題に触れる。それが俺の悩みの種だった。

「いやいや、悦子さんの実績と俺なんて比べられないですよ。悦子さんはコンスタントに結果を出してるわけで。俺なんかたった一回、優秀な生徒たちに恵まれただけじゃないっすか」

「それ以上に講師がいいんじゃない。あんないい授業を受けたら、誰だって凄いプロポーズをしちゃうと思うわ。私なんか足元にも及ばないわよ」

 うーん。やはり悦子さんの言葉には妙な刺がある。ぽっと出の俺が記録を抜いちゃったのは、流石に気に食わなかったのか。そんなタイプには見えないんだけどなあ。

「勘弁してくださいよ……」

「達郎君なら、きっと良いプロポーズをするんだろうなあ。達郎君の好きな人は幸せね」

 うっ。

 ……そう言われると、これは本気で何を言っていいかわからなくなる。

 だってそうだろう。

 俺の好きな人ってのはつまり、悦子さんなんだから。

「いやいやそんなことは……」

「あ、私のクラス始まっちゃう。じゃあね、エースさん」


 *


「それでは田中さん。前回の宿題である……プロポーズの場所、何を考えて来ました?」

 俺は毎回最前列に座る田中さんを指す。

「はい。僕はマロンビルにしようと思います。知ってますか? 最近できたやつで、55階にレストランがあって、プロポーズをサポートするようなサービスもやってるんですよ! 凄い人気で……」

「田中さんは僕が今まで言ったことをまるで聞いていなかったようですね」

 俺は首を横に振った。他の受講者が失笑し、田中さんの顔が赤くなった。

 俺は容赦はしない。受講者に恥をかかせることも厭わない。どうせ本番で、相手の前で恥をかかなければならないのだ。それに比べれば何でもないことだ。

「そのレストランで食事をすることが、相手の女性に田中さんを選ばせる理由になっていますか?」

「えーと、な、なってますよ。なってます。だって、そういう素敵なレストランで食事をさせてあげられるっていうことが示せるわけじゃないですか」

「そのレストランで食事をさせるのは大変なんですか?」

「そりゃあ、値が張りますから。でも僕の収入ならなんとか平気です。つまり、経済力があるってことを示せるわけですよ。結婚には経済力って大事じゃないですか」

 俺は田中さんを見つめる。自分で言っていて自信を失っていりゃ世話はない。

「大事ですよ。ええ。で、田中さんの彼女さんは、経済力があるというのが一番の理由で田中さんを選ぶわけですね? 他の誰でもない田中さんを選ぶのは、その経済力のためだと」

「それだけじゃないですけど……でも僕が無職だったら彼女は僕と結婚しないと思います。ドライなんですよ、彼女は。……言っておきますけど、僕は彼女のそういうところも含めて好きなんです。気持ちだけで行動する女なんて大嫌いです。……悪いですか?」

「いえ。何も悪くない。でも私にはわかりませんが、田中さんならわかるでしょう。そのドライな彼女が、展望レストランに連れて行くことで経済力を示して結婚しようと言ってくるあなたを、どう思うか、そこのところをちゃんと考えてみましたか?」

「ど……どういう意味ですか。何が悪いんですか。具体的に言って下さい」

「何が悪いかを考えるのは私ではなくあなたです。……でも、今あなたが言ったことの中にも既にヒントがありますよ。彼女はドライで、気持ちだけで行動しない……」

 ニヤリと笑う。

「展望レストラン、喜びますかね?」

 田中さんは、言葉につまった。ほら、そこだった。

「喜ぶ……んじゃないですか、女性はたいがい」

「田中さん。あなたが結婚しようと考えているのは、「たいがい」の女性ではなく、あなたの彼女ただ一人なんですよ? あなたの彼女が喜ぶかどうか、それだけだ」

「……」

 田中さんは黙ってしまった。わかっているのだろう。それが答えじゃない、ということは。

 俺は言われるまでもないだろうことを、あえて言っておく。

「田中さん。一般の女性像を思い浮かべるのはやめることです。あなたの彼女を思い浮かべなさい」


 *


「でもさー、お兄ちゃんの前の記録が95%だったっけ? 成功率ってやつ。その数字、低くない?」

 千恵美が足をテーブルにあげて椅子をのけぞらせる。危ないやつだ。

「低い? どうしてだ」

「だって、プロポーズってさ……特にその講座に来るような人の場合はさ、結局は確信あるわけでしょ? もう九分九厘OKの自信がある相手なんでしょ?」

「なんでそう思う」

「思うよー。二十代とかで、3年とか付き合ってて、とか。そんなお客さんなんでしょ。そんなの、その相手も結婚するつもりが無いほうが変だってー」

「だからそりゃお前の価値観だろうが。生涯の伴侶をと考えたら、若くして決めるのには勇気がいるし、長くつきあってても、この人でいいのかと迷うもんだ」

「迷うくらいなら一ヶ月で別れるでしょ」

 どうもこいつと話してると俺のほうがおかしいんじゃないかと思えてくる。これが世代の差か? 単に俺の頭が古いのか。

「まあ……お前の言うのは極端にしても、確かに実際のところ失敗する確率は高くはない。そもそも、プロポーズの仕方が少々ありきたりだったとしても、少なからずその気のある相手が「自分のために頑張ってくれた」ということだけで好感をもつからな。うまくいくことは多いよ実際。だから、俺の講座のおかげでうまくいった、なんて思っちゃいないさ。それまでの二人の関係が良好だったからこそ、うまくいったんだ。プロポーズなんてのはきっかけに過ぎないのかもしれない。前回の受講者の様子じゃ、どんなプロポーズでも8割はうまくいったんじゃないかとは思うよ」

「あらまあ。お兄ちゃんが講座で言ってることと違うじゃん」

「お前は俺の講座を聞いたことないだろう」

「又聞きー」

「誰から」

「秘密ー」

「……」

 まさか悦子さんと接触しているんじゃないだろうな千恵美。

「でも、だったらお兄ちゃんの講座の意味ってなんなの? 残りの2割を成功にもってくこと?」

「そうだ。……だが、まあそれだけじゃない」

「何?」

「本当いえばこの講座の意味は、プロポーズしようと決意すること、そのものかなと思ってる」

「どういうこと? だってこの講座、プロポーズしようと思ったから、申し込むんでしょ?」

「そうじゃない人もいる。この講座に出会ったことで、プロポーズする意志が固まる人間もいるんだよ」

「いるのそんな人」

「いるんじゃないかなと思っている」

 俺がそうだからな。


 *


「今日で、この講座はあと残すところ2回となりました。皆さんはもう、自分なりのプロポーズのイメージが固まってきたと思います」

 全8回と、意外に長丁場の講座なのだが、感覚的にはあっという間だった。やはり俺にはこの講師は性にあっているのかもしれない。

 今回のクラスは、生徒の質も良かった気がする。

 プロポーズ講座などをやると、中には不届き者も混じることがある。つまり、あろうことか「出会い目的」で来る人間だ。

 生徒には当たり前だが全員恋人がいて、プロポーズを控えた関係だ。普通に考えればこのクラスでナンパなんかしても成功するわけがない。

 普通の人間はそう考える。だが、そいつらは違うことを考える。

 このクラスの受講者には結婚に慎重なタイプが多い。つまり恋愛に慣れていない人間も多く甘い言葉に騙されやすい。また、プロポーズしようという人間は(特に年齢が上がるほど)動機として「相手を逃したくない」という焦りがある場合がある。そこにつけこんで、焦ることはないあなたはまだまだ魅力的だ、そう囁いてみたり。さらには、プロポーズ「後」を狙う人間もいる。講座終了後、いざプロポーズしたら失敗する人間も当然いる。そうした人間の傷心の隙を狙うという話だ。

 話だ……というのは、よそのクラスでの噂などを聞いただけで、幸いにも、前回も今回も俺のクラスにはそのような人間はいなかった。

 別にいたとしても、咎められることではないのかもしれない。恋愛は自由だからだ。人の恋人を奪うのも、プロポーズする相手を変えるのも、プロポーズ自体やめるのも、それはすべて個人の自由だ。悪いことではない。だから俺がそういう連中を警戒するのは、純粋に俺自身の勝手なわがまま、俺の価値観だけの問題なのだ。

 おっといかん、思考がそれていた。話を続ける。

「私から皆さんに教えるべきことはもう多くはありません。ですが今回は、一つ、今までとは逆のことを伝えましょう。せっかくイメージが固まってきたところだとは思いますが、一度それを振り出しに戻すことも必要かもしれません」

 俺は言う。

「奇想天外なプロポーズをしろとは言っていない、ということです。人の真似をするなと言いましたが、私はけして、変わった真似をしろと言いたいわけではないのです。奇をてらったプロポーズをしろとか、他の誰もやったことのないプロポーズを発明しろというふうに聞こえたとすれば、それは誤解です。大事なのは、あなたである理由を伝えろ、というただそれだけです」

「つまり、自分らしさを出せということですよね」

 最前列の江本さんがそう言う。我が意を得たりとばかりに俺は笑う。

「違います」

 江本さんはもう、ムッとした顔をすることはなかった。俺がそういう講師だとわかっているのだ。

「自分らしさ、などという言葉に取り憑かれてはダメです。そんなものは存在しないからです。たいてい、見つかりません。無理にひねり出そうとすると、何らしくもないものができあがるだけです」

 俺は人差し指を立てる。

「第一回の講座の時に、言いました。大事なことは、相手の気持ちを動かすことだと。相手に、あなたを選ぶ理由をわからせることだと。それはけして、自分らしさを表現するなどということとは、違うのです。自分らしさなど、どうでも良い。考えるべきは、自分ではなく相手です。相手にとって、あなたが特別だとわかるならば、あなたの思う自分勝手な「自分らしさ」なんてものは、うっちゃっておけば良いのです」

「相手にあわせて自分を押さえ込めと言うんですか?」

 教室の後ろのほうから聞いてきた声に、俺は首を傾げて見せた。

「無邪気に聞きますね、町村君。その問いの答えは私が与えるものじゃあないです。自分で考えましょう。結婚とは何かを考えることでもあります」

「講師なのに」

 不満そうな彼に、俺は笑った。

「じゃあヒントです。結婚は、一人ではできません。あなたが彼女に結婚を与えるのでも、彼女があなたに結婚を与えるのでもない。お互いに与え合うのでもない。結婚とは二人がするものです」

 わからないとボヤくかと思ったが、意外にも町村君は考え込んだ。案外真面目な青年だ。

「えーと……つまり、僕と彼女が……えーと、その、二人になる……ということ、かな。あれ、僕何を言ってるんだろう」

 俺は微笑んだ。

「では、皆さん、今日の講座はここでおしまいです」


 *


 俺は、最後の講座の前に、プロポーズをした。

 悦子さんにだ。

 結果は、ダメだった。

 悦子さんは言った。


「断るわ」


 笑って。

 微笑んで。

 やさしく。

 たおやかに。


「そうですか……。理由を教えてくれませんか」

 そう言う僕に、悦子さんは、人差し指を立てた。

「明日、私と君の、それぞれ最後の講座が終わった時に、教えてあげる。だから、最後の授業では、ちゃんと生徒の皆の前で、笑うのよ。いいわね?」


 *


「え? マジ? 振られたの?」

「ああ」

 千恵美は、何やら泣きながら家に帰ってきたのだが、俺も泣いていたので、まず俺のほうの理由から聞かれた。

「なんで? え、おかしいんだけど。なんで?」

「そりゃ俺が聞きたいが、理由は明日聞かせてもらえるそうだ」

「……そう」

「ところでお前はなんで泣いてるんだ?」

 聞いたが、そんなことはどうでも良かった。人間は、いろんな理由で泣く。

「友達に、なんて手紙を書いたらいいかわからないから」

 そんな理由でもだ。

「なんだそりゃ。なんで手紙なんか」

「遠くに行っちゃったから。転校しちゃったの」

「……そうか」

「お兄ちゃん、何書いたらいいかな」

「知らん」

「プロポーズ講座の講師なんでしょ」

「お前のそれはプロポーズじゃないだろ」

「何でもいいよ。相手の気持ちを動かす言葉、得意なんでしょ」

 苦笑するしかなかった。

「いや、俺には無理だ。無理……だったんだよ」

「いいから教えてよ。ずっと仲良くしてた子なの。なのにさ。いざ書こうと思ったら何書いたらいいか全然わかんないの。アッキがいけないんだよ。クラスでメッセージ出そうとか言って。そりゃ仲良かった私達が代表で考えてってなるじゃんね」

「実際、仲良かったんだろ」

 千恵美が泣いてるのは、そのメッセージが書けなくてって訳じゃあ……ないな。もっと単純な理由だ。

「良かったよ。でも私じゃダメなの。あの子のこと考えてももう何言ったらいいか全然わかんないの。こういうのダメなの」

「だから泣いてるのかよ。泣くほど困るなら書かなきゃいい」

「困ってないよ!」

 そう。困ってなんかいない。

「絶対書くもん」

「でも書けないんだろ。書かなきゃいい」

「いいわけないよ! 何も言わなきゃ何も伝わんないじゃん」

 そらそうだ。

「そらそうだな。なら、思ったまま書きゃいいんじゃないか。何だって嬉しいさ向こうは」

「……。もういい。お兄ちゃんになんて頼らない」

「そうだな。そのほうがいいな」

 そうだ。人に頼っている場合じゃないのだ。


 思いを伝える時、人はいつだって一人だ。


 *


「えーと」

 俺は、教室の皆の顔を眺めた。

 誰もが、俺を心配そうに見つめている。

「まあ……あれだ。たぶん俺がボロボロに見えるんだろう。ああそのとおりだ。ボロボロだ」

「どうしたんですか先生」

「先生? まあ先生だな。今日だけはまだ。俺はたぶん次回以降このクラスを受け持つことはない。……ああいや、そんなことが言いたいわけじゃないんだ。これは俺の個人的な話でしかないからな。俺が言いたいのは……」

 俺は、チラリと廊下を見た。

「ダメな時はダメだってことだ」

 言ってから、激しく後悔する。俺は、最低の講師だ。これからプロポーズをしようとしている生徒たちに、よりによって一番言ってはいけないことを言った。

「……俺は最低だな」

 ……そうだ。わかりきっている。誰だ、わかってなかったやつは。誰だ、こんな人生経験もろくにない大学一年生に講師をやらせた馬鹿は。彼女もいたこともない、結婚をしてみた経験もない。何もわかっちゃいない、わかった風なことを言うだけのやつに、偉そうに喋らせることにしたやつは。


 そうだ。悦子さんだよ。

 あの人が、俺を採用し、俺に講座を担当させ、俺を褒めそやし、嫌味を言い、そして俺を……振ったんだ。


 一目惚れだった。

 出会った瞬間から悦子さんに恋をした俺は、だからプロポーズをした。

 それだけだ。

 俺を選ぶ理由をわからせる? はっ。そんなこと考えたか? 俺は。

 俺はただ、伝えたかったから伝えたんだ。

 講師をやる資格なんかないと自分でも思う。

 偉そうなことを言う資格なんか何もない。


「まあ、こんなことを最後に言う、ろくでもない講師のことなんか忘れて、お前らはお前らでうまくやれ」

 俺はひらひらと力なく手を振って、教室を出て行こうとした。

「待ってくださいよ」

 呼び止めたのは、町村だった。教室の奥にやつはいつも座る。控えめだが、たまに喋ると生意気なやつだ。

「先生、なんか勘違いしてる気がします。僕、先生のことを立派な人間だなんて思ってやしないですが」

「んだと?」

「当たり前じゃないですか。先生、ガキですもん。高校生でしょ?」

「大学生だよ。悪かったな童顔で」

「あはは。すんません、僕、口悪いんす。でも先生、この講座で先生が教えてたのは、徹頭徹尾、「お前ら自分でなんとかしろ」だったじゃないっすか」

「……」

「僕、少なくとも講座の第一回を受けるまでは、なんとかしてもらおうと思って来たんす。僕、どうやって彼女にプロポーズしていいかわかんなくて。彼女が待ってんの、ずっとわかってたんすけどね。たぶん、僕、自信なかっただけなんす……」

 町村は、首を振った。

「いけね、自分の話なんてどうでもいいや。とにかく先生、僕ぁもうわかってますよ。先生の言いたいことは。要するに先生にも、わかんないんだ。どういうプロポーズがいいかなんて。僕らと同じなんだ。だから自分で考えろって、何が何でも自分で考えろって、そう強く願ってるんだ。僕らにね。そんなに願われたら、そりゃ考えないわけいかないっすよ。だから先生に言われるまでもなく……わかってるんす。ダメな時はダメ。当たり前っすよ」

「町村……お前、そんな口調だったっけ」

「あっは。先生に言われたくないっすね。つかセンセ、僕のほうが年上っすから偉そうでもせめて敬語は使ったほうがよくないすか?」

 誰かが教室のどこかで笑った。いや、みんなが笑っているのか。

「先生、私、先生のことは……同級生みたいなものだと思っていましたわ? 先生というよりは」

 江本さんだった。この人はたしか三十六歳。俺の年齢の倍なんだよ、考えてみれば。

「先生は、いつも二言目には「違います」っておっしゃいますわよね。それに、ヒントもよく出してくれます。でも、それなのに……答えを絶対に言ってくれないんです」

 江本さんはクスクスと笑う。

「正直、生意気な坊やだなあって思ってましたわ……。でもそこが私の彼と似ていて。あら、どうでもいいですわね。とにかく、先生に何があったかわかりませんけれど、先生から教わったものは、先生が少々否定したからといって消え去るようなヤワなものではございませんわ」

 江本さんは年下の彼氏にプロポーズをするのだ。自信はない、といつも言っていた。でも今の江本さんは自信を持っているように見える。

「そういうことだな」

 今度は田中さんだった。この人には一番きつく接した気がする。今更ながら申し訳なくなる。

「俺はね、……ああ、すんませんこういう口調なんですよ地は。まあいいやね、先生も今はそんなんだし。……オホン。俺はね、先生。サプライズに関する話を先生がしてくれた時のことが印象に残ってるんだ。プロポーズでサプライズは意味は無いって話」

 そんな話もしたな。

「どんなに凄いサプライズでも、プロポーズ自体がサプライズだったら絶対にうまくはいかない。驚いても心は急には動かない。ゆっくり動くものだから。サプライズってのは結局は最後のひと押しにしかならないんですよ……って言ってたよな。でもよ、俺はよう。やっぱりサプライズにこだわりたいんだよ」

 田中さんは、頑固な生徒だった。

「確かに俺の彼女はドライで、感動とかしてんの見たことない。展望レストランも、お金がもったいないとか言い出すような気がする。先生の言うとおりだと思うよ。でもさ、俺のほうもそんなあいつのドライさに甘えてた気がするんだ。あいつは本当は驚きたいんじゃないのかな、俺に驚かせてもらいたいんじゃないかなって。それを俺は諦めて、怠けてるだけなんじゃないかってな。それに気付けたのは、先生のおかげだと思ってるよ。俺はこれからあいつの人生を驚きに満ちたものにしてやるっていうそういう俺の愛っつーかなんつーかをあいつに教えてやるために、俺はやはりサプライズを……」

「田中さん言ってて恥ずかしくならないの?」

 河合さんが笑いながらツッコミを入れた。田中さんはポリポリと頭をかいた。みんながどっと笑う。

「えっとね、先生。なんか落ち込んでるなら帰っちゃってもいいけど、最後の授業で教えようと思ってたことって何? それだけ聞いときたいな」

 河合さんは高校生だ。同級生にプロポーズするつもりらしい。こんな愛くるしい子に求婚されるなんてその同級生が羨ましいものだ。

「ああ……まあ、大した話じゃない。もう皆、言われるまでもないことだと思う」

 我ながら現金なものだ、と自嘲する。どうやらもう俺は、さっきまでほどには、ボロボロではないらしかった。みんなのほうを向いて話す。

「プロポーズってのは、する側が「お願い」するものじゃないってことだ。プロポーズされたほうが勝ち、したほうが負け……そんな風に考える人間もいるけど、それは違う。……と、俺は思う。プロポーズをするのもそれを受けるのも、相手を特別な……自分の人生の一部として、覚悟と決意を持って選ぶということだ。そこに上下なんてものはない。……と、俺は思う」

「先生なんだから、もっと自信持ってよ。俺は思う、なんてつけなくていいのに」

 はいはい、と俺は笑う。

「結婚っていうのは……どっちかがどっちかに「してもらう」ものじゃあない。一人じゃできない。二人が、するものなんだ。それを……俺は最後に言いたかった」

「アリガトー、先生」

 ラルフか。確か、遠距離恋愛中の相手に、勇気を出してプロポーズするとか言っていた。

「ありがとうは、俺のセリフかもしれないな。では諸君……ぐちゃぐちゃになっちまったが……」

 俺は教壇に戻った。

 背筋を伸ばす。

 頬を叩いて、顔の筋肉を緩める。

「もう教えることは何もない。諸君らの健闘を……祈る」

 拍手が鳴った。

 生徒たちは、ひとりひとり教壇の前で俺と握手をして、礼を言ってから出て行った。


 俺は、笑えていただろうか。

 ……。

 ああ。

 もちろん、笑えていたさ。


 *


「ひっどい泣き顔」

「わらっへますよ」

 廊下に出ると、待っていた悦子さんに笑われた。

「達郎君、意外に泣き虫なのね……昨日も一晩中泣いてたんでしょ」

「もしかして、うちの妹と連絡とってます?」

「さぁね。まあ泣き笑いも笑いのうちか……。よし、許してあげる」

「そりゃどうも」

 俺は服の袖で涙を吹いた。くそぅ。鼻水が出やがる。

「じゃあ、昨日の続きだけど」

「……続き?」

「何よ。覚えてないの? 私と君の最後の授業、今終わったわけでしょ」

 ああそうか。続きって……振られた理由か。正直、どうでもよくなっていた。理由があったら納得できるというものじゃないのは、最初からわかっていた。

「どうでも……」

「よくない!」

 遮られた。

「どうでもよくないよ。ていうか何、達郎君、もう私のことは興味ないわけ? フラれたらもう関係ないっての? やっぱ若い子ってそのへん、ドライよねぇ」

 なんで文句言われないといけない。

「ウェットですが、ウェットになるポイントが違うだけです」

「あらそう。じゃあ昨日、君のプロポーズを断った理由だけどね? 2つ理由があるのよ」


 そして突然、俺は、悦子さんに、プロポーズされた。


「……? あの、え? 今の、何ですか? あの、どういうことでしょうか」

「だから、つまりさ。私としてはね、片方だけがプロポーズするってのは嫌なの。君が私にプロポーズするなら、私も君にプロポーズするチャンスがなくちゃ、フェアじゃないというか」

「……。よく、意味が」

 ……わからない。

「で? どうなの? 返事は?」

「いやあの。意味がよく」

 ……わからない。

「返事、はやくしてよ。恥ずかしいじゃん」

 ……。

 全然恥ずかしがっているようには見えなかったが。

 俺は、とりあえず、頷いた。


「お断りします」


「あっはー」

 悦子さんは、盛大に笑った。俺の肩を親指でぐいぐいと押してくる。何だろう。リセットスイッチでも押しているのだろうか。そんなものは人生には無いというのに。

「あっはー。振られちゃった。ぐすん」

「何が、ぐすんですか。…………。あ、2つ目の理由は?」

 悦子さんはしれっと答えた。


「君の成功率100%の記録、止めたかったから」

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― 新着の感想 ―
[一言] 最近牛髑髏さんにハマりまして、いろんな作品を読ませてもらってます笑 作中の「驚いても心は急には動かない。ゆっくり動くものだから。」という言葉が胸にスッと入ってきました。 私が初めて…
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